折に触れて

日常的なことというのは、当たり前になってしまいやすく、初めは大きな感動や喜びを感じたものも徐々に当たり前のこととなるのが常です。


いろいろな家を、自分たちの家作りを念頭に置いて見てきました。
”見上げ”と表現したりしますが 吹き抜けで家の構造を見せている建物には関心があります。

川崎の民家園や 江戸東京たてもの園なども見てきました。
その時はすばらしいと 感動する建物はいっぱいありました。

そんななかで、私が 天井を見上げて つい 微笑を浮かべてしまうお家があります。
「微笑みを浮かべてしまう。」この大きな理由は、設計士さんを知っていることであったり、友達が苦労していた姿を見ていたからかもしれません。

このお家をリフォームすることになって、この家に住む友人は ある日私たちを、設計士さんに引き合わせてくれました。

いわば ホンのチョットの出合いなのですが、印象的な方でした。

そして 家が出来上がり 天井を見上げ 友人や設計士さんに、「さすが うまくやりましたね・・」と 思わずニコッとしてしまいました。

私は この家に上がりこんでは 天井を見上げ 設計士さんを思い出し つい 微笑んでしまいます。
タブン友達にとってこの天井は 当たり前のことになっているはずです。
意識はしないけれど、心地よい空間を享受している。
日常とはこんなものでしょう。

折に触れて その素晴らしさを認識するとき 作り手やかかわった人たちの 汗や苦労を自分のこととして捉える事が出来ると、意匠だけの美しさではない奥深い喜びを、自分自身で見出す事が出来るものだと思うようになりました。

2006/04/27(Thu) 08:23:30 | 古民家再生日記
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tiara
里山の暮らしはいかに・・。
vivakenのカーチャンとか オッカーとか 呼ばれる日が、来るのだろうか。

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