■■■vivakenどんの家作り:年譜2005年■



ナイスシニア・・ハッピーライフを目標に 普通の夫婦が 定年後の暮らしを考えているうちに、千葉県長生郡睦沢町 に暮らすことが決まりました。
千葉県長生郡睦沢町ってこんなところです。
そんな 道のりを vivaken と tiara というニックネームで 綴っています。
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2009年7月の様子
■2009年7月の様子
【母屋】 【裏山】 整然と並んだ瓦と 使われなかった材の組み合わせで構成された【古木庭】 【車庫】からなる どんぐり庵のほぼ外観全体です。徐々に植え込んだ庭木はまだまだ華奢ですが いずれは 勇姿を見せてくれるようになる事と 思っています。
2009年7月16日 掲載
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2005年 正月
■2005年 正月
前の年には こんなに早く移住先が決まることなど想像もしていなくて、まさしく 「まさか」の出来事でした
冬枯れの里山の光景を眺め、思っていたより 寒暖の差が大きい事に驚きました。睦沢に来ると、氷は張っているわ、霜はおりているわ で 同じ千葉県でも 今住んでいるところとこんなにも違うものかと思いました。
西の隣地に作業小屋を解体したまま 残がいが放置されていました。里山の景色は美しいものであって欲しいと望んでいた私たちは、所有者の許可を得て、整理をし始めました。使命感というより、すぐ目の前にそんなものがあることが、なんとも つらかったからです。
燃やせるものは燃やし 金属はスクラップ屋さんを呼んで引き取ってもらいました。
そして山は整備の話が具体的に進み始めました。
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2005年 2月
■2005年 2月
西の隣人は、山の整理に人が入るなら、樹齢40年をこえる杉 3本を切ってくれないかといい、切った木は好きに使って欲しい。と持ちかけてきました。私たちは、出来れば地元の木を使って家を建てたいと考えていたので、頂戴しました。
そのうちの2本は 天皇陛下ご成婚記念として植えられたものと聞き、思い入れのあるものを本当にいただいていいのかどうか迷いましたが、所有者は、斜面に植えられたその杉がいつ倒れるか分からない という不安を解消したい。その意向が強く感じられ 私たちの少々のとまどいは、危惧に終わりました。
山の倒木 倒竹が整理され 山から下ろされました。この木々の焼却は 私たちがやるということで、予算を縮小したので 夫婦二人燃やせる場所まで引きおろし、3〜4箇所の燃やし場を作り、毎週毎週火燃しをしていました。古竹は爆竹となり 最初こそ近所を驚かせましたが、だんだん 「あの 二人は働き者だ」の評価をもらうようになりました。
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2005年 3月
■2005年 3月
3月になっても まだまだ 燃やしきれず作業はつづいていました。
気候は温暖な年で、初めて植えたソラマメやキヌサヤが成長するのがとても楽しみでした。じゃがいもを植えつけたりしながら、粘土質の土壌に手を焼き 耕運機のそれも大型の耕運機の必要性をヒシヒシと感じました。
その後 中古の耕運機を購入し、これにはセルモーターが付いていたので、刈払機の始動がうまくできずにいらいらさせられていた私は、始動が楽チンで とてもうれしかった。
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2005年 4月
■2005年 4月
たけのこ山でどんなことが起きるのだろうか。初めての 自分の山でのたけのこ狩りを心待ちにしていました。いっぽ〜ん・・にほ〜んと大喜びしているうち、トップシーズンには 近所に配っても、親戚や友達に送っても 食べきれるものではないことが分かっってきたし、斜面における たけのこ堀が大変なこともよく分かりました。
でも 自分の家にたけのこがでるなんて 想像したこともなかったので 大変うれしく、こうして春を感じられることに充実感を味わいました。
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2005年5月
■2005年 5月
ソラマメやキヌサヤが 思ったより順調に生育したことに気をよくし、夏野菜やサトイモを植え付け、散水用の水が必要となっってきました。地元の人の畑には、それぞれ 井戸がありますが 水質が悪く 飲めない 畑にまくだけのものです。
水道でもよかったはずが、なぜか 井戸を掘ってみようかという話になり、掘りました。しかし 飲用には適さず、鉄分が多いので車も洗えない 洗濯もできない そんな井戸をもつことになりました。
出来れば 沸かして鉱泉にでもならないものかと 検討しましたが、結局散水だけでいいよね と話は収まりました。
山の手入れにやっと着手できる状態になりましたが、重機はないし 私たち二人が日没まで作業しても 出来る事といえば知れたものです。
本日の作業予定の打ち合わせなどしないので、二人でてんでんバラバラ 苦労だけを共有していました。
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2005年 6月
■2005年 6月
草刈もだいぶ腕を上げたというものの、敷地が広いので、二人ではなかなか終わりません。やれやれと思ったころには、スタートラインが草刈の催促をしているという按配です。
vivakenがぼつぼつはじめていた民家探しは このままでいいのか 妙に気になりだしました。私は このことに対してほとんど傍観者で その話をニコニコ聞いているだけでした。どちらかといえば 重っくるしく、暗くって・・というのが民家に対する印象だったのですが、ある日 ネット検索をはじめました。
そしてある日、いつもは 上位10箇所も見れば次の検索に移る私が、何ページも追いかけました。これが これから先の苦労の始まりでした。
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2005年 7月
■2005年 7月
石川工務所さんのサイトに行き当たりました。「7月20日までに 決断が出来る方を探しています。」という 解体寸前の民家が掲載されていました。
もともとは新潟のもので、それを諏訪湖畔にレストランとして移築されたものでした。太い柱が印象的で 今後のためにも 見るだけみてみたいな。と、現地見学の申し込みをしました。
ともかく私たちの予算が限られているのだから、その範囲でできなきゃあきらめよう。私たちが これを手にすることなんか出来るはずがないけれど、ま〜行って見てみようじゃないの。
ところが、提示した予算で やれないことはない。やりようによってはやれるのじゃないかという返事を聞き、やれるなら やってみようよ その 民家移築再生。  と 幕が開きました。
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2005年 8〜10月
■2005年 8〜10月
アルケドアティス 網野さんに、設計依頼をし、解体前の現地採寸、CG作成、睦沢の測量とすすみました。
移築再生を決めてから、3ヶ月が経って、見積もりが出ましたが、とても最初に私たちが提示した予算でまかなわれるものではありませんでした。間取りの変更・スペックの変更などなど検討しましたが、架体が大きいことと、石川さんと こちら現地施工者という分離発注を余儀なくされていたので、家を小さくする以外に、予算の中で実現するのはかなり難しく思えてきました。
分離発注の理由は 新潟のこの民家を再生できるのは限られた人でしかなく、経験が大変大きなウエイトを占め、それをやれる人は、千葉県にはいないだろうということが、大きな問題点でした
私たちは 私たちの提示した予算で出来ると聞いたから、この民家移築を決意したのに と ただただ 嘆いていました。やりようによってはやれるのですよ そういわれても 承服できませんでした。
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2005年 11月
■2005年 11月
打ち合わせのために、塩山市へ出向くのも、経費・時間の無駄と思い始めました。インターネット電話で 通信費を浮かせたり、ともかく 私たちの希望をかなえたいと、条件・予算ともに譲歩しませんでした。いったい 何が間違いの始まりなのか その点を追及したところで、解体した民家の所有者である私たちには、すでに意味のないことになっていました。民家再生リサイクル協会が出した事例集に 総工費が載っているのを見て、これでできるのに なぜ こういかないのだ。なぜだ・なぜだ・・こう思っていました。
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2005年 12月
■2005年 12月
石川社長は 睦沢を訪ねてくれました。この民家を紹介した責任が社長にはある。というお考えでした。私たちは短絡的に では 希望をかなえてください と話しましたが、やはり この容積のものを、塩山市から出張員を出して完成させるのは、私たちの予算では無理なことでした。
小さくした家の図面をもらいました。二人で暮らすなら程よい大きさのようにも思いました。デザインも 民家移築再生を考えからはずせば、さすが 石川社長の提案だな と思えましたが、だからといって、この民家に手を加えて家作りをするパワーは生まれませんでした。


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