小屋組みを見上げて

物事には万事当てはまる事かと思いますが、実際に自分が手がけた事は、その一瞬から全く違う比較回路が働きます。

梁や柱は 私たちが手を出さなくとも 磨き上げられ引き渡された事は間違いがありません。

DSC05335-02.jpgしかし 自らの手でホコリを払い落とし磨きをかけると、よりいっそうの愛着が生まれるものです。

舞い散っている綿ゴミが サーモウールだからいいようなものの、グラスウール系であったなら、いつまでもチクチクといやなものが残った事でしょう。
当初 予算は グラスウールで組みました。というか グラスウールを見落としていたというのが正しく、そろそろ断熱材の準備となった頃、「アヤ! これって、まずい。」と修正したものです。追加金額が発生しましたが、グラスウールの欠点を知っている私は、もしそのまま「マッ いいか」とグラスウールだったら この古材磨きに 装備のない我が家では手を出させなかった事と思います。

話は戻って、自分で磨いた柱や梁へ愛着は ただきれいになったね だけではなく、「お前達 頑張るんだぞ。」と 願いと気が入ったので、尚一層 家になじみ その存在感を身近なものと感じるようになりました。
2007/01/09(Tue) 08:06:33 | 古民家再生日記
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tiara
里山の暮らしはいかに・・。
vivakenのカーチャンとか オッカーとか 呼ばれる日が、来るのだろうか。

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