たんぽぽ

ラジオからふと耳に入ってきました。

「散歩をしていたら たんぽぽを見つけました。寒くとも春なんですね。」

そうでした。
私もタンポポは 3月の声を聞かなければ そうそう見つかるものではないと思っていました。
数年前まで・・・

タンポポはどんぐり庵の ここの庵主が精を出して刈り払った日あたりのよい斜面では お正月の頃から もしかしたら じっくり観察すれば一年中タンポポが咲いています。
在来種だったり 首下の長い西洋種だったりしていますが。

お正月から出現しているのは 在来種です。

そんなわけで ”ふきのとう見つけた♪♪”に較べると
「おぅおぅ咲いているね(^.^)」というもんです。

なじみの花となった タンポポです。

◆◆本日のブログのRe:は書き込めない可能性があります。ご迷惑をおかけいたしますが、ご容赦お願いいたします。◆◆

作業着

普段の生活が変わってくると 日常の衣類が当然変わってきます。
毎日毎日 Yシャツをクリーニング屋さんに持参し引き取る生活は 作業着をポイと洗濯機に放り込む生活に変わります。

きっと クリーニング屋さんは 「この頃 来て貰えなくなったな。よそに行っているのだろうか。」そんなことを思ったりしているかもしれません。

その作業着。
◆どうせ今日も汚れる仕事だから 昨日と同じものでいいや。。◆
こう考えてしまう事があります。

確かに 作業着が汚れるか 汚れないかを問えばそういうことになります。
しかし 私は 身近にいる職人さんを見ていて思います。

作業着を毎日着替える。
サラリーマンが二日続けて同じものを着て出勤できない。
というのと 根底はチョット違うかもしれませんが、今日の安全を太陽に向かって手を合わせるように、神棚に一礼するように、朝 洗濯したものを身につけることはとても大事だと感じています。

自分の日常を大切にするというのは そんなところがスタートに思えます。

カーブミラーとパトライト

どんぐり庵から県道に出ようとする そのカーブには カーブミラーが取り付けられています。
もちろんこれは 道路の安全走行のためのものであり どんぐり庵の安全のためのものではありません。
ある意味で どんぐり庵は最もカーブが深い見通しの効かないところから 道路に侵入する事になります。

このミラーには パトライトも付けられていて 夜間のみならず 暗雲立ち込めにわかに暗くなったときにも照灯し 安全に寄与します。

西隣はかつて何回かカーブの目測をあやまった車両が飛び込んだ と言っていました。

どんぐり庵を購入したときには 県道が出来 敷地の道路に面する部分は擁壁が出来 侵入路もは動かしがたい物になっていました。
当時の地主さんは すでにご自分は別の土地で生活していたので 行政からこのようにしますね と 図面を見せられ時 ハイ分かりました と施工されたものでしょう。

事ほど左様に、目先の事以外は なかなか真剣に考えられないものだと 自分を映し出すわけです。

縁石の反射板

どんぐり庵の前を県道「一宮・大多喜線」が走ります。

どんぐり庵から道路に出るにあたり 道路のカーブと家からの出口のバランスが悪く 縁石を切り欠く事にした と いう経緯のある 比較的カーブの多い県道です。

もう3・4ヶ月が経ちますが この県道の縁石に 反射板が取り付けられました。
この道路のカーブと 各民家から道路に出るという日常の行為は どんぐり庵に限ったことではなく 危険がある と判断されたからでしょう。

私たちが 県や町に縁石の切り取りについて相談したときには その費用は行政の範囲ではない と いわれましたが 縁石の切り取りは認められました。
それ以外 「反射板なら付けられるが・・」という 独り言とも つぶやきともいえない 言葉があっただけでした。

行動して一年目位だったと思いますが なにやら 道路を測量している様子が伺えました。
何か やろうとしている事は推測がつき、今日縁石の反射板取り付けにより 夜間の道路の確認が非常に楽になりました。

かつて 中央高速道路が非常に暗く 「これが本当に高速道路かいな」と思ったことがありました。
この県道も夜間走ると大変暗く フォグランプが大活躍しています。
縁石の反射板により 道路の確保が確実なものになり 夜間走行に恩恵をもたらしています。

私たちが 「危ない!危ない!」と あちこちで言っていた事が もしかしたら反射板施工の小さな力になったかもしれないと思っています。

ビジネスの世界なら これこれのご意見に対し 今回このように対策をしました。
と 回答するところでしょうが もちろんそんなことはありません。
きっと 私たちの意見も参考になったのでしょう と 思っているだけです。 

木割れの音

新築の家は 木が乾燥すると供に木割れが入ったり 木と木の自然な調整があって あちこちで それを現す大きな音が発生します。

とりわけ ガランドウでナイショ話が出来ない「どんぐり庵」では その音が響き お正月に一泊した親戚は 眠れなかったと目をこすっていました。

3ヶ月にわたり スティーベルの築熱暖房機を稼動していた結果 通常の家屋は一年かかるといわれる その音がすっかりなりをひそめてきました。

時々 バキッ!と耳にしますが 本当に数少なくなりました。

日本海側は大荒れの天候で 自然の力を改めて感じ入るところであり ご安全にと願うばかりです。

そして 新しい春は着々と歩をすすめています。
 

のし餅

同僚から「マンションで餅つきをしたの」と のし餅をもらいました。

「薄いから すぐ焼ける」とコメント付でした。
確かに 薄く延ばされていて 知っているのし餅の6〜7割の厚さです。
確かに焼けるのは早いのですが 油断すると 特にグリルでお任せ なんていう焼き方をすると おせんべいみたいになってしまいます。

頂き物にもかかわらず 率直な感想を述べると

「あれはね〜 餅つき初心者が ただつけばいいと思ってついたものなのです。」

「主人にやらせれば 子どものときから その加減を知っているからそれなりのものが出来ますが マンションのみんなでやったものでして。へへへ」
と 「でもよくのびますよね。」と どこかいいところを強調して欲しいという雰囲気です。

「手作りのものは それだけで充分美味しいです。」と答え 彼女が納得したかしないか 「もう上げない!!」と思ったか  分かりませんが 結論は

「なんでも簡単そうに見えるけれど それなりに 経験と勘が必要だ」
と締めくくりました。

昨年の暮も押し迫った頃 ご近所に「なんとか 年内完成できました」とご挨拶に伺いました。
その中の一軒のお宅は 「昨日お餅をついたから 一枚持っていきなさい。」と手渡してくれました。
その美味しさを思い出し 今年の暮は 我が家の分もお願いしようか と思う次第です。

お赤飯に欠かせない”ささげ”

記念日が続きました。

雑穀ご飯、豆ご飯が好きな私は お赤飯もよいチャンスとばかりに 数Kgのもち米を買い込み
中々安定しない出来上がりにもめげずに、一人「これはこれで 個性よと」納得し、無理やり食べさせられるという 数人の心やさしき人を巻き込んでいます。

今回は 炊飯器でお赤飯を炊く事にしました。
蒸し器で作るお赤飯は、どうしても 心優しき数人から 「堅いぞ〜」と言う評価になります。
蒸し器で作るお赤飯の ちょっとした”コツ”この情報を入手していますが、時間の余裕がなくて 炊飯器で炊く事にしました。
チャレンジしたかったのですが。。

パナソニックの銅釜IHはお気に入りの炊飯器です。
付録のレシピには もち米100%の場合・・うるち米を1割混ぜる場合・・と状況に合わせた水加減のメモリはありますが じゃ〜 どれが一番美味しいか そのことには触れられていません。

そんなことより
お赤飯に欠かせない”ささげ”。
備中ささげがブランドです。
ブランドはともかくとして 国産のささげは 近所のスーパーでは手に入りません。
中国産ばかりです。

この時期中国産には手を出す気になりません。
それに お赤飯となれば 我が家だけではなく 「ちょっとあの方へ」といった気持ちになるものですから なおさらです。 

そうなると お取り寄せ。

”備中ささげ”の豆の価格が少々高いのはともかくとして、わずかなものに支払う送料って なんか辛いものを 感じています。

日本茶

朝 紅茶に始まる私のお茶とのかかわりです。

紅茶・コーヒー・煎茶とどれも奥深く こだわればキリがありません。
煎茶を除けば ほとんどこだわりなく 西友特選グレートバリューなどを飲んでいます。

ところが 煎茶となると あまり日常的でなくなったことも手伝って、これは美味しい・美味しくない と シビアーな評価をしてしまいます。
また 高価な煎茶を心ゆくまで味わう状況にないこともあって 開封したものの美味しく飲みきるには 絶えずお茶・お茶と頭においておかなければなりません。

冷蔵庫の中で すっかり風味もうせて 「あ〜 また もったいないことをした。」と自責の念にかられます。

どんぐり庵のご近所の話を聞くと 昔はどの家でもお茶はつくっていた様子です。
恐らくその味わいは 今わたしがあ〜だこ〜だいうものとは全く違うのでしょうけれど、自ら摘み取り 自分と家族のために加工して 日常の一杯のお茶をいただくという 手の届かない何か 懐かしい光景に思えます。 

外房線特急 新宿行き

夕方の新宿行き 外房線特急に乗ってみました。

自宅に着くまで 二回の乗換えがありますが どれもこれも シャカシャカと乗り場に行けばいいタイミングで電車が入ってくるという時刻構成になっています。
ウン百円の特急料金は目的地にすばやく到着するばかりでなく その後の乗り継ぎも この特急にポイントを合わせているかのように体験しました。

特急は全車禁煙でした。
大歓迎で乗り込むわけですが 私が乗ったこの電車に限って言えば ついでに飲酒禁止にしてもらえないかと思うほど あちこち ビールにサキイカ・ピーナッツの宴が盛んです。

ゴルフ帰りを見込んだ電車だからでしょう。
本日の復習をしている グループがあちこちで楽しそうにしていました。

次第に鼻も慣れてきますが 電車おのぼりさんとして ついついあちこちに目が行ってしまう私としては サキイカ・ビールはやめてくれ〜。。くさいじゃん。
ってところです。

プレミアム電車に乗って時々思い出す父の言葉。

「新婚旅行でグリーン車に乗っていたって別にかまわないが、その人たちが子ども連れて外出するようになったとき 指定席も取らず 子どもを抱えて 時には乳飲み子をかかえて 混んだ自由席に乗ることになるんじゃないか。。グリーン車に乗っている新婚とおぼしき人を見ると どうもそこに頭がいってな。金の使い方だよな」

グリーン車に乗れない私です。

生い立ちを知る

友達が持っている「鉄瓶」は 私がイメージする”南部鉄器”とは 少し違った姿をしています。

本体部分が いぼいぼではなく トゲトゲしたデザインです。

写真でその姿を見たときには、
「おや〜 またなんか珍しいものを 発掘したね」
という印象でした。

さて その鉄瓶。
所有者である友人はこう語るのでした。
「東北旅行をしたとき 友達の車の中に いかにも 棄てようかどうか迷っているという感じの この鉄瓶がありました。
聞くところによれば 彼の奥さんが棄てようとしたけれど それも出来ず 置く所もないのでここにある。」
そういう状況だったので 
「大事に使うよ。」
と貰い受けたというのです。

これが 経緯だそうで 聞けばどこにでもありそうな話しです。
この先の コメントがとても大切です。
聞けば誰もが 笑顔になりなんとなくホットします。

もともとは ”つるさん”という人が使っていたものだそうです。
この鉄瓶の蓋には 鶴が彫刻してあって つるさんが鶴の彫刻に引きこまれて買ったものか
つるさんに愛情を注ぐ人が つるさんのために作ったものかはわかりません。

しかし つるさん は時に触れて 「わたしは つる という名前で この鉄瓶には 私のお印がしてある」と いとおしんでいたに違いない と 思うのです。

ともかく 再び大事にしてくれる人の手に渡ってよかったな と思います。

鉄瓶は 長火鉢の上で お客さんを迎えては何かを語りかけているそうです。

ホットライン

どんぐり庵の東西に 同じ名字をもつ数軒の隣人がいます。
その昔 血縁関係で構成された一つの集落だったことがうかがえます。

先日 西隣が体調を崩し 救急車が出動しました。
結果は 前日からの体調不良が依然解消せず 大きな病の前兆であることを心配し、病院に搬送して貰ったという状況でした。

お隣に救急車が到着した事を知ったとき、私たち夫婦は すぐ様子見に行くべきかどうか迷いました。
私たちが育った環境の中では そういう場合はそっと心配し 少し時をおいてから
「いかがですか。。」と様子見に伺うといった事になります。

二人で 「どうしようか。。。。」
といっているうちに どんぐり庵の前を 東の隣人がゆっくりと歩き 救急車を要請した西隣に向かっていきます。

そっか こういうタイミングかとばかりに 後ろに続きました。



それから 1時間も経たないうちに 仲良し二人連れがどんぐり庵に見えました。
西隣がどんな経過で救急車を呼んだのか 細かく説明してくれました。

まるで 一帯全戸につながるホットラインでもあるかのような 詳細な事情説明でした。
インターネットの掲示板は不要です。

県内唯一の空白圏

「がん診療連携拠点病院」のことです。

千葉県は地域を9つの医療圏に分けて 千葉県民にがん治療が行き届く体制づくりをすすめていて 今年新たに6箇所「がん診療連携拠点病院」に指定をうけました。

そこで 9つに分けられた医療圏の中で 唯一の空白圏 

それが
山武・夷隅・長生 にまたがる 山武夷隅長生医療圏 です。
わが町も 当然含まれています。

そして 県の見解は
「この地域は人口が少ないため 拠点病院を整備する計画はない。」
近隣の拠点病院に行ってください。

このような 現在の状況です。

私達がこの土地を選び 従姉妹に報告したとき
真っ先に聞かれた事は 
「設備の整った病院は近くにあるの?」

「鴨川に亀田病院があるけれど 近いとは言いがたいわ。。」
と会話を交わし 
「近所の先生で手が届かないような事になったら 運命とあきらめるしかないわ」と思っていましたが、人口が少ないということで 簡単に行政から「計画はありません」と明言されることに 都会田舎人は大いに 戸惑うのでした。

消毒

思わず口を滑らせ 大叱責・・

どんぐり庵の前庭は コナラを植えるらしいですがまだ手付かず。

直にお彼岸うを迎えるともなれば 植え替えを急がないとなりません。

チョット拝見・・
とご近所の仲良し二人連れが見えました。

「これから庭造りが楽しみですね」
といわれ 「構想がまとまっていなくて・・」と逃げ腰の答えをする私でした。

「実のなるものを植えるといいわよ。」
「みかんとかブルーベリーとか とか とか」

そこで 私のつぶやき 「消毒が大変そうで・・」

と ここから一気に
「せっかく田舎に住もうというのに、消毒なんてしないのよ。無農薬よ。」
「この辺に人は 商売でやるわけじゃなし みんな消毒なんかしないのよ。」
「そこが 田舎の暮らしのすばらしいところじゃないの。」


そうだ。
そういうものだと 虫なんぞ一緒に暮らせ と ケヤキの古木さんにも言われたっけ・・・・・・

へら絞りの照明セード

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メイドインジャパンに少々のこだわりがある私ですが、価格差で そうとばかりも言っていられない事はショッチュウで あんなもの欲しいとイメージすると 買える価格帯を探り 原産国などドッカに吹っ飛んでしまいます。
挙句の果てに 使い勝手がどうのこうの文句を言っています。

今回のペンダント照明は 今の住いから30分も車を走らせれば工場があるというメーカーのものです。
セードはへら絞りで加工されています。

仕事の関連で φ300までならへら絞り加工の価格が見当がつく私は このセードがへら絞りであって 妥当な価格だという事を確信しました。

雰囲気を楽しむ硝子セードも 魅力的ではありましたが シンプルを追求してこれを選びました。

電球は別途購入。透明だったり 乳白色だったりしていますが、書斎・作業場の機能も付加するので ただ今検討中です。

傷害保険

保険商品を精査して 代理店と相談して決めるというのが殆どです。

いったい何歳までの規約になっているのかさえ 殆どの商品案内には書かれていません。
ある保険会社の 相談窓口に 「この傷害保険は何歳までの商品ですか」と聞きました。

まさかこんな答えが返ってくるとは思いませんでした。
「各支社にまかせてあるので 直接確認してください。」

これは 保険契約の年齢上限がケースバイケースだという回答だと理解しています。

自動車保険は何回か使うことになったことがありますが、契約内容から一厘たりとも外れる事はありませんでした。

傷害保険で最も基本となるであろう契約の年齢の上限が はっきり明記されているのは 知る限り一社だけ。
60歳を過ぎれば保険料の見直しをしますと書いてあっても 具体的にどういう価格になるのか パンフレットやWebサイトで確認できないのです。

照明

照明器具は 大体納まっていますが 長持ちする電球とかいって最初は薄ボンヤリ 暫く経ってやっと本来の明るさになるという あの電球には全くもって慣れるということが出来ません。

「年寄りの電球交換は やすやすとできるもんじゃない」
こういわれれば 電球交換をしない私が なんじゃら言える立場ではありませんが、こんな意見をメーカーが聞き入れてくれればという ささやかな願いです。

最後の照明になるであろう 3灯の電球がついたペンダントを手配しました。
1台しか購入しないのに 代理店価格で販売してくれとメーカーに頼んだものの一蹴され 規定どおり定価での購入です。

来週には到着するはずです。

【ニューイヤー・コンサート2008】を聞きながら

2008年へのフランス風スタート
とサブタイトルのついた ジョルジュ・プレートルが指揮した今年のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを 旧暦の新年に向け聞いています。

ニューイヤー・コンサートの明るさは 気難しい気分など吹き飛ばし 明日があるさという元気がわきます。
短編小説のように曲目が変わることも 私風なのかもしれません。

新しい年に向け 舞踏曲のように優雅に 行進曲のように軽快に この年を過ごせたらと こんなにも強く思う年は今までかつてなかったことです。

施主支給

家を建てるということは 様々な業種の集まりであると供に、多種類の備品の購入が発生します。

工事を伴う備品は 施主支給の工事は工事やさんに大変嫌われるので差し控えてきました。

そんな中で 加工となれば話は別でした。
梁や柱という大物を施主支給したわけで その 再生をやり遂げた大工さんは大変でした。
そして 古建具もまた施主支給としました。建具やさんの仕事です。


あちこちから買い集めた建具類を ゲタをはかせたりするなどの寸法調整をお願いするわけです。
仕事振りに立ち会ったのは玄関の蔵戸をはめ込んでもらったときだけでした。その他の現場作業に同席できなかったのは 「惜しい事をした」と思っていますが 加工だけの仕事をしてもらえました。

ケヤキの蔵戸のチュー助のカジリ跡も その部分を切り取って そこに当て木をして繕ってくれました。
木部の補修は 建具屋さんも 大工さんもなんなくやってしまいます。

余計な事かもしれませんが 古建具を使いたい。加工してもらう。という場合の注意点があります。
時と場合によっては 雨染みはそのまま 長年の埃はかぶりっぱなっしという場合があります。
この頃は きれいに清掃されたものも多く出ていますが。。

きれいに洗ったり リメイクは自分でする。
または 別途費用をかける といった事が必要になります。
 


旧暦の新年

旧暦では 今度の木曜日 7日が元旦です。

暦に合わせるように”どんぐり庵”の引渡し確認が終了し、完成図書の提出を待つばかりとなりました。

2006年6月に着工し 2008年2月完成 と長い年月がかかりました。
とはいえ 子どもの頃に較べると 加速度的に年月のたつのが早くなり その分時間の重みはなくなり 覚えることより忘れる事のほうが多くなってしまった現実と向き合っていると、振り返れば一年半とはいえ 終わってしまうと思ったより達成感は希薄なもので、これからの人生どう過ごすかの環境が整ったと一息つくぐらいのものでした。

一年半の間に 優先順位が下位に追いやられ 手をつけなかったいろいろを処理し始めたり先々のことを考えたりしています。

この区切りが 旧暦の新年と重なるというのは とても明るい気持ちになれます。
【明日がある】 ということは とても幸せなことだと つくづく感じます。

立春

今年も 早 一枚目のカレンダーは終わってしまった。

立春 節分を期に 運勢が変わると 年々の運を見ていた舅を思い出す時期でもあります。

先日近所の博物館に足を運ぶと ヒイラギとイワシの魔よけが数箇所に下げてありました。
そのイワシですが 真ん中から切られていて ヒイラギとイワシの上半身だったり 下半身だったりするのです。

”こんなこと有りかな〜”
と さりげなく案内のボランティアの方に尋ねると、「チョット確認してきます。」と姿を消し 暫くすると 戻ってこられました。

その間に そこで貰ったパンフレットに目を通していると
やはり 節分の魔よけは ”ヒイラギとイワシの頭”と書いてあります。

ボランティアのかたはこう説明しました。
「本来はイワシの頭なんですが、勿体ないので・・・」

要するに 魔よけとして庶民が玄関先にぶら下げたイワシは 食べられるところはちゃんといただいて その頭は残し 魔よけとした。
しかし 博物館でメザシを焼くわけにもいかないので 真ん中から切って、それなりの魔よけとした。

なんか いいような悪いような 中途半端な感想をもちました。

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tiara
里山の暮らしはいかに・・。
vivakenのカーチャンとか オッカーとか 呼ばれる日が、来るのだろうか。

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