■■■vivakenどんの家作り:年譜2007年■


ナイスシニア・・ハッピーライフを目標に 普通の夫婦が 定年後の暮らしを考えているうちに、千葉県長生郡睦沢町 に暮らすことが決まりました。
千葉県長生郡睦沢町ってこんなところです。
そんな 道のりを vivaken と tiara というニックネームで 綴っています。
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2009年7月の様子
■2009年7月の様子
【母屋】 【裏山】 整然と並んだ瓦と 使われなかった材の組み合わせで構成された【古木庭】 【車庫】からなる どんぐり庵のほぼ外観全体です。徐々に植え込んだ庭木はまだまだ華奢ですが いずれは 勇姿を見せてくれるようになる事と 思っています。
2009年7月16日 掲載
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2007年 正月
■2007年 正月
昨年の正月は、この先いったいどうなるやら 最高の結果をイメージする事も、最悪の結果をイメージする事も出来ませんでした。それが今こうして、運良くここまでたどり着いた事を 力を添えていただけた皆様に感謝する次第です。初詣は笠森観音で鐘をつき、森に響き渡る余韻に 「もう一頑張り 気を抜かずに取り組もう」と 気持ちを新たにしました。
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2007年 2月
■2007年 2月
ここで、工事が止まりました。棟梁の古傷が悪化し 重いものは絶対持ってはいけない。それより何より 歩くにも不自由な状況です。現場と自宅は片道一時間の距離で、無理をして仕事をしてもらっても、何一ついいことはないと判断しました。私たちはこの家の完成を急いでいるわけではないので、棟梁が現場復帰できるまで待つという選択を、躊躇なく決断しました。そして緊張と多忙が続いた半年後に巡ってきた、私たちの休養の期間でもありました。
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2007年 3月
■2007年 3月
正確にいうと2月に工事は終わっていましたが浄化槽が設置されました。掘り返した土の上を、硬そうな爪を持った動物が歩いた足跡がありました。ヤッパリ裏山には住人が居ると思うと、とても楽しい気持ちになりました。
3月も棟梁は治療と休養が必要でした。
「一建物一棟梁」
民家再生などというのは それでしかないというのが 岩熊さんそして私たちの考えでした。待っているというより 少し距離をおくことが出来、今まで気がつかなかったことに意識を向けることが出来ました。
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2007年 4月
■2007年 4月
月半ば 棟梁は現場で指示が出来るところまで回復しました。ここで無理をして取り返しがつかないことにならないよう、私たちは家の完成を急いではいない事を 改めて伝えました。ゆっくりですが 作業は開始され 同時に 外壁の無塗装を ひなびた古色で仕上げてもらう事に決めました。付け柱も含めてです。 岩熊さんから ビックな提案がありました。南正面の付け柱に 耳付き板を対で配置するというものです。まさしく 喜びを通り越して 感動のシャワーを浴びたといえるほど、意をついたデザインでした。
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2007年 5月
■2007年 5月
簓子下見板張り(ささらごしたみいたばり)の加工が終わりました。お風呂場のコンクリートの外壁部分は スギの赤味板を配置しました。簓子下見板張り(ささらごしたみいたばり)の加工です。室内の腰板が貼られ 押入れや建具を配置する仕切りなどが徐々に作られてくると、家としての実感がだんだん湧いてきました。
実感が湧いてくると同時に大きな変更を入れました。事の始まりは土間のサッシに障子を入れるとたえず片開きになる。これは パッシブソーラー実証実験には問題だし 第一 太陽光がもったいない。ロールスクリーンにしよう。これが発端となって、南側の障子を中止し、すべてロールスクリーンにする事にしました。
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2007年 6月
■2007年 6月
窓の手すりは 木で作って欲しい。これは 当初からの希望でした。今時窓の手すりを木で作ってくれというのは なんとも贅沢な事でした。あっちにも こっちにも アルミサッシで出来た 手をわずらわせない窓の手すりがあるのにもかかわらず、やさしい雰囲気をかもし出す木の手すりは なくてはならないものでした。
押入れも同様に 木組みで構成され、在来工法で再生されたこの家のコンセプトを脈々と守ることが出来ました。
月末になると テーブルや天板に使うスギの耳付き板が準備されました。夫婦二人 分担して樹皮をはがしたり、磨いたりという作業をはじめました。
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2007年 7月
■2007年 7月
これぞ こだわり満載の階段です。この階段の意匠は 守門の大塚社長がかつて発表したものです。数年前その写真を見たときに、「これだ!」という思いに駆られ ずーっとあたためていたものを 再現してもらう事ができました。おまけに 折井棟梁は ピリリとエッセンスを効かせてくれました。はじめの 4〜5段は 耳付き板の形状に合わせて少し急な傾斜ではじまり その後はなだらかな 全13段なのです。
私たちは この階段は棟梁が木組みで丹精した事を 出来ることならアピールしたいと思い、耳付き板に切り込みをいれ 踏み板の一部が見えるように作ってはどうかと提案しました。棟梁は 階段の幅が狭まるのでやめましょうと あっさりかわしました。
このこだわりの階段は、作り上げたものを取り付けました。設置するのに当たって、男衆5人を悩ませ、一時は「バラさなきゃだめか・・」とまで考えたそうですが、こうしかやりようがないという隙間を半ば強引に取り付けたものです。
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2007年 8月
■2007年 8月
6月から始まったスギの耳付き板の磨きは相変わらずつづいていました。磨き終わった順にテーブルに加工され、vivakenは蜜蝋ワックスで仕上げ作業をし 私は相変わらず粉だらけになりながら磨きを担当していました。
ハナからの大工さんはなにかの都合で来なくなり大工工事の進行はママならぬものではありましたが 土間の御影石を張る加工がお盆明けから始まり 9月には壁の漆喰工事も始まると聞き、いよいよ住いらしくなると 大変楽しみに思いました。
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2007年 9月
■2007年 9月
御影石の土間 一部大谷石張り。浴室 十和田石張り。内壁の漆喰仕上げ。犬走りの施工工事。
と 左官屋さんの仕事はトントンと進みました。時を同じくして 水周りも施工され 10月になれば水道が使えるようになると聞いて シャワーを浴びる事ができる日も近いぞ。と 安堵しました。
やっとの事で 待望の玄関戸が入りました。蔵戸を加工し 寸法を合わせました。この戸は現品を見たわけではなく 写真と欅の桟と枠材というスペックで買いました。納品された扉は 確かに寸法はピタリ合わせられていましたが、ネズミのかじり跡があり 埃をエアーで吹いた状態で取り付けられました。かじり跡は再加工を依頼し 吊り下げ式のレールに取り付けた状態で 扉の清掃をしました。
雑巾とブラシで見違えるほどきれいになりました。
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2007年 10月
■2007年 10月
9月の末に 大変な決断をし すでに 作業を始めていました。欅の柱 梁の磨きをはじめたのです。
梁や柱は 前所有者の意向でウレタンの塗装がなされていましたので それを一剥がしして貰っていました。
しかし 今ひとつ納得の行かないものがありました。とはいいつつ これ以上の加工をしてもらうには 予算から言って無理だろうという諦めがありました。暫くぐずぐずと考えていましたが それなら 自分たちでやろうじゃないのというところに行き着いたのでした。
そんな時には こんなもので 磨こういう心積もりを 後ろから押してくれる人が出てくるものです。
長年木に携わってきた方から 「こんな材はもう採れないでしょうね。美術品ですよ。」と言われた事は、その後少々の弱音が出たときの よい励みとなりました。
されど 大変な作業でした。グラインダーの刃をどれだけ使ったでしょうか。私たち二人の”勢い”で作業をしていました。
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2007年 11月
■2007年 11月
「11月の初めには 引渡し準備のために大掃除をします。」と工務店から言われましたので 柱や梁の磨きを急ピッチで進め 思い残すところはありましたが 終了しました。仕上げは 慎重にムラが出ないように蜜蝋ワックスを塗りました。
しかし 設備の試運転や 施工漏れの縁側工事など 思うように進まない事が出てきて 気をもみました。
お正月には 家族をよんで ここで新年を迎えたいと思っているので 12月初旬には 残工事を済ませるよう依頼しました。
工事の進行具合には口を出さずに来た私たちでしたが、意向を伝えない事には終わりそうにないことを懸念しました。
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2007年 12月
■2007年 12月
さ〜さ 12月です。少なくとも月初には引き渡して欲しい と 要望しましたが 月初には完成引渡しという所まで行きませんでした。ここをこうこう あそこをこうこうと指摘をするものの 思うようなスピードで処理が進まず気苦労でした。
「終わりよければ 全てヨシ」と昔の人は言ったじゃないの とつぶやきながら 暮から新年を母や妹達と過ごせるよう 嫌われる事もいとわず要望し解決を求めました。
気苦労の連続の1ヶ月でしたが 押し迫った30日 ご近所に本体工事を終了した旨のご挨拶が出来るところまで 整いました。その日の朝の写真です。
蓄熱暖房機のおかげで 寒さは充分しのぐ事が出来ました。人数分以上の布団を持ち込み 食器はそこそこのものしか用意できませんでしたが、第一回目のお正月を無事過ごす事が出来ました。


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