■■■vivakenどんの家作り:年譜2006年■


ナイスシニア・・ハッピーライフを目標に 普通の夫婦が 定年後の暮らしを考えているうちに、千葉県長生郡睦沢町 に暮らすことが決まりました。
千葉県長生郡睦沢町ってこんなところです。
そんな 道のりを vivaken と tiara というニックネームで 綴っています。
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2009年7月の様子
■2009年7月の様子
【母屋】 【裏山】 整然と並んだ瓦と 使われなかった材の組み合わせで構成された【古木庭】 【車庫】からなる どんぐり庵のほぼ外観全体です。徐々に植え込んだ庭木はまだまだ華奢ですが いずれは 勇姿を見せてくれるようになる事と 思っています。
2009年7月16日 掲載
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2006年 正月
■2006年 正月
地元の業者に当たってみようと、動き出しましたが、経験のあるところは値段が高く、あとは やってみたいけれど やったことはない。なかなか思うように行きませんでした。Webで検索しても ぶつかるのは 高い 遠い 去年の二の前になりそうな話ばかりでした。
月末には 石川さん・網野さん両者により 家を小さくした最終案が出されました。
私たちは私たちで、5〜6年前 東金市にある”守門”を尋ねたことを、思い出すと同時に、新潟の民家を移築したりしていたはずだとコンタクトを取り始めていました。
移築再生を成功させるには、一括で発注して 完成させる方法しかない。この考えは確たるものとなっていました。
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2006年 2〜3月
■2006年 2〜3月
石川さんから出た最終見積もりの 見積もり期限は切れましたが、回答を出すことなく日が過ぎました。
”守門”さんに話を聞けば、民家移築は新潟の物件を中心に、やってきたといい、設計・管理も含めてやります。担当の岩熊さんは 私たちが時には愚痴を交えて話し込むのを、根気良く聞いてくれました。慎重にスペックの説明をし、これからの生活、夢をも含めて理解してもらおうとつとめ,折り合える線が見えてきたときには、本当に心が安らぎました。
人生最後の大きな買い物は 引き取り手を捜すこの民家と出会ってから 半年がたって実現の手がかりが固まってきたワケです。背負った荷物が すっと軽くなったことを感じました。
守門さんに 岩熊さんにお願いしよう。私たちの決意は固まりつつありました。
さて 石川工務所さんから古材うを引き上げることを了解してもらえるか?この交渉が 私たちの 緊急の責務となりました。
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2006年 4月
■2006年 4月
石川社長には 面会の上理解をしてもらいたいと思いました。伺いたい旨連絡を入れると、行事が重なり 大変お忙しい様子でしたが、時間を空けていただけると、連絡をもらいました。
「ところで よろしければ ご用向きを。。」と尋ねられ、「古材を引き上げたいので、そのお話を・・」というと、
「わざわざそのために出向く必要はありません。お話の内容は了解しましたから、こんど施工する方と同行できる日を、改めて設定しましょう。」
私は もっともっと厄介なことを想像していましたので、石川社長のスマートな対応に、またまた 大きな肩の荷を降ろしたのでした。
石川工務所さんは、この古材の引き取り手を探していたというのは、石川さんが施工すると言う建築条件が付いた物件のようなものでしたから・・。
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2006年 5月
■2006年 5月
段取りが付いて、石川工務所さんが保管している古材を確認に行ける日が決まりました。
現地で 守門さんのメンバーと落ちあい 事務所での少々の打ち合わせの後、格納されている倉庫へ向かいました。
参与の伊藤さんも待っていてくれて「役に立てなくて 悪かったね。」こんな挨拶から始まり、伊藤さんは自分がやろうと思って作った資料だといって、写真とコメントをつけた きれいに整理された冊子を手渡してくれました。これはその後岩熊さんや 棟梁の貴重な資料となりました。
引き上げの具体的な日程・方法にも触れました。引き上げを決定した以上は、なるべく迅速にことを運びたいと思いました。私たちには コーディネィトする自信がなく、その事は 顔色に表れていたことと思います。
伊藤参与が一言 自分が積み込みの立会いをするからと申し入れてくれたときには、満面笑みに変わり ヤレヤレ引き上げは心配なく進めることが出来ると、確信しました。
そして 月末には 中村神主さんにより 地鎮祭が執り行われました。行事というのは、うまい具合に出来ているもので、心静かにこれからのことを祈り 心構えを整えると同時に、今までの出来事が山あり谷ありだったとはいえ 希望が叶う方向に着実に歩みが進められたことに、心から感謝するいい機会となりました。
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2006年 6月
■2006年 6月
いよいよ 古材の引き上げの日程が決まりました。総計で10Tトラック2台と 4Tユニック2台の配車となりました。
梅雨のはしりで お天気を心配しましたが、運よく 晴れ間の中で作業することが出来 終了 と連絡をもらったときには 改めて やれやれと肩の荷を降ろしました。
ややしばらくして、現地では 基礎工事がはじまり、木枠の中にコンクリートが流し込まれ、ここが土間 居間 台所と具体的な、割り振りが見えてきました。
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2006年 7月
■2006年 7月
例年通り 7月10日ごろには 黒豆の種まきをして、枝豆を賞味しよう。そんな思いの頃、睦沢に古材を迎え入れました。再生する敷地内で、部材の確認と刻み作業が行われる事に決定しました。
なんか分からない先のとんがった部材。今でこそ サスとそのサスを受けた梁の関係など スラスラと表現できますが、このとんがったヤツが、茅葺の屋根を 吹き付ける大風から柔軟に守り通した事など、想像も出来ませんでした。棟梁の部材チェックが始まりました。
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2006年 8月
■2006年 8月
じめじめと梅雨がナカナカ明けきらなかった7月を過ぎ、お盆休みが明けると、工事はいよいよ佳境に入りました。残念ながら 指鴨居の組み立てに同席する事は出来ませんでした。建物として組みつけられていたときの古材たちは、それぞれそれなりにおとなしく収まっていましたが、いったん其のタガをはずすと、てんでんバラバラ 好きな方を向いていました。その材に矯正をかけたり、強引に組み付けたりという 言ってしまえば それだけの事ですが、経験と感なくしては なし得ない作業が行われました。
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2006年 9月
■2006年 9月
梁の上をおっかなびっくり渡りながら、通し柱の様子などを、心ときめかせながら眺めていました。特に2階部分はいろんな柱があって まるで 森の中に居るようだと思ったりしました。天井も壁もないのに まるで自分の部屋の中に居るような気分に浸っていました。写真正面に見える柱は3次元にうねっていて、最初はこの柱に建具をつなげる事を検討しましたが、結局は 単独で部屋の中でダンスをしていてもらうことにしました。材優先の部屋割り・部屋作りです。まだまだ 夏の暑さは続いていましたが、中旬を過ぎると 近辺では稲刈りの準備が始まりました。
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2006年 10月
■2006年 10月
屋根が形になりました。越屋根は作業場で組み立てたものを クレーンで載せました。棟梁は越屋根を載せるに当たり「何回やっても 屋根の切りかきに 越屋根がビシっと決まるかどうか、心配で夜も眠れない。」と言って、私たちを笑わせていました。越屋根が載った翌日改めて現場を訪ねると、秋の和らいだ日差しの中で、野鳥達が楽しそうにさえずりながら 越屋根の窓から窓へ飛び交っているのを見ることが出来ました。
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2006年 11月
■2006年 11月
幸運な事に 大きな台風にあうこともなく、晩夏を迎えることが出来ました。電気配線工事の詳細打ち合わせが始まり、エコキュート、照明、キッチン周りの100V関連は難なく進みました。しかし、スティーベルの蓄熱暖房機に関しては、なかなか取りまとまりませんでした。価格的にも有利な条件はありませんでした。めぼしい競合メーカーの製品も 施工業者として紹介されたのは スティーベルを施工する会社と同じという中で、多業者における価格競争は事実上不可能な状況でした。雪国仕様のこの暖房機を千葉県で施工しようというのですから、無理もないことと受け止めました。
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2006年 12月
■2006年 12月
断熱材は自然素材を採用したいと考え、「サーモウール」を選択しました。入荷が遅れて 遅れて カレンダーは師走も10日ばかりしか残らない頃、やっと 我が家にたどり着きました。これを使って布団を作ったら何組出来るだろうかとか、ポケットに入れておいたら暖かそうだなと思えるいわば綿でした。屋根貼り工事もほぼ終わり、貼ってみなければ分からない と多少の不安を持って決断した「濃紺」のガルバリウムの選択が、この町と 北の山 南の田んぼ ほたるが飛び交う目の前を流れる川と 無理なく溶け込めたことは、ここに暮らす私たちにとって、大仕事を成し遂げた気持ちでした。


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