冬至前10日

一年中で日の入りが一番早いこの時期。
ちょっとウカウカしていると あれよあれよという間に暗くなります。

4時のお知らせが聞こえたら 片付けの時刻で 鍬やスコップを洗いはじめないと ま〜いいかでそのままになってしまいます。

町内を散歩すると 槙の生垣は 新年にむけて手入れが始まっています。
植木屋さんを頼んでいるところもあれば ご自分で糸を張り 刈り込んでいる人もいます。

少しでも暖かいうちにということでしょうか お寺の裏山にも檀家さんたちの手が入っていました。
檀家さんたちの軽トラが10台も並ぶと 力強さを感じます。
されど 作業には慣れているのでしょうが、斜面の作業を 安全対策をせずに行われているのを見るにつけ 不安な気持ちになります。

大きなイチョウを持つ家では おじいさんが庭を掃き 20代前半の家族は車を磨いている。
私も 場面はちがっても そんなことをやってきたのでしょう。

暮の整い

あと一ヶ月で 正月休み。

雨の日があることなど 無視して この日は何をしてカニをしてしてと 頭で描きます。
休みなどというのは 大体が その時になるまでを楽しんでいるようなもので 始まってしまえば 大体が 休み前のあの気持ちはナンだったのだ・・というものです。

遠い日においては お正月の煮物に使うサトイモ等々の野菜を買うために、今でこそ どんぐり庵から程近い 牛久辺りまで 市川から買出しに来たものでした。
まだ珍しかった綿の花など買って 正月の生け花に入れたりしたものでした。

その頃 近所で買う野菜では味わえない 美味しさを 地元の方々が作った野菜に感じていました。

どんぐり庵のお陰で そんな心配もなくなりましたが
それはそれなりに ○○さんの作ったなになに それもいつ収穫したものか など こだわったりしています。

豆を煮よう・・芋を煮るぞ・・・
あの辺を歩いてみよう・・
まだまだ そんなところです。

 

ソラマメの芽だし

BobCatさんに習い 芽だし培養土をポットにいれ 豆の1/3は 土に埋め込まずに 芽だしを見守っています。

双葉が出れば 移植の時期と聞いているので その時を待っています。

目安は 2週間でしたが グリーンの芽は出始めていますが まだ双葉というところまで行っていません。

来週辺りが 畑に移植する時期になると思われます。

同じ時に種を撒いた キヌサヤとスナックエンドウは順調に芽を出しました。
あとは 肥料を少し与えれば 春には美味しくいただけます。

ソラマメはともかく キヌサヤ スナックエンドウはたくさん収穫できるので 種は全部撒かずに 半分残しました。
来年使えるかどうか分かりませんが そういうことにしました。

スイトピーは春の花なので 春撒きのキヌサヤというのも なんかピンときません。
その時になれば 種があるから 撒こうかな という気分になるかもしれませんが。

ボタンの移植

樹齢25年にもなろうかという ボタンの樹を 市川からどんぐり庵に移植しました。

昨年から ボタンの移植が気になりながら 時期の選定と 時間の調整の折り合いが付かず先延ばしになっていました。

樹そのものが高齢であるという事に加えて 根元のところが空洞化していたり 庭をウロウロしている猫たちの格好の遊び場になったりしていて この二〜三年一時期のような 華やかさはなくなってきています。

元気な幹には 新芽が顔を出していて この芽が伸びてくれる事を信じての移植です。

赤玉土にもみがら物語を混ぜた土を作り 大きな移植穴を掘りました。
vivakenは「わかんないね・・これは。うまく根付いてくれれば おなぐさみ〜」
と 五分五分と言った表情です。

このボタンは 私が買って育てたものなので ダメならダメでいいのよ。
と どなたかから頂いた記念樹というわけではないので とっても気楽なもんです。

梅酒

ウッメッシュ!

6月に仕込みをした梅酒の梅を取り出しました。
ホワイトリカー 1.8Lに 梅が1.5Kg。
この分量は レシピから言えば 梅の量がお手本の1.5倍です。

その結果 梅酒として出来上がったのは 2L強ありました。
さて いつ飲むか分からない 秘蔵の梅酒が貯蔵されました。

ところで 取り出された梅。
これをどうするか。
いつもの事ながら いくつかは そのままかじりますが、いつまでもそれは続かず 
ジャムにしたこともありますが 味がないし、魚や肉と煮込む話も聞いていますが・・・・

というわけで さようなら〜。。と 廃棄。
立派に 役目は終えているからね と呟きながら処分しました。

アロエ

アロエは 市川市では戸外で冬を越せますが どんぐり庵では 寒さに耐え切れず 凍死しました。

あると便利なものです。

アロエのボディソープが気に入って使っています。
先日 ハンドクリームを買おうとドラッグストアに行きました。
資生堂が 宣伝していた少々価格の張るクリームを買うつもりでした。

ドラッグストアの中をうろうろしていて アロエエキス配合で 清流四万十水使用(これがまた訳の分からない表現ですが)のクリームが売っていました。

アロエを配合したものは イロイロありますが 使ったことはなく にもかかわらず 今回
「使ってみようかな・・」
という気になりました。

まだ 3日しか使っていませんが 手がツルツルしています。
いいのかな・・・

ただ 結構強い匂いがあります。
それがどこかでかいだことのある香りで
なんだっけ なんだっけ と思い続けていました。

昨日 ひらめきました。
それは
”オロナイン”
あの 匂いなのでした。

ちなみに 私はオロナインをけなし
vivakenはオロナインの信奉者です。

七五三

11月といえば七五三。
先日 松蔭神社を訪ねました。
この時期 七五三のお参りに 親子三代の姿がたくさんありました。
お子さん 親御さん特にお母さんとお嬢さんの和服姿が多く見られました。

ここに お参りに来ているどの家庭も それぞれ 一年がかりの今日への準備だったことと思います。

好奇心が大部分のまま お祓いを受ける様子を見に行きました。

神殿には 50人くらいの人々が 神主さんの詔を 頭を垂れていただいていました。

てっきり 一家族ごとのお祓いとばかり思った私は
「ご親戚の多いお家だこと。冠婚葬祭こりゃ大変だね・・・」
と そんな角度から見ていました。

詔が終わると 神主さんが
「ご本人と保護者のかたは 前にお進みください」
こう声を掛けると なんとなんと10組以上のご本人ペアが現れました。

まとめてお祓い。

確かに合理的ですがね。
私は知っています。厄年のお祓いも こういう感じだということを。

心のどこかに 次はもういいか・・・と思う時って こういう瞬間です。

見極め

美味しい店は 手近なところにあって いつも安心して足を向けられる。
そんなことも 条件の内なのですが 用事があって 知らない町での会食となると ついついインターネットで情報を得ようとします。

美味しい店の情報はニーズが多いらしく 情報を雑誌に求めていた時代にも その手の本はよくありました。
当時から 本の情報って ダレが責任を持つわけでも無し 自分に合うかどうか自分で確認しないとね・・
あら〜 私が住んでいる町の この店がこんな風に載っている。ふ〜〜〜ん
と 何度か首をかしげたものです。

インターネットの情報にも同じ様なものを感じさせられ はじめての店は必ず自分で確認しないと 正しい情報は 価格と場所 それしかないと思うようにしています。

食べ物やさんは 失敗しても諦めが付きますが
諦め切れないこともあります。
嘘は書いていないけれど いいところばかりが強調され 受け手のイメージばかりが膨らみ 現実には・・・・ってこと 

ありますよね〜。

選んだ人の自己責任 なんていうけれど 疑問です。

南木 佳士さんを読んでいて

今年は 南木さんの本をたくさん読みました。
インターネットですら手に入り難い単行本が 近くの図書館にあったのを借りたり アマゾンを活用して入手したりしました。
始まりは vivakenの本棚に残された
”阿弥陀堂物語”でした。

映画化されたこの小説は 私ですら 読み進みながら画像を頭に描いてしまうような、まるで
映画になることを前提として書かれたのではないかと思えるほどの構成であり 文章であり でした。

医師としての苦悩が 心の病となってしまい 小説を書くことで”生”を保っている。
南木さんはそんな風に書いていました。

そんな苦しさを ”あとがき”などで読み 違った角度からの”生”を見つめたりし また医師という仕事を考えさせられたり と 時には電車を乗り過ごしたりするほど 本の世界に没入していました。

今一度 南木さんの本を手にとり かつて島崎藤村で垣間見た信州の景色と 自分が歩いた信州 そして南木さんの信州などが重なり合い 心構えでまた違った南木さんの世界を見ています。

葬送

伯母を自宅介護している従姉妹が 
「葬儀には 間にあわなかったゎ・・。生きているうちに 来なければいけなかったのにね。」
と  遠路やってきてくれました。
14日の土曜日のことで 大風が吹いていて 羽田の滑走路は不安定な天候の影響を受け 着陸までの40分を 茨城県上空で旋回していたと聞きました。

私は 母の葬儀は近親者だけで済ませる
そういう思いでスタートし 思い浮かぶ人もいたのですが 連絡を差し控えていました。

先輩から
”葬式は残った人のものだよ。連絡を受けたときは 共に哀しんでもらいたい そういうことなんだから なにかしなくてはいけない”
そう 教えられ そう 生きてきました。

残った人のものだから・・・
これは 鬼籍に入られる方の ご両親でありお子様達であろうと考えてきました。
その方たちの為の 葬儀なんだ と。
しかし もしかしたら そんな狭義のことではなかったかもしれません。

従姉妹は
「叔母さん こんな姿になってしまったわね。でも こうして逢えたから 明日からはもう泣くこともないと思うわ。」
霊前で こうつぶやいたのでした。

そして 夫には言われているの
「生あるものが全てだと。」ね。

伯母を置いて出かけるには イロイロな手配が必要であり 従姉妹の家族の荷も増えたことと思います。
遠路のお弔いありがとうございました。


補聴器

年齢を増すごとに 目も歯もそして 耳もガタが来るのは避けがたいものとしますが
身近な 高齢者の難聴を見るに付け

メガネや入れ歯に比べると 対策の立ち遅れ感を感じます。

筆談では果たせない 言葉のイントーネーションで表現する気持ちを 少しでも伝えられればと思うことがあります。

電車に乗ると すかさずといっていいほど イヤフォンを耳にする多くの人がいます。
大衆の中でイヤフォンを使うことは 今や特別な事ではなくなってきました。
また メモリーは小さく小さくなり 再生機器は小さく軽くなっていると見受けます。

補聴器の世界で これを活用できないものでしょうか。
ハードを首から提げるなり ペンダントのようにより邪魔にならないようにし
ワイヤレスイヤフォン 究極は埋め込み型イヤフォンで しのげないものでしょうか。

出来そうな気がしてなりません。

大きな声で高齢者と話をしている様子を見るにつけ なんとか・・・
と思います。

母は 耳は最後の最後まで よく聞こえていました。
ただ 歯は 上が入れ歯でした。
この入れ歯 マグネットで装着するもので 大変よく出来ていました。
10年以上使い 晩年は随分痩せたので 普通なら入れ歯が合わなくなり 始終メンテナンスに明け暮れるところですが 全く心配がなく 不自由なく過ごす事が出来ました。  

介護の日

11月11日 が いい日 いい日 という語呂合わせで 介護の日。

誰かが ”ポッキーの日” などとも言っていました。

母の晩年で介護現場を目の当たりにし
「誰にでも出来る仕事じゃない」こう思わざるを得ません。

気持ちだけでは 成り行かない世界を感じます。

母は 24時間家政婦さんのつく介護体制を持つ病床で2ヶ月 床についていました。

最も印象深かった 一こま。

Kさんとします。
Kさんは 午後7時頃が入浴時間でした。
入浴し 帰ってきたところで 母は便意をもよおし そのことを 伝えました。
私は 傍らにいました。

Kさんは
「あら よかったわね。すぐ 手伝うからね。」

シャンプーし まだ 濡れ髪のまま それをざっと束ねて 
お風呂から帰ったばかりで 母の元に寄り添ってくれたのです。

今 お風呂から帰ったばかりなのに・・・・・
下げた頭を上げる事が出来ませんでした。




迷子の手帳

来年の手帳が店先に並ぶ 今になって 
今年使うはずだった手帳が出てきました。

パールの入ったサックスの表紙が気に入っていました。
それが 行方不明になったのが 1月。
何日も使わないうちに どこかに入り込んでしまったのでした。

仕方なく 代替を使っていました。

それが今出てきたのです。

どういうわけか ディバックのポケットに入っていました。
今年は ディバックでお出かけなどという機会が無く まさかこんなところにと 思ってもいませんでした。
 
「こんなところに入れたんだ 今年はもう終わりよ。。。。」
と呟き

「暮まで 使いましょ。。」
と2冊の手帳をバックに押し込んだのでした。

都市銀行

普段手元に置かない現金が どうしても必要になる
葬儀もその一つです。

都内その周辺に住んでいると お財布代わりになるATMや 支店があるので 時には手数料さえ払えば便利に使うこと出来ます。

私は 朝引き出した現金を 夕方また口座に入れるということを 自宅と実家の行き帰りに ナンの不便も無くやっていました。

さて 睦沢は。。。

頼みの綱は 広域農道にある セブンイレブンのATM と 郵貯。
セブンイレブンがあるお陰で また ダイレクトでインターネット上から 振り替えをすることが可能になっているので まるっきりの「置いてけぼり」ではありませんが、電車に乗る前に 駅前の銀行に立ち寄って 入出金というわけにはいきません。

現金の入出金には ともかくATMの前に立たなければならないので。

それを思うと 振り込めサギって 都会の出来事に思えます。


気ままな草花

山茶花と菊が 今 真っ盛りです。
ブラリ 散歩に出ると イロイロな山茶花や菊に出会います。

どんぐり庵では 早咲きの白い椿が ひと〜つふた〜つ とゆっくり咲いています。
鉢から移植した椿は どの木も蕾があり 楽しみにしています。


ツツジ シャクナゲ は 結構気ままに花を開きます。
一本のシャクナゲなど このまま行くと 春に花は無さそうな勢いで 蕾がみんなふくらんできました。

スミレは咲いているし ツツジもぽつぽつ咲いているし たんぽぽも。。

時々狂い咲きなどと話題になりますが
なになに 自然の中では ソウ珍しい事ではないようです。

涙と笑い

私は 三姉妹の長女の為 実家の冠婚葬祭では 必要に迫られ 代表となるのですが
仕事場では 結構きりりとした役割を果たしているにもかかわらず 
事が プライベートな事に関わってくると 感情が先走り 葬式で泣き 結婚式でも泣き
甥っ子や姪っ子には 
「おばちゃんを前に出しちゃぁダメ。すぐ泣くよ・・・・」
こういう評価になっています。

まず 自分の結婚式。
神前で神主さんから 神妙に詔を受けていました。
その時は 涙ぼろぼろで 側についてくれた係りの女性は さぞや貸衣装の白無垢の着物が汚れないかと心配した事と思います。

その同じ場面で 三々九度の頃だったと思いますが 巫女さんの神前での踊りを見たら 感情が逆に振れて おかしくておかしくて 仕方がなくなったのです。
その前まで泣いていたのですから 鼻は詰まっているし おかしさはこらえきれず
後ろから見れば 肩が揺れていた事は 絶対間違いありません。

その他 泣きと笑いでショッチュウ苦労しています。

父の葬儀のときは vivakenが処々の挨拶を代行してくれて 比較的穏便に済ますことが出来ました。

今回 母の葬儀に際しては 私が喪主を務めた事もあり 突っぱねられました。

精神安定剤を処方してもらうしかない。
何とか ビジネスライクに勤め上げたかった私は 通夜から 安定剤のセルシンを飲み 告別式には 倍の量を飲み 告別式に挑みました。

セルシンは 私の精神興奮状態に負け 効果を発せず 結局涙でつまりながらの喪主の挨拶。。。

あ〜やだ!!

甥っ子が言いました。

「おばちゃんのハナがね 床に ポタポタポタ・・・って落ちたんだよね。おれさ〜 それを見たら おかしくて おかしくて 笑いをこらえられなかったよ。笑っちゃったよ。」

でした。

歩く

長柄町 六地蔵まで JR茂原駅からバスに乗り JR本納駅に向かい 少々の起伏ある道をブラブラと歩きました。

愛宕山408mが最高峰の房総半島は どこも丘みたいなもので それなら 関東ふれあいの道でも歩こうか となったわけです。

やはり11月 歩き始めは手袋が欲しくなる風の冷たさでした。

出掛けに 私のディバックに 手袋をほおりこんでくれたvivakenは
鼻高々で
「やっぱり こういうことは 男が配慮しないとダメなんだ。」
と わたしを牽制します。

ありがたかったです。 サンクス

一箇所 太平洋を望める場所がありました。
真名カントリーの横を抜け 点在する 房総民家に目をやりながら
「Bob Catさんのところは どこにも引けを取らないね。」
そんなことなど 語りながら 本納駅に到着。

一時間に2本しかない電車が 2分後に入線し 乗車。

”今日一番のプレゼントは この ラッキーだ!!”
ちょっと風が冷たかったですが 穏やかといっていい文化の日でした。

時間薬

体や心の傷が 時間と共に薄らいでいくことを 時間薬と言っています。

もしかしたら 関西では 普通に使っている言葉かもしれません。
最初に この言葉を聞いたのは 
「それはね〜 あとは 時間薬だから・・」
と 言って貰ったのでした。

やわらかな関西の言葉を使う方でした。

身内を送るうちに 自分なりの故人とのつながりの持ち方が出来てきて 
それは ”千の風”でも”お浄土”でも それぞれと思えます。
自分自身の 納まるところに 納まればいいと思っています。

いろんな 出会いに感謝です。

葬送

人生の卒業制作に携わるような 10ヶ月の日々でした。
vivakenからも ご報告申し上げましたが 母が逝去いたしました。

家族 親族に支えられ とりわけvivakenの無言の包容力に支えられ その日がとうとうやってまいりました。
変わることなく 季節を知らせる秋の収穫や 草花 木々の変化にも 時に乱れる心を支えてもらい 感謝せずにいられません。

喪主として 充分な務めは果たせませんでしたが
ご挨拶させていただいた一部を掲載させて頂き ご報告に代えさせていただきます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
母は 台風一過の青空を見たのを最後に 遠くへ旅立ちました。
持病の心臓疾患の悪化によるものでした。
その間 多くの皆様から ご心配や励ましのお言葉を頂戴いたしましたことに 家族を代表いたしまして 御礼申し上げます。
ありがとうございました。

本日 ここに  お心暖かき皆様のお力添えをいただき ご導師 世田谷山観音寺 ご住職のもと 往生し 無事 お浄土にたどり着き 仏となることが出来ることを 家族一同心より安堵致しております。


母を見舞うたび 別れ際の言葉は ♪明日もいい日でありますように
歌うように 二人交し合う そんな毎日でした。
今 皆様におかれまして 
”明日もいい日でありますように”
と お祈り申し上げます。


この度の葬儀におきましては あおぞら葬祭 福岡様に大変なが尽力わいただき 無事 終えることが出来ました。
ありがとうございました。

以下 割愛
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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tiara
里山の暮らしはいかに・・。
vivakenのカーチャンとか オッカーとか 呼ばれる日が、来るのだろうか。

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