3回目の睦沢正月

睦沢で 今年は 3回目の正月です。

DSC01859-02.jpgこれは 初めての正月 2005年1月3日です。
もちろん 暖を取る事などなく 裏山に倒れた木々はいっぱいありましたが、それを燃やして暖かくしよう等、思いつきもしませんでした。
この年 このテントは大活躍し、休憩や昼食はもっぱらこの中で過ごしました。
そして この年 土地購入から丸一年を経ることなく、移築再生を決意するような決断を自分達で下すなど 想像もしていませんでした。


2006年 去年の正月は 2005年の5月に購入した物置がもっぱら休憩場所となりました。
窓がなく 明かりもありませんので 前面を開放し お雑煮などすすっていましたが、初春の日差しはすでに力強く、不自由とも不便とも思わず過ごしました。
ともかく このままでは 民家再生はかなわぬものになるぞ という緊張感が絶えず私たちにプレッシャーをかけていました。

この民家を探し出してくれた石川工務所さんに屋根下地まで依頼し、地元業者が完成させるという構想は 予算という線から根底から崩れました。
石川社長・建築士 網野さんの「小さくするしかありません。」という提案を受け入れず、なんとか なんとかこのまま(このままの大きさで)移築したい。
強く希望を持っていました。


東金にある 「守門」
あそこは古民具だけじゃなくて 移築再生もやってたはずだ

vivakenのこのひらめきで、女神が微笑みました。

話を聞いてくれた岩熊さんには、このままの大きさで家を作ることは 私たちの予算ではまず無理だろうと、覚悟を決めて打ち合わせに臨みました。

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その頃私たちは 私たちを名指しで語られている気分にさせられた
【再生民家というのは「規模を縮小する」という「判断と決断」が不可欠なわけである。】
という あるメルマガの一文に触れ、大変寂しい気持ちになっていました。
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そんな中で 岩熊さんはさらりと「小さくしたくないのですね。」「金額をはじいて見ますよ。」

心の琴線に触れるというのはこういうことだと思いました。
Webの向こう側には絶えず人が居るわけですが、つながりを持つ人をターゲットに 一般論として 私たちの事を語られたように思え、傷ついた私たちは 事実には違いないので尚更、意気消沈していました。
 
岩熊さんという人から 改めて取り組むエネルギーを得たのでした。

2007年正月を迎え、窓が入り 2階部分は断熱材も張りこまれました。
少々薄暗いのガマンし、お雑煮を温め初春の日差しの力強さを感じながら、サードステージへ準備を進めます。


2007/01/05(Fri) 13:11:11 | 古民家再生日記
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tiara
里山の暮らしはいかに・・。
vivakenのカーチャンとか オッカーとか 呼ばれる日が、来るのだろうか。

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