丸一年
諏訪で解体が始まったのが、去年の8月でした。
あれから 一年です。
昨年の忘れられない思い出。
昨年7月29日は金曜日でした。
30日(土)に解体前の最終確認をする約束があり、
vivakenは 当時具合を悪くしていた、父を見舞い 夜8:00を回る頃 前泊を予定した「湯村温泉」に向かいました。
父は、一緒に見舞っていた妹に、「家のことがあるのだから早く帰りなさい。お父さんは大丈夫だから」そう促していました。
妹は「うん 分かった。」と病院をあとにし、暫くしてvivakenも 病院を出ました。
そのあと30分もしないうちに父が急変する事など想像もしていませんでした。
私は 今晩は病院に泊まり、父の気分がよさそうだったら 大好きな「マンゴー」を食べさせようなどと思っていました。
父はその晩 逝去しましたが、vivakenには これからの住いの最後の姿を確認してもらいたいと思い、すぐには連絡を入れませんでした。
湯村温泉到着の連絡がきて その返信に父が逝去した事を伝えると、「明日はキャンセルする。」こう返事が返ってきました。
こうして 4〜5時間の睡眠をとり vivakenは帰路につきました。
今になると、「温泉に泊まって温泉に入らなかった」 こんなふうに笑い話になりました。
私たちは 諏訪でこの建物を見たのは 一回だけでした。
それも この建物を移築再生なんて自分らに出来るわけがない そう思いながら見ていましたから、細部にわたる検証など何にもなくて、ただただ なんかすごいな〜 こんな気持ちで眺めていました。
早いもので あれから一年が経ちました。
あれから 一年です。
昨年の忘れられない思い出。
昨年7月29日は金曜日でした。
30日(土)に解体前の最終確認をする約束があり、
vivakenは 当時具合を悪くしていた、父を見舞い 夜8:00を回る頃 前泊を予定した「湯村温泉」に向かいました。
父は、一緒に見舞っていた妹に、「家のことがあるのだから早く帰りなさい。お父さんは大丈夫だから」そう促していました。
妹は「うん 分かった。」と病院をあとにし、暫くしてvivakenも 病院を出ました。
そのあと30分もしないうちに父が急変する事など想像もしていませんでした。
私は 今晩は病院に泊まり、父の気分がよさそうだったら 大好きな「マンゴー」を食べさせようなどと思っていました。
父はその晩 逝去しましたが、vivakenには これからの住いの最後の姿を確認してもらいたいと思い、すぐには連絡を入れませんでした。
湯村温泉到着の連絡がきて その返信に父が逝去した事を伝えると、「明日はキャンセルする。」こう返事が返ってきました。
こうして 4〜5時間の睡眠をとり vivakenは帰路につきました。
今になると、「温泉に泊まって温泉に入らなかった」 こんなふうに笑い話になりました。
私たちは 諏訪でこの建物を見たのは 一回だけでした。
それも この建物を移築再生なんて自分らに出来るわけがない そう思いながら見ていましたから、細部にわたる検証など何にもなくて、ただただ なんかすごいな〜 こんな気持ちで眺めていました。
早いもので あれから一年が経ちました。
2006/07/28(Fri) 08:13:58 | 古民家再生日記