■■■vivakenどんの家作り:年譜2008年■


ナイスシニア・・ハッピーライフを目標に 普通の夫婦が 定年後の暮らしを考えているうちに、千葉県長生郡睦沢町 に暮らすことが決まりました。
千葉県長生郡睦沢町ってこんなところです。
そんな 道のりを vivaken と tiara というニックネームで 綴っています。
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2009年7月の様子
■2009年7月の様子
【母屋】 【裏山】 整然と並んだ瓦と 使われなかった材の組み合わせで構成された【古木庭】 【車庫】からなる どんぐり庵のほぼ外観全体です。徐々に植え込んだ庭木はまだまだ華奢ですが いずれは 勇姿を見せてくれるようになる事と 思っています。
2009年7月16日 掲載
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2008年 正月
■2008年 正月
1年半という長い年月を経て 本体工事はほぼ終わりました。昨年 この工事が無事完成を迎えられるよう祈願した笠森観音に詣で、そのお礼を込めて報告しました。多くの人のお参りで 鐘突堂へ詣でる事はあきらめましたが 人様が突いた鐘の音にのせてここまできたことを感謝しました。
思い切って車庫を作ろうと計画が持ち上がっていました。家にかかわる当初の予算は 本体工事ですでにオーバーし 悩んだ末実行する事に決めました。決断の一番大きな要素は 今引き続きの工事でやってしまう費用と 一旦終えて 新たに別工事として発注したのでは 予算が全く違ったからです。
小嶋棟梁の采配でとんとん拍子で工事は進み 正月明けから月末までで完成してしまいました。板は超仕上げにしましたからね と お年玉をいただきました。
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2008年 2月
■2008年 2月
完成した車庫です。長い付き合いになった「レガシー」も これで 夏の炎天を避けることが出来ます。大きく育ったケヤキの樹液からも避難する事が出来ます。
私たちがイメージしている全体像をよく理解していただいた造りにしていただけました。
そして本年2月は vivakenの誕生月であり 会社卒業の日 イコール 退職の月でもあります。定年後の暮らしを自然豊かなところで暮らしたいという思いの条件は揃い、少々の事務手続きにめどが立ったら 暮らしの場を移行していくことになりました。本人には数々の感傷的な場面もあったのでしょうけれど、めまぐるしく日々追われている私は 支払いや 新たに契約する保険の下調べやらナンやらでで 簡単に「おめでとう。ご苦労さんでした。」程度のご挨拶で終えてしまったように思えます。
世の中には 【改めて あなたへのラブレター】などと印象的な区切りとする方も大勢いるというのに・・・
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2008年 3月
■2008年 3月
サラリーマンとしての役目を果たし 生まれたときからそう決まっていたように 人生のレールからぶれることなく 当たり前の事として静かな生活が始まりました。
そうはいうものの 退職後による手続きや 設定の変更 いの一番どんぐり庵で日常生活を営む最小限の必需品の準備など のんびりした毎日とは言いがたいものでしたが、それまでとは全く逆に 市川を出発するのが少々遅くなろうとも どんぐり庵に帰る という生活がスタートしました。
家屋の登記申請・住民票の移動・損害/障害保険の設定がほぼ終了しました。
土手の菜の花は例年通り目を楽しませてくれました。 私たちにとっては とても大きな生活の変化であっても 自然は関わることなく毎年こうして繰返されるものだ。と 感じ入ったものでした。
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2008年 4月
■2008年 4月
家の前を走る ”県道 大多喜・一ノ宮線”
歩道は広く取られ 工事中は 遠慮しながらその歩道に駐車させてもらたりしたことがある程の道路です。ただ 一つの大きな安全面での欠点がありました。
大多喜方面から一ノ宮に向うと どんぐり庵からの車の出入りが たいへん見え難いのです。
そこで 安全の為には 自らでもって施工しなければという結論に達し カーブになった道路の状況を確認できるように、ミラーを取り付けました。
敷地から出るときは 歩道の安全確認をして ミラーで車道の安全確認をしてGO〜です。通り行く車を見ていると、前の車にくっついて走るクセがある人が多いように見受けます。どうぞ ご安全に。
その頃の ブログです。

睦沢町役場の人が道路ミラーを設置してくれました。 どんぐり庵の出口は県道150号線の急カーブの頂点にあります。
ここは危険地域であることは県の道路管理事務所、睦沢町役場も認識しています。
1年半程前に県の道路管理事務所に行き道路ミラーの設置をお願いしたところ、「個人の出入り口には設置できないが、危険地域なので町役場を通せば何とかなるかもしれない。」というアドバイスをもらいました。
このため、どんぐり庵の入口周辺の写真十数枚を持って町役場に行きました。「これは役に立ついい写真だ。」という回答をもらって、あれから一年半。3月に町役場に行きその後の状況を確認しましたが、放置されたままでした。
同じ3月にどんぐり庵の前と隣で2件たて続けに自動車事故がありました。「これは、命にかかわるぞ。県や町だけに任せておけない。」ということで即Φ800 SUS製の道路ミラーを購入しました。ところがこれが予想より大きくて、重い。とてもじゃないが素人が取り付けることは不可能。
そこで、一年半前の県道路管理事務所の話「町役場を通ば・・・」
を思い出し。町役場に行き「道路ミラーは購入したので設置場所を県のカーブミラーの下に取付ける許可を貰うようお願いに行きました。すると、予想に反して「そこまで個人でやっていただいたのだから設置は電柱に町役場で取付けます。電柱の取付許可申請は町役場が東京電力に提出します。」という有難い回答。かくして、転入届を提出して一週間以内で道路ミラーの設置となりました。

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2008年 5月
■2008年 5月
'90×9=力作'
BobCatさんから頂いた瓦で瓦垣を作りました。
90列×9段+α=930枚。
1枚2kgとして1.9t
1回に10枚ずつ運びましたので93往復
1回当り平均40mの距離ですから3700m
5日間掛かりました。
ご近所からの評判はよく。「きれいに出来上がりましたね。」
「ここまでやるとは思っていなかった。」「これはすごいですよ。」「まーなんという配列でしょう。」
ルンルン気分で普段は缶ビール1本ですが昨晩は特別に缶ビール2本と焼酎一杯で乾杯しました。

この瓦並べは 大変な大作でvivaken一人 誰の手も借りず 時々出没する かわらの中に潜んだヘビを警戒しながらの作業でした。
当初の計画通りに進まなかった瓦の使い方を このような瓦垣にするアイデアは 早朝うつらうつらしている時に 神さんからのお告げがあったそうです。

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2008年 6月
■2008年 6月
'伝言柱', '伝言板ならぬ伝言柱。
雨が降らない日は裏山で作業をしていることが結構あります。
外出している気配はないけれど姿が見えない。
こんなことを解消するために伝言板ならぬ伝言柱を作りました。
裏山まで来てくれるのかどうか分かりませんが、こちらとしては居場所を伝えたことで肩の荷が下ります。

柱は5寸角の杉の端材に柿渋と黒漆を塗り,伝言はチョークで書きました。10kg位あるので、簡単に動かせるようにドアの取手を天辺に付けてあります。
4面あるので、4種類の伝言ができますが、「外出中」「不在」等は防犯上問題になるのでやめていて 今のところ「裏山にいます」一つです。
手作りの小物が 少しずつ増えてきました。

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2008年 7月
■2008年 7月
'古木庭', 車庫の南側はもともと駐車場でした。
車庫を作った今 ぬかるみ防止のため厚さ20cmぐらい敷いたコウサイ(鉄鉱石の燃えカス)を、取り除くのも手間が掛かるので出来ません。
ここには草は生えませんし 草木も植えられません。

なんとなく寂しいので、古材の切り残りを拾って配置してみました。
真ん中の植栽は朽ちた柿の木の根から生えた山茶花です。

vivakenは ≪京都 龍安寺の石庭に代わって、どんぐり庵の古木庭どす。
「どうでっしゃろ?」≫とか・・

龍安寺の関係者に聞こえないよう 望むところです。
しかし この古材達の 元の姿や役割を 私たちは頭に描く事が出来ますが、ここを通り過ぎる多くの方々は 鉛筆みたいに削った木であったり 凸と凹が刻まれたなんかでしかないことと思います。

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2008年 8月
■2008年 8月
猫は家に付き 犬は人に付く。よく言われます。
我が家のはっちゃんこと 猫の八兵衛は とても気遣いに優れた猫です。
vivakenがどんぐり庵に引っ越した後は 週末は車でどんぐり庵に行き また市川に帰り と 私と生活を共にしていました。しかし それを何回か繰返すうちに はっちゃんは車に酔うようになってしまいました。5Kgに満たない体で 片道1時間半を毎週移動するのは 辛いと訴えてきたのです。そうなると 連れ歩くわけにも行かず 週末は 私がどんぐり庵と市川との日帰り往復をすることになりました。
それまで 毎週末 工事の確認の為 日帰りで往復していたので同じ事よとばかり はっちゃんを優先しての生活をしていました。

8月の夏休みは 久しぶりだから頑張って行こうね と連れ出し 4泊5日を過ごしていました。いよいよ明日は帰ろうねという日
vivakenは 「はっちゃんとは 僕が暮らすよ」と突然宣言したのです。
2005年生まれ 3歳のはっちゃんは 思いがけず 太陽が一日中差込 風が通り 小鳥達をいつでも眺めることが出来る 木で出来たお家で暮らすことになりました。

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2008年 9月
■2008年 9月
'備前焼', '土間に備前焼を置きました。
35年前に初めて備前焼を見たのは代々木のお店の出窓に飾ってあったものです。その時はいい陶器だなと思いましたが備前焼とは知りませんでした。
会社の焼き物に興味を持っている人に聞いたところ備前焼だと教えてもらいました。
それから5,6年後その人と下関に出張に行く機会がありました。
仕事が終わった金曜日 岡山まで行き一泊して翌朝 伊部(いんべ)に向いました。 ここは備前焼の町で備前焼を売っているお店が沢山あります。 備前焼に何の知識もなく朝からただひたすらいろいろな店を見て回りました。何か記念に一つだけ買おうと眺めますが、予算とのバランスでなかなか決められません。

半日経って最初に覗いた店に戻りました。
店のおばーさんがお茶を淹れながら
「いろいろ迷ったんでしょう。そういう時は最初にいいなと思ったものを買えばいいの。」「なるほど。そこの鶴首を見せてください。」
「お客さん初めての割に目が高いね。」
ということで初めての備前焼は鶴首の花入れを買いました。

その後本屋に行ったり、美術館に行ったりして次第に分かってくると、初めて買った備前焼はガス窯で焼いた安物と分かりました。くやしいのでゴミ箱に捨てました。
まんまとやられました。授業料を払った訳です。

その後 今は飛んでいないYS11に乗り何回か伊部に行きやっと目が慣れてきました。
今、土間に置いてあるものは授業料を支払った後に購入したものです。居間からボヤーと眺めていると気分が落ち着きます。
どんぐり庵に来て備前焼も居場所を確保したようです。 備前焼の台はサスの残材です。
オイルステインを塗りました。赤く見える箇所は虫食いのためチェンソーで削り取った後に柿渋の原液を2回塗りました。

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2008年 10月
■2008年 10月
'オレは田舎のクリエーター'
継手照明器具を作りました。
追掛大栓の端材が転がっていたのを
「これで照明にしたいのだけれど・・・」

「追掛大栓の反対側にも追掛大栓を切って左右対称のW追掛大栓にしよう」
「えっ本当に出来るの?」
「幅の狭いノミがないけど何とかするよ。
」 ということで出来上がった“左右対称W追掛大栓照明“です。

手作りのものが少しずつ増えました。
井戸の周りはすっかり家に似合うようになり、また 残った古材を工夫して 目隠しを作ったり
保管庫や 継手証明も追加されました。
最も話題になるのは ポストと照明です。まさしく オリジナルです。

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2008年 11月
■2008年 11月
古材を生かした建物には やはり 古くから使われてきた建具が似合うと思い 私たちに見合った価格のものを揃え 建具やさんに調整してもらいました。高さの調整の為 ゲタを履かせ 開け閉めがなだらかなように削り込みを入れたりしてもらいます。
古建具を 安く買うというのは 年輪のように積もった 埃や塵を自分自身で洗い落とすというのが絶対の条件になります。
ありがたいことに お天気さえ良ければこうして あれこれ気兼ねなくジャブジャブ洗うことが出来ます。
乾燥させ 柿渋を一塗りします。

'もしも',
'もしもどんぐり庵がなかったら・・・あの時私たち夫婦が挫折して この家を建てる事が出来なかったら・・・
当面まとまった使い道のない貯金はどういう運命をたどったのでしょう?

多分、貯金のかなりの分が株に投資された事でしょう。
銘柄は輸出関連の優良企業が有力でしょう。
国際的な優良企業の株を購入しておけば、そうひどいことにはならないだろう。
銀行に預けても利子は微々たるものだし、株なら配当もあるし。
そんな考えで株を購入していた確率は高かったと思います。
ところがその優良株がサブプライムローン破綻の影響をまともに受けて悲惨な状況です。
100年に一度という金融危機の影響でボロボロです。
確定拠出年金も定年退職と同時に全て解約し現金化しました。
これも今となっては大正解でした。

もしも南行徳に居て株に投資し、確定拠出年金も継続していたとすれば、今頃どんぐり庵はない。
貯金は激減して先の見通しが立たない。この先どうしようか?
と惨めな思いをしていたことでしょう。
貯金は少なくなったものの兎に角どんぐり庵という形が残り、ここで日々満足する生活を送ることが出来て本当によかったと思っています。



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