ドウダンツツジのピークも過ぎ

先週末が 花のピークだった ドウダンツツジもそろそろ終わりでしょう。

手元にある皐月の盆栽も 花柄取りをしなければならない頃をむかえました。
梅雨の代名詞のような季節の花 「花菖蒲」が話題になると 早春から初夏にかけての花リレーも終わりを告げます。

真夏の太陽が似合う 真っ青な空が似合う花たちとの出会いが待っています。

私は 夏っ子です。
吸い込まれそうな青い空が大好きです。
この頃はトンと着る人が少なくなりましたが、夏プリントのワンピースをフツーに着こなすなんていうのがあこがれですが、そういう日常生活とはほど遠く ま〜 そういう日常です。

玄関周りに シソの仲間のコリウスを使ってみようと思っていますが、ゴールデンウィーク明けにははじめると聞いていた 玄関のアプローチ工事が未着手なので 「こりゃ来年だな」と思っています。

イヌサフランのイヌ

「イヌサフランを食べないで」
というタイトルで 行者ニンニクと間違えて食べ 中毒をおこした報告が出ていました。

そのこともさることながら
サフランの頭に付いている 「イヌ」

「イヌ○○」
と名前が付いているものは その大方が 役に立たなかったり 本物によく似た偽物 だったりする

これは 庵主の自論です。

裏山の実のならない山椒の木を 「イヌ山椒」っていうんだ
という具合です。

昔から 今とは違った意味でコンパニオンアニマルとして また 番犬の役割を担ったりしてきた仕事犬 なのに つまんないものの代名詞にされたのは どんな理由だったのでしょう??

町の友人が
「里の人は 鳥を見れば なんでも すずめ ッて言う人がいますよ」
と前に言っていたのを思い出し
人間以外は みんなイヌだったのかしらと思ったりしていますが。。

枝豆

7月に収穫できる枝豆があるといいと思い 種の植え付けをして 一週間で芽が出揃いました。

黒豆は 7月に植えて 10月の収穫ですから 夏の枝豆がないのは少々寂しいと思ったからです。

たいした心配もなく芽が出揃っていました。
昨年の黒豆は 裏山の平坦なところ 聞くところによると かつてはここの住人が畑にしていた所と聞いているところに種を撒き すっかり 鳥達を喜ばせてしまい 何の収穫もありませんでした。

もう 裏山の畑はやめにして 前庭に畝を作って また 余った種は適当に撒いておきました。
頑張って 芽を出していました。

さて あとは 雑草と 虫食いにあわないように監視です。

アジがある

古材を使った家を造るとか 古い家具や調度品を購入するとき よく使われる言葉に
「アジがある」
というのがあります。

わたしは 「アジがあるね〜」と分かったような わかんないようなです。
どちらかというと そう表現して曖昧に終わらせているという感触です。

どんぐり庵の近所で菜園を作る女性達の数人から
「今年の キヌサヤやスナックエンドウがなんか固くてね。」
と言う声を聞きました。

どんぐり庵は 今 収穫できるものが何にもないことを知って、「堅いから よく火を通してね。」といいながら 新鮮な野菜を手渡してくれます。

キヌサヤを炒めていただきましょう と すると 確かに例年より固めだな という感触です。
茹でる分には 時間をコントロールすれば美味しくいただけます。

新鮮な野菜は 本当に味があります。
中華ドレッシングも青じそドレッシングも イタリアン も何もかも出番はなく わずかな塩さえあれば充分です。

日曜日毎の雨

日曜日がくるたびに 「雨」です。

まだまだ外仕事から解放されない私は、空を見上げながら 家の中の仕事をしたり、どれもこれも けじめが付かないままになっています。

ぼんやり 外を見ていると 雨が降り止む合間をぬって 雨合羽を着て草取りをするご近所さんを見かけます。
わたしも空を見上げながら 出たり入ったりしていました。

ともかく 毛虫に追われています。
ケムンパスなどという可愛いもんじゃなくて 毛虫です。
つまんで 排水溝に流しています。

作業帰りの農家さんは
「お〜 毛虫も生きてんぞ!」
とか からかわれ
「いくら取ったて 追いつかんべ。こういう風の日は ああいうところから(大きな木を指差して)糸張ってよ ふ〜らふ〜ら飛んでくっからよ。」

それも 然り。さりとて ほっても置けず。

キンチョールを手にした私に 「そんじゃ〜だめだべ」
そのとおりです。

「よく効く殺虫剤が売ってるよ。いろんなのがあるけ。
何かっても すぐ1000円だけんな。」
と この辺は トーンが落ちてきます。

わたしは 毛虫から解放されるなら 1000円でもいいのですが そういうものをあまりシューシューやると 特にお隣は竹窄酢で害虫駆除をやっているので どんぐり庵で シューシューしたりすると 苦情になりそうで怖いのです。

コナラ様々

どんぐり庵の北山は ケヤキの団十郎 と コナラの玉三郎が両袖を分けています。

団十郎が落としたケヤキの種子が芽を吹いては消えていくのですが その中にやっと2年が経ったと思われるものの育っています。

玉三郎がが落としたどんぐりが芽を吹き もう 1mになろうとしています。

ひろって植木鉢で芽を出し 2年植木鉢に入っていて移植したものは さっぱり背が伸びず やっと 50cmというところです。


以前ケヤキの古木さんにお書きいただいた、
「主根の成長を妨げない 植木鉢栽培の移植時期」では 
「翌年のお彼岸には植え替えること」でした。

庵主はコナラ山を大変楽しみにし 早々に育て始めたものがありました。
植え替え場所が決まらず 長々植木鉢の中で育ったので 主根が真っ直ぐに地中に伸びるチャンスを逸したようです。
チョット目には 同じ木とは思えない形です。

デザイン的には 背の高いもの 低いもの と バリエーションがありいい景色です。

井の頭公園で拾ってきたどんぐりも芽を出しました。
赤かった芽も緑に変わり 元気一杯成長しそうです。  

駐在さん

地元は何と呼んでいるか分かりませんが、私たちは 普段交番のおまわりさんと呼びます。

日曜日 ミニバイクに乗り POLICEと書かれたスタッフジャンパーを着たおまわりさんが見えました。

三月に赴任しました。というご挨拶です。
ついでにというか 住んでる人は何人で 緊急連絡先 は 等々の確認です。

私は 少し離れたところで 「お〜 いい具合じゃないの 交番に連絡先が伝わっているというのは心強い。」などと思っていました。

笑顔が爽やかな方で 心配といえばこそ泥 または放火・いたずら。
「上市場では 泥棒の被害が出ています」という事でした。
凶悪事件など 縁のなさそうな いえ あって欲しくない睦沢です。

帰り際 「交番はどこにあるのですか?」と尋ねたわたしに
「駐在所は・・・」と言い換えて場所を説明してくれました。

そうか 駐在所か。と思いながら おまわりさんより 駐在さんのほうが ネーミングとしてはイイナと思いました。

評価の分かれ

スチールの物置を 茂原で購入してから3年が経ちます。

家を建てるにあたり 二回三回と移動し 今やっと定住の場所があてがわれました。

前半2年は 私たちの休憩場所も兼ね 寒さをしのいだり、雨を避けたり そういう使い方からも 大変役に立ってくれました。

そして今はなくてはならない物置として 毎日毎日大活躍の場を持っています。
今や あって当たり前の存在感です。

この物置は スチール製ということがあって 購入時庵主を悩ませたものの一つでした。

「里山にスチールの物置なんぞ不釣合いだ!大工さんにつくってもらうんだから 無駄な買い物はしない。」
暫くそういい続けていましたが

私は内心
「里山の風景???何言ってんのよ そこらじゅうに トタンの物置があるじゃないの。」
と 超現実的でしたが 相手を尊重し
「そうですね・・」てな具合でした。

やはり 必要に迫られてきて 3年前のゴールデンウィークに購入したわけです。
今は 建物の北側に位置し 裏にまわらなければ スチールの物置を確認する事は出来ません。
ロケーションを優先したわけではありませんがそれも含めていい位置に置かれ、
なくてはならないものとして、どんぐり庵で高評価を得ているものの一つです。

2000枚の瓦

2000枚の瓦が婿入りして 3年が経ち 当初の計画が頓挫したため どこにどうするか 庵主の頭を痛めていたところでありました。

当初の計画とは ポーチや 雨水の落ちるところにかわらを縦に埋め込み、デザインしようというものでした。
しかし 施工してくれる業者が見つからず 私たちが自力で完成させるには 重機の不足と 人工の不足を解決する事が出来ませんでした。

庵主は神のお告げといってもいいような思いつきを 早朝 浅い眠りの中で受けたといいます。

”積み上げて 敷地の縁取りにせよ”とあったのか
庵主自ら 夢うつつの仲 ”そうだ!積み上げて敷地の縁取りにしよう”

どちらなのか定かではありませんが
実行し とうとう 完成させてしまいました。

ゴールデンウィークが もう少しはっきりしたお天気だったら 私も手を貸し もう少し早く完成でき 喜びを分かち合えたのですが、殆ど 手を貸さないうちに 庵主一人で終えました。

孤独な作業というのは 私のように 一人でじっと取り組むタイプの ある意味独りよがりのタイプには たいして苦にならないことなのですが 大方はそういうものではないと思っています。

私は 何につけても プライベートでも仕事でも
「孤独にさせてはいけない。」
これが信条です。

そんなわたしですが 結果的に 見守るだけになってしまいました。

本当に ご苦労様でした。
怪我も 故障もなく終えたことに安堵しています。
暫くは 静養し なれない力仕事でゆがんだ体を元に戻す事に 専念してください。 

実山椒

裏山には 数本の山椒の木がありますが これは この1〜2年で育ったものです。
山をきれいに片付けた結果 芽を吹き育ってきたものなので 実がなる山椒なのかどうか まだまだ時間をかけないと 結論は出ません。
そのうち一本ぐらいは実を付けてくれるのではないかと はかない期待を持っています。

どんぐり庵の東西の隣人は 立派な山椒の木を持っていて 今 実が付いている事がよく分かります。
こんな山椒が欲しいな と この季節になると思わずにいられません。

昨日の日曜日 西隣との境界付近で 実のなった山椒の木を発見。
もしかしたら これはどんぐり庵のものかもしれない・・

早速 庵主を呼び寄せ  
「ここの境界は?」と確認すると 
「あ〜 残念でした。お隣のものです。」
と判定されました。

こうなったら 辛抱強く 裏山のどれかが実を付けてくれるよう お祈りするしかありません。
チチンプイプイ。

房総蕗

敷地内に 房総蕗が増え アマガエルでもチョコンと座っていたら最高のシチュエーションと思いながら 黄緑色のきれいな葉っぱを見ています。

ご近所は「ゴールデンウィーク前なら あくも少なく 茹でて少々あく抜きをすれば 季節の味を味わえるから 摘むように。こうして あーして 自家製きゃらぶきをつくれば 美味しく食べられるから。」

何回か言われました。
そのたび 何とかつくってみなくてはと思い 頷いていました。

さてさて ゴールデンウィークも開けました。

庵主は 「奥さん 蕗を持って帰ったの?」
と聞かれ、「持っていかなかった。」
と答えました。

そうです。蕗を摘んでこなかったのです。

隣人は
「マ〜 都会の人は・・・食べられるものをね。」
と呆れ顔だったようです。

とりあえず 都会の人ということになっていて 逃げ道があってよかった。

こんなもんいらない

外トイレにつづく「こんなもんいらない」

それは カメラ付きのインターフォンです。

こういったものを 決めるのは私の役目です。
家を建て始める頃 インターフォンの話が出て 
テレビ付きのインターフォンが当然のように候補に上がりました。

その時は 
「テレビ付き〜!!!無駄。いらない。」
間違いなくそう思いました。

ところが どこでどうなったのか
電話/FAXに オタックスを選んだあたりから おかしくなって、インターフォンの子機として電話の子機も使えるというところにばかり関心が行き、その機能を満足させるために選んだインターフォン親機は なんと テレビ付きだったわけです。

県道と平行に建てられたどんぐり庵は 道路すなわち家の入り口を確認する窓なり何なりが一杯あります。

ピンポーン♪と鳴ると 子機の画面で誰が来たのかを確認するより 窓やベランダから表を見るほうが ず〜っと自然な行動です。

インターフォンを介しての会話は テスト確認以外ないに違いありません。
子機のディスプレィも 見ることは無いでしょう。

毎日の繰り返し

西西の隣人とどんぐり庵の前で顔を合わせました。

道路の縁石のわずかな隙間から雑草が芽を出していました。
「私はね ゴミを棄てに行く時こうして雑草を抜きながら行くのよ。」
と教えてくれました。

そういえば 敷地内の雑草に終われ 家の前のことをトンと忘れていました。

朝起きたら まずは玄関の前をさっさと掃き、自分の家の前の道路は我が家も同然と掃き清めた 昭和の映画のワンシーンを思い起こします。
割烹着など着た お母さんが。

洗面や食事と同じ様に 暮らしの中には毎日の繰り返しがあり、それをいかにうまくこなすかで 時間の使い方も随分変わってきます。
流れの中にうまくはめ込んで 済ませるといった工夫が出来ると いい具合です。

少し前までの私なら 何かをやりながら次のことを考え ロスの無いよう次々こなしたのですが この頃は一つの事に集中しないとミスが出るので とても効率が悪くなってきた自分を感じます。

またまた思うのです。
年をとると時間が早く感じられるのではなくて、処理能力がおちるのよね・・・

毛虫だ

ふと気が付くと フジサクラの葉っぱが大半無い!!

1mに満たない小さな木の葉っぱは どうした?なににやられた?とよ〜くみると、枝に体長2センチほどの黒っぽい毛虫が 3匹・4匹といるではないですか・・・・・

我が家の場合 なんでもとりあえずキンチョールなんですが、どんぐり庵にあったのは あらゆる虫に効くと書かれた ムカデ用の殺虫剤でした。
農薬よりは 環境にも人にも優しいだろうと その殺虫剤で狙い撃ちをしました。

毛虫は一本の糸を吐きながら 地上に落下。

いろいろ見ていくと ユキヤナギ・キンモクセイも被害を受けていました。



ツツジの挿し木

「この先に堰があるから行ってみるといい」
と教えてくれた方の前庭には 新潟から取り寄せたという 10本前後のシャクナゲが植えられていました。

シャクナゲの話をしているうち 敷地の中に入るように案内されました。
少し遠くに目をやると ご自分で整えたという 斜面を利用したツツジ山が目に入りました。

形よく されど完全に整えられたのとはまた違った味わいの、新緑の柿の木が印象的でした。そして みごとに配置された山ツツジでした。

共に歩く庵主は ツツジの季節になると 毎年 根津神社を訪れていたものでした。
人の手で見事に完成させられたツツジの競演を見てきたのですが、
つぶやいた言葉は
「ツツジの美しさは 自然の中にある姿を整える程度でこそ本領発揮だな。」でした。

裏山には 自生の藪ツバキが数本あります。
たくさんの花はつけませんが とりあえずの彩です。
そこで私たちは 庵主の手で 手入れが少しづつ進んでいる裏山に ボツボツ ヤマツツジを植えようじゃないかと話がまとまりました。

それも 挿し木でもして増やそうかという時間のかかる話です。
そろそろ ツツジの挿し木の時期を迎えるので、心の準備は整いました。

ツツジ山の賑わいを見られるのは 千の風にのった頃かもしれませんが。。

ナス・キュウリ・トマト 等々

畝を立て 一人分の夏野菜をつくろうと 苗を買って来ました。

はじめは 耕運機をいれ畑として耕すつもりでいました。
雨続きの連休でした。
その 雨のおかげで どんぐり庵では 畑というほどのものが必要かどうか少し考える結果になりました。

5m畝が2本もあれば 充分と考え始めたわけです。
そこで私は 連休最終日やっと太陽が日をのぞかせ 土の表面が乾いてきたので、乾いた土をかき寄せ 1本の畝を作りました。
畝の両側はグランドより低くし 少しでも水はけがいいように 流れ道を作っておきました。

思いつくまま 培養土や油粕を混ぜあわせ 感覚で勝負しました。

間違いないのは トマトで失敗する事です。
初回にトマトを植えたとき 隣人から 「雨に当てるとうまくいかない。」その他いろいろレクチャーを受けていて 到底うまく収穫する事はできないのですが、
「トマトといえば 夏野菜の代表よ!」と それだけの意気込みで植えつけました。

一昨年喜びをもたらせてくれた「キヌサヤ」の 味わいと収穫の喜びが忘れられず、チャレンジしていますが、さてさて・・どうなる事でしょう。

堰があるから行ってごらん

連休の最終日になって やっとの事でお日様と顔を合わせた 睦沢地区でした。

「今朝は散歩をしよう」
と庵主に誘われ そういえば このあたりをのんびり歩いた事も無い と 思い 同意。
7:00前外に出ると 
「おや 今日は二人で散歩ね。」と声がかかります。

さっさと身支度を整え 小さな雑草を摘み取る女性たちの姿が見えます。

田んぼ も 畑 も手入れが整い 几帳面な側面が本当によく理解できます。
”ま〜いいか”とか”とりあえず いいんじゃないの”というものを感じません。

私は それはそれとして ツツジが花開く生垣や お庭が気になり プラプラ歩いていました。

見かけない二人連れ発見とばかり 道であった方は 
「中央団地かい?」と聞きます。
「いや〜 床屋さんのとなりの・・」
ここで どんぐり庵は 地元の人なら知る人ぞ知るところで
「お!!一生懸命やってるじゃないか」
と 庵主の努力を認めてくださいます。

「この先に 堰があるから行ってみるといい」
と促され 内心 人工物の堰か・・と思いつつ近づき 
あらららら・・・ ゆったりとした湖面と 堰を囲む多くの樹木が織りなす美しさに 思わず
「こんなところもあったんだ」と スマイル。

小さな葉っぱのケヤキ

「ケヤキの仲間でも 小さな葉っぱの種類は貴重品。」
という情報と共に どんぐり庵に 高さ1.5m程で 葉っぱが小さいケヤキがやってきました。
妹夫婦の家にあったものです。

どんぐり庵に到着し なるほど 葉っぱが小さい。
こういうケヤキもあるんだね
などと眺めていると、
庵主が
「なんか・・・木肌が違うな???」

と つぶやき始めました。

其のあたりから 全員
「なに!!」「なぬ!!」
という感じで 妹は「お父さんは あー言ってた。」「お母さんもこう言った。」と言いつつ

「でも あの時数鉢持って来てくれたから、私が勘違いかしら。」
頭のなかを 暗雲が立ち込めているという感じでした。

ケヤキの団十郎をはじめとして ケヤキはまわりに数本あるので 葉っぱを一枚とってきました。
葉っぱの形を較べて 
「う〜ん これは 葉っぱの先のトンガリが無い。」
「ケヤキでは無い可能性が 大きい。」

この事実から もう一人の妹を含め 私たち三姉妹は 「お父さんはこう言ってたのに、とか とある大家(たいか)はこう言っていたし・・」
と この〜木 なんの木 となりました。

結論は ニレ科の木 からたどっていって 「アキニレ」という事が判明しました。
ケヤキ アキニレ ハルニレ 同じ仲間でした。

花は期待出来ませんが、玄関脇に植え込む計画です。

団十郎をはじめとして ケヤキの花を認識していませんが 種子がたくさん落ち 何本かは芽を吹き 庵主に見守られています。

北海道で30度

オホーツク海側で気温30度を記録したと聞きました。
ライラックが一気に開花したようです。

昨今の私は 北海道の稲は大丈夫か?
です。

先週 睦沢は田植えが終わり 大きく田んぼをやっている方々は 一息ついているところでした。
話を聞くと 天候不順で苗の生育が芳しくなく ややへナットしている。ということでした。

そもそも完璧に機械任せというわけには行かない作業のようですが、いつもに較べると手作業に頼る部分が多かったと聞きました。
その苗たちをどのようにうまく管理し 少しでも多くの収穫を得るのかが あと半年 農家さんの腕の見せ所です。

「毎年 毎年 勉強だ」
何度もこの言葉を聞きました。

場所は変わっても 米作りに対しての熱意は変わらないものでしょう。
北海道の気候に適した米の品種が充実してきて 今や
「北海道の米はうまいぞ」
と言われている中 この 高温が たいした影響がなければいいのだけれど
と そんなことを思っています。

糸を張る

日曜日の友達との会話。

友達は そろそろ夏野菜の準備に入るといい 畑を耕し 畝をたてはじめると話していました。

少々ご近所の手を借りるにしても 500坪からの畑を 移住3年目にして手がけるのだから 半端なことじゃない と思いながら話に耳を傾けていました。

そんな中で 畝をたてるのに糸を張ってというところで、
「プロが糸を張るのに 私らが張らないでやるなんて ありえないことです。」


私たちは時々 「基本の基」という表現を使います。
それは時として 「そんなの常識だろうが。。」という意味がこもっていたりします。
美しい 美しいと里山を賛美しますが その原点には 田や畑に携わる人たちのその地域のやり方で構成された風景があるわけです。

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tiara
里山の暮らしはいかに・・。
vivakenのカーチャンとか オッカーとか 呼ばれる日が、来るのだろうか。

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