年も押し迫り裏山の広葉樹の葉も全て落ち幹と枝だけになりました
この白い幹と枝の姿がまた何とも言えずいい景色なのです
天気もいいし午前中9:30頃 山の調査に行きました
最初はイノシシに掘り起こされたボコボコの地面の姿が目に飛び込んできました
かなり派手に動き回ったのが分かりました
少し上ると右側に綺麗に紅葉したモミジがありました
種から育った20年モノです
モミジの上にはお隣の常緑樹があるのでそれを避けるようにして横に低く伸びて綺麗な姿です
さらに上ると高さ3m位のサンショウの木が枯れていました
近くの同じような山椒の木も枯れていました
幹は10cm以上ありました
サンショウの木の寿命は短く30年位だそうです
どんぐり庵のサンショウの木は20年位なので少し早い感じです
さらに上ると背丈より高いナンテンが数本 大きな赤い実を付けていました
これも鳥の糞から誕生した20年モノでしょう
冬で何もないところに赤い実があると山のいいアクセントになります
さらに上ると枯れた孟宗竹が10本ほど倒れたり 斜めに枝がかりしていました
手鋸で長さ5m位に切って積み上げました
竹の枝は枯れているので多くは手で折れました
以前は倒れたら直ぐに処分しましたが これだと何十本もある枝を鋸で切らなければならないので結構手間が掛かります
山の奥の方なので目につくこともないので 今は省エネで枯れてから処分しています
周りを見渡すとセンリョウかマンリョウの木が10本ほど生えていました
これも鳥の糞から誕生したものです
目にしたのはここ数年前からです
まだ赤い実は付けていません
あと何年かすると赤い実をつけるでしょう
崖手前の一番奥に高さ4m位の紅葉したモミジが3本ありました
ここはあまり陽当たりが良くないので太陽を求めて上に伸びたようです
これも直径15cm以上あります
下にあったモミジ同様 種が飛んできて誕生したものです
竹と杉を伐採して20年も経つと種から生まれた イチョウ ケヤキ ヤマザクラ イヌシデ ハゼ モミジ ナンテン・・・
皆 立派に育って綺麗な林を作ってくれました
改めて自然の力は凄いし有難いと思いました
今年最後のブログです
皆様 良い年をお迎えください
来年のブログは1月6日からスタートの予定です
火曜日 スポーツクラブを休みました
体調はいいのですが この日のメニューはスポーツクラブで一番人気のプログラムがあります
スタジオでのダンスプログラムですが朝10:30からスタートします
10時開店のスポーツクラブですが開店前からおばちゃん達がならんで順番待ちです
定員25名なので記名するための順番待ちです
記名が終れば10:30まで時間待ちです
この間 おばちゃん達はあちこちでおしゃべり合戦です
今の時期インフルエンザがかなり流行しているので警戒しました
インフルエンザにかかって寝正月ではシャレになりません
コロナにかかったおばちゃんも居るという話しなので用心して中止にしました
その代り睦沢の総合グランドにある一周600mのウオーキング・ジョギングコースに行きました
10時少し前に到着するとジョギングしている人は一人だけでした
vivakenのこの日のテーマは「ハムストリングを意識して歩く」でした
先日階段の上りで右膝が痛くなりました
ネットで調べると階段上りで膝が痛くなるのはハムストリングの衰えだと書いてありました
てっきり腿の表側の大腿四頭筋と思っていたら裏側のハムストリングでした
陸上100mの第一人者の朝原宣治が「陸上の筋肉はハムストリング」と言っていたのを思い出しました
スポーツクラブではハムストリングを鍛えるマシンがありますが この日はウオーキングなのでハムストリングを意識するウオーキングにしました
ハムストリングを意識すると背筋も伸びてアゴも引けるのでウオーキングのフォームも良くなることが分かりました
早さを求めずハムストリングを意識して正しいフォームで丁寧に歩くことを心掛け3kmのウオーキングを終えました
経済アナリスト森永卓郎の長男 経済アナリスト森永康平はジャーナリスト須田慎一郎からルイビトンの財布を貰いました
それまで森永康平は布製の「すみっコぐらし」の財布を使っていました
ある時 須田慎一郎から経済アナリストがそんな財布を使っていたら駄目だと言われました
暫らくして須田慎一郎からルイビトンの財布がプレゼントされました
ルイビトンの財布は5万円以上すると思います
須田慎一郎は森永康平を可愛がっています
森永康平も須田慎一郎のことを『オジキ』と呼んで親近感を持っています
本当は森永康平はブランド品の財布を欲しいとは思っていないと思います
何年か前 森永康平は「僕は車に何のこだわりも持っていません トラブルがなく走ってくれれば何でもいいのです 車にあれこれ拘っている人の気持ちが理解できません」と言っていました
財布に対する考えも車と同じで「すみっコぐらし」だろうが「ムーミン」であろうが何でもいいのです
材質が布製だろうが 皮製だろうが拘りは無いと思います
でも折角『オジキ』からプレゼントされたルイビトンの財布なので有難く使わして頂くというのが本音でしょう
本来であればルイビトンの財布を持つなら それを入れるバッグもバランスを取らなくては様になりません
そうなれば服からYシャツからネクタイから靴から時計・・・皆レベルを合わせないとみっともないのです しかし そんな気は全くないと思います
周りからダサいと言われようが何と言われようが森永康平は気にせず自分のスタイルを貫くでしょう
この辺の頑固さはオヤジの森永卓郎と共通していると思います
寿司屋に行ってしばらく時間が経つと「お茶の差し替えしますか?」
と聞いてきます
必要があればお願いするし そうでなければお断りします
どんぐり庵では水の差し替えの要求が頻繁にあります
依頼主は八ちゃんです
八ちゃんは食後に必ず水を飲みます
水は直径15cm 高さ15cmのミニポリバケツに入れています
置かれている場所は八ちゃんのベッドの横で洗面所の隣です
食事を終えると水を飲みにポリバケツに向かいます
ポリバケツには常に水が満杯に張られています
でもこれは飲みません
ポリバケツの前に座り水道栓を捻りたての水に入れ替えるまで飲みません
水を入れ替えて上げるとピチャポチャと音を立てて飲み始めます
30秒ぐらい飲むと水の差し替えコールがきます
30秒ぐらい飲んでも見た目の水位は全く減っていません
せいぜい10ccぐらいしか飲んでいません
もしかしたら5ccかも知れません
それでも水の差し替えを要求します
仕方がないのでポリバケツの水を捨てて新しい水に差し替えます
食後以外でも水をくれと言ってきます
vivakenが寝ていても新しい水に替えてくれと言って起こしに来ます
水を差し替えて布団に潜り込んでも また差し替えコールが来るので側で差し替えコールが来るまで待っています
八ちゃんはチョビチョビしか食べないので食事は1日に10回以上になります
その度に水を差し替え 食事以外でも差し替えるので一日に20回ぐらいは水の差し替えをしています
以前はこんなことはなかったのですが1年ぐらい前から要求が始まり 最近ではその要求度合いがグングン増しています
どんぐり庵来て丸16年が経過しました
どんぐり庵は150年前の新潟の豪雪地帯の合掌造りの古民家を移築した建物です
その為 柱や梁や桁や母屋はとても太く頑丈な作りになっています
天井はなく 現しという造りで梁や桁や母屋が丸見えです
毎年末 低い位置にある梁や桁や母屋は一通りほこりを払いますが
今回は上方の梁や母屋まで梯子を掛けたり 脚立に乗って掃除をしました
tiaraは場所によっては梁の上を歩きながら埃を落としていました
梁や母屋の掃除にとても便利なグッズがありました
長さが1mから2m近くまで伸縮して先端の箒の首が90度の範囲で曲がるグッズです
このグッズのお陰で梯子を掛けたり 脚立に乗ることでほぼ埃を払うことが出来ました
ここまでの大掃除はどんぐり庵に来て初めてのことです
16年分の埃を落としたことなります
16年分の埃の量はかなりのモノでした
ワタ雪のような埃も沢山落ちてきました
これ等を普段使っている掃除機で吸えばゴミ取りパックはすぐに満杯になってしまいます
そこで活躍したのが業務用の掃除機です
普段は土間の掃除に使っています
これだとゴミを貯める容量が多いので最初にこれを使ってゴミを吸い上げます
その後の家庭用の掃除機で仕上げをします
先般 『石庭』の砂利敷に活躍したスノーダンプのように 今回は伸縮箒が大活躍しました
仕事は道具で決まるという事を短期間に二度経験しました
火野正平が亡くなりました
今年の春から腰痛の治療に専念するという事で『こころ旅』の春版はお休みしました
秋版からは出て来るものと思っていました
ところが秋版を休むことになり 夏ごろに腰に圧迫骨折を起こし そこから体調を崩し11月14日に心筋梗塞で亡くなったという事です
圧迫骨折により絶対安静を必要とする状態となり、それまで自転車で日本中を旅していた活動的な生活から一転、体を動かせない日々が続きました。
このような急激な生活の変化が、全身の体調に影響を与えたと考えられています。
先日 過去の『こころ旅』の沖縄編を見ました
2023年3月の与那国島でした
昼食を終えて地元の人にさよならをして出発したところ 少年から「来年も来てね」と背中から言われた時に 火野正平は自転車を漕ぎながら「死んじゃうかもしれないから」と言いました
オバサンにはふざけて言うかもしれませんが 小年々言いうとはビックリしました
少年の純真な声掛けに火野正平はつい何となく自身で予感していたこんな事を発してしまったのでしょうか
そんなことが翌年の11月に本当のことになってしまいました
画面から見えた火野正平の姿は元気そのもので こんなことが実際に起きるとは誰も思えないほどでした
しかし その時本人だけが何か感じるものがあり 少年の純真な「来年も来てね」に思わずつい「死んじゃうかもしれないから」と声が出てしまったのかもしれません
人生 明日はどうなるか 誰にも分かりません
昨日のブログで『コストダウン』を書きました
その背景には当然のことながらVWの苦境があります
VWは中核セクション・VW乗用車部門の低利益率を改善するために、国内10カ所の工場の内少なくとも3カ所を閉鎖し、国内で働く約12万人の従業員の内数万人を解雇する方針を打ち出した。
メルケル政権は、20年にコロナ禍に対する景気浮揚策の一環として、BEVなどの購入補助金の内、政府負担分を2倍に増やした。このためドイツでは一時的にBEVブームが起きた。BEVの年間販売台数は19年の約6万台から、23年には約52万台に増えた。
しかし政府は、24年末まで続ける予定だったBEV購入補助金(政府負担分)を、23年12月に突然廃止した。
VWグループが犯したもう一つのミスは、中国市場への過度な依存だ。
VWグループの年次報告書によると、23年にVWグループが世界で売った936万台の車の内、32.7%にあたる307万台が中国で売られた
ドイツの大手製造企業向け電力価格は、米国に比べて2.3倍だった。23年のドイツのEMU向け電力価格は中国に比べて約1.7倍〜1.8倍、大手製造企業向け電力価格は中国に比べて約1.8倍だった。
このためドイツの産業界は政府に対して、価格競争力を改善するために、補助金によって産業用電力価格を引き下げるよう求めている。しかしドイツでは24年11月に三党連立が解消され、ショルツ政権が連邦議会で過半数を失ったため、産業界を支援するための法案を単独で施行できない。来年2月23日に連邦議会選挙が行われるまで、政治の空白状態が続く
我々がVWの失敗から学ぶことができることは、政府の補助金に依存する製品を経営戦略の中心に据えることの危険だ。BEV市場は、消費者の要望で自然発生的に生まれた市場ではない。二酸化炭素(CO2)削減という政策によって生まれた人工的市場だ。
ドイツのBEVの価格が高い理由の一つは、電池の内製化に失敗したことだ。BEVの価格の30〜40%は電池の価格だ。電池を内製化している中国企業に比べると、価格競争力の面で不利だ。
日本の産業用電力の価格は、ドイツほど高くはないが、中国や米国に比べると高い。日本企業が競争力を失わないためには、政府が補助金によって産業用価格の高騰を防ぐ必要がある。
こういう状況では暫くはVWから良い車は出そうもないので今のゴルフ8を大事に乗ります
ゴルフ8の定期点検がありました
ゴルフ8は3年前の6月に納車されたフルモデルチェンジの車です
納車から3年半が経ったわけです
いつもの通りディーラー担当者が代車に乗って引取りに来て 点検が終わったら納車して 代車に乗って帰ります
今回の代車はvivakenが乗っている車と同じグレードのワゴンタイプでした
走行距離は1900kmでした
この車に乗って近所のスーパーマーケットに買物に行きました
車に乗って気が付いたのはステアリングの中心にあるVWのエンブレムが安っぽくなっていたことです
買物を終えて荷物をトランクルームに入れようとしてVWのエンブレムを押したけどビクともしません
おかしいなと思ってもう一度押しましたがビクともしません
ドアロックが解除されているので開くはずですが開きません
ドアロックが解除されていなくてもトランクルームのドアは独立していて開くはずです
仕方がないので荷物は後部座席に置きました
家に帰ってもう一度試してみましたがダメでした
もしかしてと思ってエンブレムの下に手を入れるとレバーらしきものに指先が触れました
そのレバーに指を引っかけるとトランクルームのドアが開きました
なーんだつまんないの これじゃ世の中の一般的にある車と変わりがないじゃねーか
VWのエンブレムを押すとこれがオープナーになってトランクルームが開く
またバックギヤに入れるとこのエンブレムが開きそこからカメラが出て来る
カメラはエンブレムの裏に格納されているのでレンズも汚れません
これがVWの特徴だったのに残念です
八ちゃん用の野菜は種から作ります
袋に入った土を半分容器に入れて種を蒔きますその上に残った半分の土を被せます
コップ一杯の水を入れて指で土になじむように均します
5日程すると芽が出てきます
後は水管理をして10cm位まで育てます
季節によって水を上げるタイミングが異なります
今までは指先で土の表面の湿り気具合を確認していました
かなり乾燥していると水が足りなと感じますがよく分かりません
そこで植物用の土壌水分計をアマゾンでチェックしました
すると1000円以下のモノから5000円以上のものまでさまざまありました
もっとも簡単なモノで良いと考えていました
670円の水分計を買いました
水分センサーの針の上にアナログメーターがありました
アナログメーターは扇形になっています
メモリは1から10まであります
1〜3がレッドゾーン ドライです
4〜7がグリーンゾーン モイスチャー
8〜10がブルーゾーン ウエット
4〜7の間で水分を管理します
この水分計が便利なところはプラグアンドプレイで電池も充電も必要ないところです
指先のセンサーより余程ましだと思います
午前10:30スーパーマーケットの魚売り場のショーケースを見るとブリの切り身がたくさん並んでいました
一番端にブリカマが2個ありました
ブリカマが2個あるという事は1匹のブリを解体した証拠です
下ろしたてのブリカマならこれを使わない手はありません
ブリ大根を作ることにしました
大根は厚さ3cmに5枚切りました
ブリカマは包丁で半分に切ろうにも骨が硬くて切れません
冷凍食品を切るギザギザの歯が付いた包丁で半分に切りました
味付けは以前 時々煮魚を作っていたのでその要領で作ることにしました
汁はヤマキのつゆの素を使い これにザラメと味醂とハチミツを少し入れました
鍋に大根を敷いてその上に二つに切ったブリカマの表面を洗って乗せました
具材の上にはあく取り用にリードペーパータオルを乗せ その上に落とし蓋を置いて鍋の蓋をして煮立つまで強火にしました
煮立ったところで弱火にして30分煮ました
大根に櫛を入れるとスーと入りました
火を止めて蓋を取り具材に味が染み込むように冷ましました
数時間後 夕食で食べる直前に火をもう一度入れて温めました
大根は飴色になりブリカマも丁度良くいい色になっていました
「頂きまーす 良いんじゃないかい」
やはり新しいブリはいわゆるブリ臭さが一切なくバッチグーでした
先週の金曜日に月に一度の脳神経外科クリニックにいきました
今年最後の診察です
朝9:00の予約の為8:50に駐車場に到着しました
クリニックは9:00から開院ですが駐車場はすでに70%位埋まっていました
既に診察を終えたと思われる人がクリニックから出来ました
中に入ると20人近くの患者が椅子に座っていました
9:10ぐらいにvivakenの順番が来ました
「体調はどうですか」
「お陰様で良好です」
朝夕2回ずつ測定している血圧手帳を見ながら
「血圧はよさそうですね」
「お陰様で順調です」
血圧は安定しているので時々測定を忘れる時があります
そういう時は何日か前のページをめくって適当に数値を入れています
「油断をしないで部屋の温度を暖かくして血圧が上がらないようにしてください」
「部屋にはディジタル温湿度計を置いてあるのでこれを見ながら服装の調整をしています」
「来年の1月は採血と採尿があります 2月はMRIがあります 今年はこれが最後です 良い年を迎えて下さい」
「ありがとうございます 来年もよろしくお願いします」
ということで「良い年をお迎えください」の時期になりました
このクリニックにはCTとMRIを備えています
MRIは千葉県に2台しかないという自慢のGE最新の機種です
個人のクリニックでこういう設備を持っているクリニックに15分で行けるのは患者としては有り難い存在です
9日の月曜日に帯状疱疹ワクチン シングリックスの2回目の接種が終了しました
これで帯状疱疹の心配から解放されました
帯状疱疹は高齢で免疫力が落ちた時に罹患しやすく 日本人の3人に一人が罹患すると言われています
夜中に八ちゃんから10回以上起こされています
トイレ掃除とご飯と水の要求のためです
睡眠不足は免疫力の低下につながります
こんな状況で帯状疱疹に罹患でもしたら 八ちゃんの面倒を見るのは相当辛いことになります
そこで帯状疱疹ワクチンの接種を決めました
一回目の接種は8月でした
注射を打れた時に今までにない違和感が有りました
もしかしたら副反応があるかもと思ったら当日の夜に頭の右半分に痛みが出ました 併せて顔の右半分にしびれのようなものを感じました
直ぐにロキソニンを飲んで寝ました 痛みはかなり和らぎました
しかし何だかんだ通常に戻るには1ヶ月ぐらい掛かりました
二回目の接種の時は何も違和感が有りませんでした
ところが夜布団に入ると風邪の症状に出るように 節々が痛くなり足も冷たくなりました
直ぐにロキソニンを飲んで布団の中で仰向けになり足を伸ばして左右の股関節から足を交互に上下に動かしました
暫くすると体が温まってきました ただ寝返りを打つのは筋肉が痛く結構きつい状況でした
これでは翌日のスポーツクラブ行きは無理かなと思いました
夜中に八ちゃんに何度も起こされましたが少しずつ回復していました
朝6時に目を覚ますと肩の周りに少し違和感が有りましたが スポーツクラブに行ける状態にまで回復していました
一回目も二回目もロキソニンのお陰で見事に回復しました
ロキソニンの威力は大したものです
コロナが蔓延してからはワクチンと言えばコロナワクチンを指す感覚になりました
コロナワクチンは2023年12月に7回目のワクチンを接種したのが最後です
今年はどうしようかな?と考えていたら ある医師からコロナワクチンの接種に消極的な話を聞きました
7回打ったコロナワクチンできつい副反応はありませんでした
肩が少し痛い 首が凝る 注射針の跡に少し痛みがある
こんな程度でそれも3日後には消えていました
元々 ワクチンを打つのは嫌で 大方の人と一緒で仕方なく打っていたのが実情です
コロナもインフルエンザと同じ5類に分類されっました
そういう背景もあり医師のコロナワクチンに対する消極的な見解を即採用して今年はコロナワクチンの接種はしないつもりです
因みにここのクリニックでは「インフルエンザワクチンの予約を開始しました」
という案内がクリニック内に貼られていました
インフルエンザワクチンに対しては積極的でした
ディジタル庁の「新型コロナワクチン接種証明書アプリ」は2024年2月にサービスを終了しています
コロナワクチンからおさらばするにはいいタイミングだと思いました
コロナ前まではワクチンと言えばインフルエンザワクチン程度でした
コロナワクチン以外に肺炎球菌ワクチンを2013年 65歳になった時ニューモバックスと2021年 73歳の時プレベナー13を摂取しました
人間が生きている間は感染症から逃れることは出来ません
ワクチン接種は必須ですが最小限度にしたいところです
大谷は今年5月4日(同5日)に今季8号ソロを放ち、ロバーツ監督を超える日本生まれの選手の球団最多本塁打記録を更新した。
試合後の囲み取材中、ロバーツ監督は大谷からサプライズでプレゼントされたおもちゃのポルシェを持って乱入。
「これは私の車です」と披露する指揮官を、大谷は笑顔で見つめた。
大谷はサプライズの意図を「車を欲しいって言ってたので、喜んでもらって良かったです。笑ってもらうのが一番なので、また何かあればやりたいと思います」と明かした。
ロバーツ監督が引き揚げた後、「本物の車は買うか」という質問には、4秒ほど間を置いて「ワールドシリーズで勝てたら考えます」と大谷らしく答えていた。
ドジャースはワールドチャンピオンに輝きました
こうなるとあの時言ったポルシェはどうなるのか?皆が思い出します 大谷は本物ポルシェをロバーツ監督にプレゼンとするでしょう
これからのストーリーは大谷ならこうするかもしれないというvivakenの想像です
いつとなればポルシェ発言の一年後の5月4日前後 場所は改築が終ったドジャースタジアム 車種はプレゼントしたミニカーの本物 大谷のことだからこのままじゃ終わりません 色は特注でドジャースブルーにします もしかしたら内装もドジャースブルーにするかもしれません
ドジャースタジアムのロバーツ監督の駐車スペースにドジャースブルーのポルシェを置いてロバーツ監督のもとに行き「約束ですから」と言ってキーを渡すのです
こんな感じになればいいなと思っています
今朝は今季最低で気温がマイナス0.3℃になりました
裏山のイチョウの紅葉が終わり葉も落ちてしまいました
ピーク時の黄金の紅葉の残像が頭にあるので寂しい気分です
しかしこれが自然のサイクルです
来年の春には黄緑色の新葉が出てきます
どんぐり庵の東西の隣地との境にある雨水を排水する水路の草刈りを終えました
これで今シーズンの最低限の草刈りを終了しました
裏山の草刈りをもう一度したいところですが 「まーいっか 」という声も聞こえてきます
どうなるか分かりません
草刈りが始まるのは来年3月からです
それまでは草刈りから解放されます
韓国では尹大統領が「非常戒厳」を宣言しましたが失敗に終わりました
弾劾訴追が不成立になりましたが野党は弾劾訴追の再提出をする考えです
成立すれば共に民主党のイ・ジェミョンが大統領に選出されます
そうなると日韓関係はまたまた過去のことを蒸し返しギスギスすることは間違いありません
シリアでは反政府勢力が首都ダマスカスを制圧しアサド大統領はモスクワに亡命しました
アサド政権が崩壊しました
ドイツは連立政権が崩壊しました
フランスではバニエル政権が総辞職に追い込まれました
EUのNO1,2のドイツとフランスに異変が起ったのです
EUの今後に暗い影を落とすことになります
アメリカでは民主党バイデン政権から共和党トランプ政権に移行します
トランプとイーロンマスクがタッグを組めば何をするか分かりません
中国との摩擦が激しくなるのは間違いありません
こんな時に日本は国家観がないあの石破茂が首相です
この先明るい見通しは立ちません
どんぐり庵の土地を購入してから20年が経ちます
この間 外で作業をする時はトレッキングシューズを履いていました
最初は山登りに使っていたスカルパのトレッキンシューズ
次はザンバランフジヤマのトレッキングシューズ
そしてもう一度スカルパのトレッキングシューズ
このスカルパのトレッキングシューズもかなりくたびれて来て内側の一部が破れてきました
そこでtiaraから提案があり新しいトレッキンシューズを購入することにしました
4足目の購入条件は
一流メーカー 外装は水に強くて蒸れにくいゴアテックス ソールは評価が高いヴィムラムソール シャフトの高さはくるぶし以上であまり高くないもの サイズは26.5cmで3E 価格は20000円以内
トレッキンシューズの価格帯は5000円から40000円ぐらいでした
山登りに使う訳ではなく 裏山の斜面での草刈り作業で踏ん張ることが出来れば合格と考えていました
アマゾンであれこれ探してみました
購入条件でフィルターを掛けて残ったのは
[メレル] ハイキングシューズ MOAB 3 SYNTHETIC MID GORE-TEX (WIDE WIDTH) メンズ 16600円でした
到着したハイキングシューズを履いてみるとメレルらしいしっかりとした履き心地でした
厚めのソックスを履けばピッタリな感覚でした
かくして先般 漆喰工事と砂利搬入の費用より保険会社からの入金額が上回った差額に少し上積みしてハイキングシューズを買いました
どんぐり庵には二階にもキッチンがあります
幅は2.4mでIHヒーターもあります
普段 我々がこのキッチンを利用することはありません
八ちゃんの食器を洗うぐらいでした
ここに来て気温も下がったので高齢の八ちゃんの缶詰やパウチも温めて上げることにしました
その為 八ちゃん専用の電子レンジを購入しました
併せて電子レンジを収納する高さ1.3mの4段ラックも購入しました
4段ラックは缶詰やパウチやネコ野菜等すべて八ちゃんのモノで埋まりました
キッチンの水切り笊は八ちゃんの10枚の食器専用です
従来は夜中に何回も階段を下りて一階のキッチンにある電子レンジで温めていました
多い時は夜中に10回も起こされるので階段を上り下りするのが大変でした
これからの本格的な冬を迎えるとさらに負担が増えます
二階に電子レンジを置くことにより夜中に一階に下りる必要が無くなりました
一階にあった八ちゃんの缶詰とパウチと食器は全て二階に運び込みました
かくして二階のキッチンは八ちゃん専用となりました
電子レンジは単機能でも2,3万円はすると思っていました
実際に今回買ったアイリスオーヤマの電子レンジは1万円でおつりが来ました
こんな事ならもっと早く買っておけばと思いました
今年の3月に突風が吹き何かがどんぐり庵の漆喰にドカーンと音を立ててぶつかり
西側の1m×2m位の面積の漆喰が南北10mの範囲に飛び散りました
保険会社に連絡をして現場確認をして貰いました
4月に保険会社から保険の適用の対象になる連絡が入り併せて保険金額の提示がありました
建築士にこの内容を連絡し工事の着手要請をしました
5月の連休が終わり 梅雨が過ぎて 猛暑の夏がやって来ました
夏が過ぎて10月に入り気温も下がってきました
漆喰工事は未着工のままです
そこで建築士に年内に漆喰工事をさせるよう予定に組み込んで下さいと連絡を入れました
11月に入り漆喰工事がスタートしました
親子二代目の腕がいい左官職人が工事をしてくれました
3年前の左官職人も腕がいいと聞いていましたが それと比べても今回の方が仕上がりがいい出来映えでした
漆喰工事が終わった時点で3月に併せて『石庭』の砂利の追加を依頼していたので
これも実施するように依頼いしました
11月下旬に依頼した砂利が搬入されました
11月30日(土)と12月1日(日)の両午前中でtiaraと砂利均しを終えました
12月2日(月)の午後に建築士が請求書を持参してきました
請求書の金額を確認すると漆喰工事と砂利搬入を合わせた金額が保険会社からの振込金額より安くなっていました
♪あーりがたや ありがたや あーりがたや ありがたや♪
今年を締めくくるには十分なグッドニュースとなりました
裏山に高さが8m位のイチョウがあります
このイチョウは30年ぐらい前に山登りの途中で拾ったギンナン数十粒の果肉を取るためにネットに入れて南行徳の庭に埋めたものです
庭に埋めたことは忘却の彼方となりました
何年か経過した時に庭に黄緑色の双葉が出ていました
この双葉はあまり見たことが形状でした
よく見るとイチョウの葉ような形でした
そうか! 何年か前にここにギンナンをネットに入れて埋めたことを思い出しました
シャベルで掘るとネットの中から顔を出していることが分かりました
数十粒のギンナンから芽を出したのはこの一つだけでした
ネットをハサミで切ってこの一つを取り出しポットに植えました
翌年10cm位に育ったイチョウを植木鉢に移しました
その後 更に成長したイチョウの根を丸めて大きめの植木鉢に移しました
それから年月が経ち1m近くまで成長したのでどんぐり庵の裏山に植えました
どんぐり庵の裏山に移したのは2007年頃だと思います
最初の2,3年は大きく成長することはありませんでしたが その後は直根が伸びたのかぐんぐん成長しました
5年ぐらい前の11月下旬から紅葉を充分楽しめる大きさまで成長しました
朝日を浴びるイチョウの紅葉は正に黄金色に輝き眩しいほどです
近所を車で走ると紅葉したイチョウを何本も目にすることが出来ます
自慢じゃないけれど どんぐり庵のイチョウの輝きは全然レベルが違います
山登りの途中で拾ったギンナンがどんぐり庵の裏山で黄金色に輝く立派な姿になろうとは夢想だにしませんでした
さて今年の流行語大賞が「ふてほど」だと昨日のニュースで見ました
「ふてほど」という言葉は初めて聞き 初めて知りました
表彰されたドラマの主役が自分は「ふてほど」という言葉は一度も使ったことがないと言っていました
審査基準があるのか? ないのか? どうでもいいのか?
どうでもいいや! こんなもの
土曜日の午前中と日曜日の午前中で『石庭』の砂利均しが完了しました
10cmの厚さで敷き詰める予定の量を発注しましたが実際にはこれをかなりオーバーする量がありました
これ以上厚く敷くと折角積んだ瓦の姿が消えてしまいます
余った砂利をどうするか?
余った砂利は盛り上げて山にすることにしました
山と言ってもただ三角錐に盛り上げても面白くありません
大中小の3つの山を作ることにしました
それぞれの山の頂点を結ぶと真上から見て不等辺三角形に成るように配置します
大の山は道路から見て一番右側で前後では中央に配置しました
中の山は道路から見て中央近くで前後では奥側に配置しました
小の山は道路から見て一番左で前後では一番手前に配置しました
大中小の山に共通するのは裾野がゆったりとして自然の山の様にすることでした
大の山は高さも一番高くして後ろ方に向かって徐々に尾根を低く長くしていきました
中の山は大の山と繋げるようにして中間を低くしました
小の山は高さが最も低いのですが独立させ双耳峰の形にしました
こうして3つの山を配置すると今まであった枕木が不釣合いになったので取り除くことにしました
3.5tの砂利はこのように大中小の山を配置した『石庭』にデザイン変更して完了しました
この作業に当たりジョレンと追加注文をしたスノーダンプが大活躍してくれました
『仕事は道具で決まる』を実証してくれました