道具箱を失礼して・・
刻みをやっている大工さんの道具です。
私は 包丁研ぎと 草刈鎌の 「研ぎ」を 自己流ながら勉強中です。練習を重ねるうちに
包丁や ぺティナイフは随分上手に研げるようになりました。
まな板の上で切れ味を試しては実感しています。
家には 粗度のいい研ぎ石があるので うまくいく要素の一つだと思っています。
睦沢においてある 鎌をとぐ研ぎ石がどうも満足いかない。
鎌を研ぐというのは 包丁とは違うむずかしさがありますが・・
大工さんがどんな研ぎ石で どんな風に道具を研いでいるのか、一度見せてもらえるチャンスが来る事を 望んでいます。
諏訪で解体が始まったのが、去年の8月でした。
あれから 一年です。
昨年の忘れられない思い出。
昨年7月29日は金曜日でした。
30日(土)に解体前の最終確認をする約束があり、
vivakenは 当時具合を悪くしていた、父を見舞い 夜8:00を回る頃 前泊を予定した「湯村温泉」に向かいました。
父は、一緒に見舞っていた妹に、「家のことがあるのだから早く帰りなさい。お父さんは大丈夫だから」そう促していました。
妹は「うん 分かった。」と病院をあとにし、暫くしてvivakenも 病院を出ました。
そのあと30分もしないうちに父が急変する事など想像もしていませんでした。
私は 今晩は病院に泊まり、父の気分がよさそうだったら 大好きな「マンゴー」を食べさせようなどと思っていました。
父はその晩 逝去しましたが、vivakenには これからの住いの最後の姿を確認してもらいたいと思い、すぐには連絡を入れませんでした。
湯村温泉到着の連絡がきて その返信に父が逝去した事を伝えると、「明日はキャンセルする。」こう返事が返ってきました。
こうして 4〜5時間の睡眠をとり vivakenは帰路につきました。
今になると、「温泉に泊まって温泉に入らなかった」 こんなふうに笑い話になりました。
私たちは 諏訪でこの建物を見たのは 一回だけでした。
それも この建物を移築再生なんて自分らに出来るわけがない そう思いながら見ていましたから、細部にわたる検証など何にもなくて、ただただ なんかすごいな〜 こんな気持ちで眺めていました。
早いもので あれから一年が経ちました。
材料の刻みの現場に落ちていたので、拾ってきました。
これこそ 私たちの住いとなるべく準備を進めている民家がレストランとして一度再生された事の証です。
長野県警のホームページは 更新を頻繁にやってくれるので、山を歩いていた頃の私は時々お世話になったのを、懐かしく思い出しました。
ついでに 信州防災の所在地を確認したりして。(だからどうというわけでもありませんが・・)
諏訪と松本ですから なるほど うなずける と 妙に納得しています。
寡黙な柱や梁は 自分の生い立ちを語ることはありませんが、ただこのプレートだけが、過去を明確に語ってくれます。
プレートpz訪ー0813 です。
仕事場でチョット失礼して 棟梁の”墨つぼ”を撮影させてもらいました。
棟梁が とても大切にしている ”手彫り鶴亀墨壷”です。
コンクリートの枠が外され、基礎が出来上がったのを見る事が出来ます。
とてもキメの細かいコンクリートです。
やや南西から 撮影したものです。奥に見えるのが 「あれはなんですか」とご近所から質問を受けた ”お風呂場”です。
床下に入る必要が出来たときに 通り道となるべくところもチャントあり、
必要が出来たときに、懐中電灯片手に 床下を調べる事が出来ます。
それと同時に 柱や梁のきざみ作業が進められています。
大工さんの仕事というのも大変クリエイティブで、ご苦労も多いと思いますが、充実感を感じることが出来る仕事だと思います。
そんなわけで
国土交通省所管の大工育成塾など のぞいてみました。
7月18日 の”基礎コンクリート 流し込み”に対しまして
ケヤキの古木さん vivaken レスを頂きましてありがとうございます。
以下 若干補足ナドナド
湿気対策として 床下に防湿対策の案を提出しましたが 予算が折り合わず
「仕方がない 実際にどんな具合になるか確認して 我慢が出来なかったら、対策するしかないな。」
こうあきらめていたのが、岩熊さんの設計変更により すんなりと 基礎の高さが 150mm
上がりました。
「なるほどね。現場を歩いているからこそできる事だ。基礎をかさ上げするってワケだ。」
この感激をお伝えしたい。
ここがメインだったのですが、伝える力が不足していて、vivakenの視点がずれましたので、補足させていただきます。
ケヤキの古木さんから 引用
山梨の・・・の部分は、言い過ぎです。今回の件は、工務店と建築士の関係によるのではないですか。工事を請け負ったのは工務店ですから、追加費用をかぶるのは工務店です。
■”言いすぎです。”
の部分私も認めます。
私たちは 網野さんとは 予算取りの段階で終了しました。
網野さんは 設計士としての職責上 仕様変更に対して 再見積もりをするという段階でした。
その大部分は 当初のスペックにおける予算が 大幅にオーバーしたために、いかに 縮小するかという再見積もりでした。
実行予算に合わせた工務店との交渉について どのようななさり方をするのか、存じません。
地元の工務店にも見積もりを貰いましたが、概算見積もりで終わっています。
詳細を詰めた結果 変更箇所に対して、工務店がどういう対応をしてくるかを知る状況にはありませんでした。
ですから 私たちが比較できるのは 岩熊さんがどう動いたかでしかありません。
例を上げて比較するには、事例が少なすぎます。状況も違いすぎます。
そういうわけで 言い過ぎを認めます。
■追加費用をかぶるのは工務店
この件につきましては、見積もりの内容が関わってきます。
具体的にはいえませんが 結論はこういうことです。
基礎工事については 「べた基礎」をベースとして、契約をしました。
「もし 経費面では安く済むと言われている「布基礎」が選択できた場合でも、その差額については 余力として持っておいて貰いたい。」
口頭でしたが このように約束しました。
私は 風通しがいい という理由から 「布基礎」を希望していました。
それが 可能で 「布基礎」で実行されたわけです。
このように 予算面から言えば かさ上げできる余裕はあったと理解しています。
私が伝えたかったのは
かさ上げによって 予算の中で 防湿対策ができた。
それも 風通しを良くするというとてもシンプルな方法で。
岩熊さんがカッコよく 見えた(フフ)
そんなところです。
基礎の型枠が外されました。
基礎の型枠を組んでくれた 三尾さんのところの社長は
日曜日にも関わらず仕掛かりの様子を確認に来てくれるような熱心な人でした。
知恵をはたらかせた成果が着々と出来上がっていくのを体験するにつけ、改めて 時間の大切さと 一生懸命やる事の大切さが身にしみます。
井上 陽水 の「人生が二度あれば」・・・か と思ったりして。
全体計画の中では 8月の後半が建前の予定です。
建築吉日を選んで 計画を立てることになると思います。
ここまでを小さな区切りとして、怪我も病気も事故もなく 作業を終えられた事に 感謝いたします。
ご近所の方に 「あそこはなんですか」とよく聞かれます。
北側から撮影したものですが、北東の角が浴室になります。
北斜面は、追々手を入れて 竹林を背景とした小径にしたいという計画があります。
そんな四季折々の季節感を味わいながら、湯船で手足を伸ばしたい。
これ vivakenの 希望です。
岩熊さんはその希望を実現するために、外部に対して 安全に安心してお風呂に入ることが出来るよう、考えてくれました。
湯船に入って 目の高さに窓があり 全開すれば外の空気を吸いながら湯船につかる事が出来ます。
それを不安と感じたら 目隠しにもなる外戸を立てて風を入れながら入浴も可能だし、もちろん 冬はサッシを締めて入ることになりましょう。
vivakenははじめ、民家という定義があったことと、木のお風呂に入りたい この2つに導びかれて、木のお風呂探しをしていました。
最初は青森ヒバのお風呂に始まりました。
そのうちなんでもいいから、木のお風呂!こうなったりしながら、
結局断念する事になったのは、毎日お湯を抜いて 湯船を乾かすことが木のお風呂を使っていく条件だと 何かで読んだからです。
「一人しか入らない浴槽の水を毎日抜くのは いくらなんでも 大変だ」こう思うや、木の浴槽話は 消滅しました。
私は 内心ほっとしました。
確かに 木のお風呂というのは とりわけ青森ヒバのお風呂となれば、香りもいいし非の打ち所はないと思います。
しかし それなりの管理が必要ですから、私は 賛成していませんでした。
しかし、口に出しませんでした。その時は しょうがないな・・と思って。
こうしてプラスチックの浴槽になりましたが、価格は1/3になり、差額を贅沢な窓の工夫にまわす事が出来ました。
岩熊さんの推奨でもありました。
基礎工事 立ち上がり部分のコンクリートの流し込みが終了しました。
今週中には 型枠をはずし、まるで 絹ごし豆腐のように滑らかなコンクリートの肌を見る事が出来ます。
基礎は300mmと聞いていましたが、高さを確認すると450mmありました。
私たちは 想像でこう話しています。
地の人 shirouさんが、「北山からの絞り水をうまく処理しないと、どうしても湿気が上がる」とアドバイスがありました。
vivakenはその話を、岩熊さんと相談し 防湿対策の提案をしましたが、予算が折り合えず 当初の計画通りにやることにしました。
結果 岩熊さんは 基礎を150mm高くしました。
「な〜るほど」 こううなりながら、この一年を振り返ってみました。
私たちは 守門=地元の工務店 という出会いがあり、 そこに岩熊さんという建築士が居ました。
このことが大変な幸運でしたが、同時に 地元の工務店と家作りをするのがベストだなと思いました。
もちろん地元でありさえすればいい そういう意味ではありません。
地元というのも 大きな要素だと あらためて 実感しています。
このコンクリートを流す作業をした業者さんは
「お〜ここの侵入路のコンクリーを流したのは オレだよ」
こういっていたそうです。
睦沢地区 とっても狭いです。
「サラリーマン 定年過ぎればただの人」
これを地で行く私たち夫婦は、先々 家の補修・修繕費を捻出しにくくなると考え、手始めに、上水道の配管を ステンレスパイプにしたらどうかと考えました。
見積り金額が増えても材料費ぐらいのものだろうと思いました。
しかし出てきた見積りは 現状の工事費の ほぼ倍の金額になる事が明記されていました。
vivakenより先に帰宅した私は その見積もりを見ながら
オドロキとともに、
「どうするのかしら、、これでもやるというのかしら??」
やっておきたいといわれると、断れなくて なんとか実現するしかない と思いがちな私ですが、
打出の小槌はないし・・。ア〜ァ(ため息)
あれやこれや想像し 落ち着かない時間を過ごしました。
帰宅後 あっさりとこうつぶやきました。
vivaken 「高いな だめだこりゃ」
お勝手で背を向けながら、夕飯の支度をしていた私は振り返り、
「やめよう やめよう」と連呼したのでした。
キズという表現は 適切ではないな と思いながら書いています。
移築再生(とりわけ今回は 2回目の移築再生)においては、前の建物の都合で、今回再生するには、不必要な切り込みがあったりします。
移築再生で それは 当然受け入れて対応していかなければなりませんが、どの程度まで補修するかは、施主がどこまで要求するかにかかってきます。
これは 移築再生に対する施主のスタンスがはっきり現れる、一つの事象と思います。
予算が潤沢であり 施主が希望すれば 時間をかけて完全復帰に近い事も可能に違いありません。
私たちは 「それはこの家の歴史です」
こう考えています。
埋め戻し用の角材が準備されていまして、棟梁は気になるところを埋め戻して、塗装仕上げをしてくれる事になっています。
そして どこまでやるかについて vivakenはこう答えました。
「棟梁の感性でやってください。」
棟梁が この家だから こうでいい こう判断したら受け入れます。
という回答です。
基礎工事のベース打設は 予定通り終了しました。
立ち上がり部分の型枠の組み立てが始まりました。
枠の中には鉄筋が整然と入っています。
鉄筋に使った 鉄棒30cmぐらいのものが側に落ちていました。
これは 捨てるものだろうと判断し拾っておきました。
畑に種を撒くとき、一応ミチイトを引きます。
今まで 竹に紐を巻きつけて畑にさして使っていましたが、なんせ粘土の畑。
竹がささらないことがあって、もっとうまい具合にしたいものだ。
と思っていました。
黒豆の種まきをしました。
基礎工事中ですから 耕運機を入れられないので、畝は作らず少し耕して種を撒きました。
ミチイトを引くのに 鉄棒が大変重宝しました。
基礎工事は今週中に終わるでしょう
これは間違いでした。梅雨空の影響ではなく、間違いです。
基礎工事は ベースの打設(コンクリート流し込み)と 立ち上がりの打設の2段階の工程があります。
わたしは 一気に形作られると思っていました。
今週は ベースの打設が終了しました。
次に 立ち上がりの型枠を組み、打設です。
西日本では 豪雨が降り、山崩れがおきたりしているところ大変申し訳ない発言ですが、千葉県は 空梅雨ぎみです。
睦沢の工事は 空模様にあまり影響を受けることなく、順調に進行しています。
私にとりまして、この瞬間はとてもインパクトのある瞬間です。
4人の頭から 一つのターゲットに向かって力強い糸が張られているように見えます。
なんか 祈祷師みたいな表現になってしまいましたが、そんなエネルギーを感じ取り うらやましくさえ思えます。
チームで仕事をすることのむずかしさは、いろいろ経験してきました。
やはり 一人一人の集中力が力を生むという自論に間違いはなかった と 改めて思い起こす一枚の写真です。
棟梁の細かい指示に従って 基礎の準備を進める 三尾さんです。
近所の方が 様子見に寄ってくれますが、その時出たオドロキの言葉に こんなのがありました。
「普通サ。基礎の時の囲い板は こんな新しいのは つかわないよ〜。」
はい。
それもそのはず、三尾さんは 材木やさんでもあります。
我が家の丸太は この 三尾さんの所に搬入されています。
基礎やさんは 基礎が終われば、
「はい お仕舞い。さようなら。」
このようになるものと思っていましたが、丸太の受け入れ先が 三尾さんのところと聞き、
ウチの材を使う限り、お付き合いいただくことになるわけで、なぜか 嬉しい気持ちになりました。
材木やさん兼業なので、新しい囲い板をつかうことも可能というわけです。
そして この季節 空梅雨ぎみとはいえ じめじめ粘土に車のタイヤを取られる。
これは やはり対策が必要でした。
侵入路から 建築予定の場所まで、砕石が敷かれていました。
基礎工事がはじまると、井戸水が飲料に適さない事が心配になりました。
上水道はなるべく早く引き込み工事を済ませて、工事を請け負ってくれた皆さんが便利なようにと考えていました。
基礎工事がはじまりましたが、上水道の工事について連絡がないので、どうしたものかと思っていました。
岩熊さんから、回答はこのようでした。
「10月になれば、20φの配管引き込みが、今より20万程度安くできるようになります。今は13φですが、太いのが来るので、それまで 井戸水を利用し、飲料水は それなりに準備します。」
「但し 左官工事になると 上水道の水は必要なので、調整をうまく配慮しますよ。」
今週中には基礎工事が終わります。
8月下旬の建前に向けて工事がはじまりますが、その間、飲めない井戸水で大丈夫ですよ という答えに
「そんなにしてもらって、・・」と 答えがみつかりません。
このように 配慮してもらったおかげで、20φの配管で来るとなると 裏山の上に水を上げる事に可能性が出てきました。
vivakenはまた言い出しました。
「山の上に、展望風呂をつくれそうだ!!!」
私は 「また始まったよ・・」と思いながら、こういって却下しました。
「家はやたらと背が高いのよ。(いわゆる タッパがある)だから 裏山の平坦なところに展望風呂をつくろうたって、家に邪魔されて 展望はききませんです。」
囲炉裏に展望風呂:宝くじにでも当たらなければ出来ません。
*****宝くじを買っても、当選番号を見るのを忘れる私たちでは、可能性がない。***
基礎工事の指示書は、基礎の外側に ぐるりと回された囲いの内側に、棟梁が 柱と梁の組み合わせから割り出した寸法が、記載されます。
新しく作るものならば、中途半端な数字にはならないのでしょうが、もともと 山にあった木を、組み合わせたものなので ○○尺○寸というところでが、0.5寸という寸法が出ていました。