非効率

月に一度 高血圧に伴う脳梗塞予防のために通う脳神経外科クリニックに行きました
家から15分の場所にあります

9:00の予約だったので8:30に出発しました
9:45に駐車場に着きました
9:00から開院なのに駐車場はほぼ満車状態でした

建物に向かう途中で診療を終えた人とすれ違いました
中に入ると椅子は全て埋まっていて5人ぐらい立っている人もいました

名前が呼ばれたのは50分後の9:50でした
9:00の予約は本来なら9:00開院なので一番バッターです
それが20人以上の待ちでした

診察室に入り血圧手帳を開いて提出しました
血圧は126/70前後です

「血圧は順調ですね 他に問題はありますか?」
「特にありません」
「水分を充分にとって下さい 次回は採血と採尿になります」
「ありがとうございました」

という事で1分程度の診察は終了しました
会計の待ち時間は20分でした
会計と次回の予約を取ってから薬局に向かいました
ここの薬局はいつも早くやってくれます
今回も5分ほどで終わりました

1分の診察のために50分+20分=70分
朝一番の9:00に予約したのに1分の診察のために70分の待ち時間とは何とも非効率な世界です

サイン無視

ドジャースの大谷翔平が珍しくロバーツ監督に叱責された。1点を追う9回一死満塁でボール球に手を出し、空振り三振。これを「絶対やってはいけない。確実に(ヒットを)打たなければならない場面だから」と批判されたのだ。

そこで思い出されるのが長嶋茂雄さんも現役時代、同じような理由で川上哲治監督に叱責されていたことである。無死三塁で長嶋さんが凡退したら、罰金を取られたケースもあったという。  

長嶋さんが川上監督のサインや指示を無視した例は枚挙にいとまがない。例えば、阪神戦に城之内邦雄が登板し、藤田平を打席に迎えた時のこと。川上監督から「三遊間を狭めろ」と指示が出たが、サードの長嶋さんは微動だにしない。

ショートの黒江透修氏に「こっちに寄ってください」と説得されても、「ここでいいんだ」と譲らず。結果、藤田の打球が長嶋さんの真正面に飛び、スッポリとグラブに収まった。  

その直後、長嶋さんは「俺には見えてたんだ。城之内の球威、タイラのバットの出方からして、打球が飛んでくるとすればあそこしかない!」と自画自賛したという。  

そうかと思えば、接戦の終盤に走者が出ると、長嶋さんは「オヤジさん、ここは送りましょうか」と自ら犠打を志願。
川上監督に「おまえにバントなんかさせられるか」と言われた打席で、セーフティーバントを決めたりする。

そんな自分勝手なプレーが裏目に出ることもよくあった。が、いくら罰金を取られても、常に自分の判断を貫くのが長嶋流だったのである。  

たまった罰金が数十万円まで達したある年、キャンプで“歌合戦”が開かれた。宮崎の宿舎・甲南荘の大広間で選手が自慢の喉を披露。首脳陣が審査員となって、優勝者に賞金として罰金全額を与える催しだ。

まだカラオケのない1970年代、選手たちは全員アカペラで熱唱したという。  長嶋さんの番になると、いったんフスマの裏に隠れ、アロハシャツに着替えて再登場。

驚いた川上監督たちを前に、灰田勝彦のヒット曲「野球小僧」を歌ってみせた。 「♪野球小僧に 逢ったかい 男らしくて 純情で 燃える憧れ♪」  場内大爆笑となって、長嶋さんが優勝である。

「一番罰金を払った俺が賞金をもらうんだからいいだろ」と照れ笑いを浮かべた長嶋さん。

後輩の柴田勲さんに「即興ですか?」と聞かれると、大真面目にこう答えた。 「いや、きのう、一晩中、寝ずに考えたんだ!」

ミスターは野球だけではなく他でも 見る人を楽しませるには どうすればいいか考える人でした

黄金の時間帯

夏の早朝には貴重な時間帯があります
今だと4:30頃になると蝉が鳴きだします
主流はアブラゼミとミンミンゼミです これにツクツクボウシが絡んできます

早朝の気温は25℃前後で網戸にすると涼しい空気が入ってきます
煩いほどの蝉の鳴き声と涼しい空気のミックスが寝ている者を幸せに包んでくれます
4:30から6:00頃までは黄金の時間帯です

7:30頃になると外気温が上がり 室温に近くなるので窓を閉めることになります

夕方も6:30頃になると室温に近くなるので窓を開けて網戸にします
これ以降は外気温が下がり続けます

今の時期は気温が高いのでエアコンを入れながら網戸にします
エアコンは6月のある時期からシーズンが終わるまで24時間スイッチはオン状態になっています

寝ている時も扇風機も5段階の1で首振り状態にして回しっぱなしです
夜中に寒くなったら止めています

そんな訳で今の時期は早朝4:30から6:00頃までは貴重な黄金時間帯になります

遺伝

 『千の風になって』で有名な歌手の秋川雅史(57)が19日、都内で自身初となる書籍「子育てこそ最高の生きがい 私の考える教育」(中村堂)の出版記念イベントを行った。
 
2004年に長男、2006年に長女が誕生。「小学生ぐらいの頃から2人とも歌がうまかった」といい、「幼稚園ぐらいの時に歌のコンクールに出して、息子が関東で1位をとったんですよ。

娘もその時、年少だったんだけど、予選2人しか通過しないのがうちの息子と娘が通った」と驚きのエピソードも披露した。
 
その美声は学校でも話題だったという。
「全校生徒で校歌を歌うと、『1人だけ声が大きい子』がいるよねと(なる)。息子の卒業式とかは、私も全力で君が代とか歌いますけど、結構話題の卒業式だったんですよ。

前から息子の声が1人で出てきて、後ろから父親の声が聞こえる」と、当時を振り返って笑わせた。現在、長男はピアニスト、長女はオペラ歌手を目指しているという。

因みに『千の風になって』(せんのかぜになって)は、アメリカ合衆国で公開された詩『Do not stand at my grave and weep』の日本語訳。また、それを歌詞とする歌。

2001年、新井満がアメリカ合衆国発祥とされるこの詩を日本語に訳し、自ら曲を付けた[1]。

原詩の3行目 "I am a thousand winds that blow" を借りて『千の風になって』のタイトルがつけられた。

この歌の歌詞に秋・冬・朝・夜があって春・夏・昼がないのは、原詩で韻を踏むためにそれらの言葉が使われているためである。

寄る年波

火野正平の『こころ旅』の過去の番組でスタートした頃が放映されています
今から14年前になります
火野正平が60歳の時の番組です

スタートしたばかりなので火野正平も張り切っています
自転車に跨る姿もスマートで格好良く 跨った後も自転車はスート加速します

走行距離も30kmから40km走行します
能登半島も横断しました
峠もハーハー言いながらも超えていきました

vivakenが初めて『こころ旅』を見たのは2年ぐらい前でした
火野正平も73歳になっていたと思います

この頃の走行距離は20km未満だと思います
上り坂はなるべく少なくして スター地点は山の上からが多くなっていました
「人生 下り坂が最高!」と言っていました

更には走行距離も10km前後になりました
こうなると番組の尺が余ってしまいます
それを埋め合わせるために食事の風景がよく出るようになりました

上り坂はタクシーやバスを使うことも度々でした
上り坂で苦しんでいる時に軽トラが来ると荷台に自転車を乗せて運んでもらう事も度々ありました

60歳から14年も経過すると 当たり前ですが体力はグーンと落ちます
それでも ここまで頑張ってきたのは立派です
日本中を自転車で走るという いい番組に巡り合えたと感謝していたことでしょう

投手起用法

 左腕から投げ下ろす速球とカーブを武器に第1次長嶋監督時代の中心投手だったのが新浦寿夫さん(74)。
史上初の最下位に沈んだ75年から長嶋茂雄さん(享年89)と歩んだ濃密な時間を振り返った。(取材・構成=湯浅 佳典)  

長嶋監督が就任し、巨人史上初の最下位に沈んだ75年。入団7年目の新浦は、川上哲治監督の時代はさしたる実績も残していなかったが、新監督は起用し続けた。先発14試合(2勝7敗)、リリーフで23試合(4敗)マウンドに上がり、2勝11敗の成績に終わった。  

「後楽園のブルペンはスタンドから見えたんです。準備をしていると『また、おまえが投げるのか』とヤジが飛んでくる。投げたくないですよ。

監督と目が合うと投げさせられるから、球場では絶対に監督の前に立たないようにして、後ろに隠れてばかりいましたね。それでも、次の日に備えてブルペンにいたら、『ピッチャー新浦』のアナウンスがかかる。

この年は僕だけじゃなく、チーム全体の調子が悪かったけど(エース堀内も10勝18敗)、最下位はすべて僕のせい、完全な戦犯扱いでしたね」  監督も期待するからこその起用。それに応えなければ、とオフに決心をした。  

「酒をやめるか、たばこをやめるか悩んだ末に、たばこをやめたんです。そうしたらキャンプ中盤に監督に呼び止められた。『どうした、新浦。体がブクブク太ってるじゃないか?』。

禁煙を伝えると烈火のごとく怒られた。『何を言ってる。勝負の世界、勝ち負けは俺の責任だ。お前は余計なことは考えるな。たばこなんて、ケツの穴からヤニが出るまで吸え!』って」  

喫煙を再開したが、食事やトレーニングで筋肉の質は良化。76年に11勝(11敗5セーブ)、77年11勝(3敗9セーブ)で連覇の立役者になる。  

「特に褒めてもらった覚えはない。でも、負けても負けても使ってもらったからこそ、活躍できるようになった。恩返しの気持ちで、壊れるまで十分に使ってください、という思いでいましたね」  

言葉通り、78年には130試合中63試合に登板し、15勝(7敗15セーブ)とフル回転。同年オフに江川卓が入団してきた。  

「監督室に呼ばれ、こう言われました。『俺はエースを作りたい。江川をエースにしたいんで、お前は後ろ(抑え)に回ってくれ』。えっ? エースは俺じゃないのか? 俺じゃダメなのか?って感じですよね」  

江川が初勝利を挙げた79年6月17日の広島戦(後楽園)でセーブを飾ったのが新浦だった。この年は先発28試合を含む45試合に投げ、規定投球回の倍近い236回1/3で15勝(11敗5セーブ)。

75年から5年で239試合、計866回2/3も投げては、さすがに体がもたない。  80年に肘がパンクしました。

長嶋監督は嗜好品や体型には寛容なところがあります デーブ大久保も『水戸のドカベン』という体型でしたが「気にすんな」と言っていました 
日本ハムの新庄監督とは真逆な考えです

再挑戦

夏の土用の丑の日のニュースが流れると 鰻が食べたくなります
ところが田舎では鰻を簡単に食べることが出来ません
美味しい鰻を提供する店がないからです

過去に何回も挑戦してみましたが 全て失敗しました
その中でも残念だったのは 有名店の鰻でした

ブランド鰻の『坂東太郎』と『大井川共水』を提供する有名店です
この二つのブランド鰻の一つでも提供する店は千葉県に数店しかありません

かれこれ5年以上前になりますが 市原市潤井戸にあるY店に初めて行った時のことです
時期は覚えていませんが 時間帯は13時過ぎだったと思います

待つこともなく直ぐに席に案内されました
15分もすると鰻重が運ばれてきました
チョット早いんじゃあないかと思いました

最初に肝吸いを飲むと少しぬるいのです
これで少しがっかりしました

そのせいか うなぎもあまり美味しいとは感じられませんでした
食べ終わって会計の段になると そこに雰囲気の良くないおばあさんが二人鎮座していました

店全体の雰囲気も淀んでいたような気がしました
以後再訪することはありませんでした

一方で美味しい鰻屋が見つかることもありませんでした
この夏休にもう一度行ってみることにしました

お昼前に到着すると30組近くが予約票に記載されていました
待つこと40分で席に案内されました
更に待つこと30分で鰻重が出てきました

肝吸いも熱く うなぎも美味しく 案内係もテキパキとしていて 会計も普通に終えることが出来ました
再挑戦は成功しました
鰻を食べるならここと決めました

人生はさざ波

長嶋茂雄さんならではの華麗なプレーの一つに三塁守備がある。
6月3日に死去して以来、再三テレビで放送されていたので、若いファンも見たことがあるだろう。
 
ゴロに向かって猛然とダッシュし、一塁へ矢のような送球を披露して右手の指先をヒラヒラ。あの手つきは「歌舞伎の団十郎が見えを切る所作を取り入れた」と、長嶋さんが自ら明かしていた。  

しかし、このプレーをマネする選手は一人もいなかった。その理由について「ミスタードラゴンズ」と呼ばれた名二塁手、元中日の高木守道氏はこう語っている。

「長嶋さん以外の選手が同じことをやっても全然サマにならないんです。定位置よりもずっと深いところで守り、ショート正面のゴロをさらって、ボールを持ったままマウンドの後ろまでダーッと走り、そこからビューッと一塁へ送球する。なんちゅうのは、本来は全く余分な動きだから」  

ところが、長嶋さんがこれをやるとスタンドから万雷の拍手。送球で右手をヒラヒラさせると、感に堪えないようなどよめきまで起こった。 「お客さんがホオオ〜ッという声を上げるんだ。長嶋さんのプレーには、そういう独特の雰囲気を醸し出す余韻があった」  

長嶋さんはセカンド・土井正三氏、ショート・黒江透修氏に守備を指導することにも大変熱心だった。以下は土井、黒江両氏に聞いた話である。  

当時、遠征先の旅館では主力でも3人1部屋。長嶋さんは寝る前になると土井、黒江を布団の上に正座させ、体を動かして見せながら、こんなふうに言って聞かせた。

「ゴロはヒザで捕るんだ、ヒザで。捕ってもすぐ投げちゃいかんぞ。待って、粘って、ランナーと送球とどっちが速いか、そういうタイミングでビューッ!と投げるんだよ」  

そう言って、長嶋さんは右手の指先をヒラヒラさせて見せるのだ。
話に熱が入ってくると、話題がいつの間にか人生論に及んだこともあった。
「人生は大波小波、ややもすると荒波もあるが、野球選手はそうであってはいけない。こういう波の激しい中にあっても」  

長嶋さんはそう言って両手を大きく上下させたかと思うと「我々の人生はこういうさざ波のようにあるべきなんだよ」と、また右手の指先をヒラヒラと揺らせた。

「さざ波のように生きることが、野球選手として平和な人生を送ることにつながる。分かるか?」  

その後 そういう長嶋さん自身は、かなり波瀾万丈の大波人生を送られました

全面開放

夏休初日の早朝4時半 tiaraが山側の窓を開けました
まだ暗いのでヒグラシは鳴きません

もうちょっとすれば 鳴き始めるだろうと思ったら すぐに♪カナカナカナ♪と鳴き始めました

一匹が鳴始めると次々とヒグラシが鳴き大合唱になります

暫くして少し明るくなると アブラゼミが俺の出番だとばかりに けたたましく鳴き始めました

冗談じゃあねーぞ この場は俺が納めるとばかりに 今度はミンミンゼミが鳴き始めました
こうなると蝉しぐれで 煩く感じるほどです

外気温も25℃を下回ったので 窓を全面開放しました
天窓も開けました

裏山のゼミしぐれはダイレクトにどんぐり庵に入ってきます
勝手にしあがれ!という程 部屋の中はセミの声が響き渡ります

何と言う幸せなことでしょう
都会生活では絶対に経験できない経験です

別荘気分満載です
蝉しぐれのどんぐり庵 バンザーイ!

PL学園

夏の甲子園で繰り広げられる高校野球ですが 一昔前はPL学園が圧倒的な強さを示していました 優勝7回 甲子園出場36回です

全国から優秀な選手を集めて全寮制を敷いています

PL学園の野球場は甲子園をコピーしています マウンドの形状も一緒 外野のフェンスの高さも一緒です 

毎日 事実上甲子園球場で練習できることになります
驚くことに土や芝も甲子園と一緒 グランドの整備も甲子園と同じ人が担当します

プロ野球選手も80人以上排出しています

ところが入部した1年生にはひどい待遇が待っていました
その一部を紹介します
• 1年生が上級生からの言葉に対して回答していい言葉は「はい」と「いいえ」のみ。ただし「いいえ」が許されることはなく、実質的に「はい」のみ。

• 上級生がわざと小さな声でぼそぼそと何かを告げることがある。1年生がそれを聞き取れずに「えっ?」などと聞き返すと、息が詰まるほどに胸を殴られる。

• 「付き人」制度があり、上級生が1年生を選んで自身の付き人とする。付き人は上級生に絶対服従で、毎日の洗濯や食事の世話、マッサージなどを行う。
1年生と上級生が相部屋で、その1年生は「部屋子」と呼ばれる。部屋子は室内では基本的に正座で過ごし続ける。

• 1年生は入浴時に湯船に浸かることは許されず、シャワーで済ませる。風呂場の椅子を使うことも禁止で、片膝をついて体を洗う。シャンプーは禁止で、石鹸で頭を洗う。バスタオルは禁止で、手ぬぐいで体を拭く。

• 1年生は菓子類の摂食を禁止。ケチャップ・マヨネーズの使用を禁止。テレビの視聴を禁止。新聞の閲覧を禁止。電話の利用を禁止。外部との連絡は手紙のみ。

こう言う状況ですから いじめ暴行は毎日です
監督から選手へ 上級生から下級生への暴行事件が外部に漏れ2016年野球部は休部に追い込まれました

ピークは全校生徒数1000人を超えるマンモス校でしたが 2024年はたったの39人になりました 
この天国と地獄の落差を卒業生の桑田や清原はどう思うのでしょうか

冷しゃぶ

いつものレストランで前菜に冷しゃぶが出てきました
野菜を巻いた冷しゃぶでした

美味しく仕上がった肉で巻いた野菜が絶妙のバランスでした
タレのベースはゴマダレでしたが ここにあれやこれや追加して 夏で暑いので豆板醬を多めに加えたタレでした

野菜を肉で巻いた冷しゃぶと特性ゴマダレが見事に合わさり大満足しました

以前もレストランで頂いた美味しい料理を家で真似ても全て失敗 
これはダメだなという結果に終わっていました

ところがどうしても同じような冷しゃぶが食べたくなり 懲りずに挑戦することにしました

スーパーの肉売り場でしゃぶしゃぶ用の肉を探しました
北海道の黒毛和牛のシールが張られた肉が美味しそうに見えました
大きな丸い樹脂の皿に花びらのように円形に並べられていました
枚数を数えると5枚でした 価格は2000円 1枚400円」になります

肉で巻く野菜はカイワレ大根とキュウリの細切りにしました
タレはミツカンのごまポンをベースに味醂と豆板醤とポッカレモンを入れました
小葱も刻んで入れようと思いましたが ほんの少ししか使わないので無駄が多くなるから止めました

出汁はあご入りの紙パックを入れて作りました
ここに肉を広げて1枚1枚丁寧に湯に通しました
カイワレ大根と細切りキュウリを肉で巻きました

どれどれ美味そうじゃないか
タレに付けて食べてみるとマーマーの出来でした
勿論レストランの冷しゃぶとは比べ物になりませんが それなりに満足しました

明日8月9日(土)から8月17日(日)までは夏休みの為ブログはお休みです

ユウゲショウ

庭にはサクラが咲く頃からズーと今でもピンクの小さな花を咲かせる続けるユウゲショウの姿があります

ユウゲショウを守るために今日まで庭の草刈りをせずに 庭を「可愛い野原」にすることにしました

ここにきて「可愛い野原」もかなりボウボウになってきました
先週の水曜日の朝 大きな白い雲が沢山あり日光を遮っていました
ここに来てユウゲショウも少々疲れ気味になってきました

そこで敷地に入るスロープの左右と玄関までのアプローチの左右だけ草を刈ることにしました

刈払い機のエンジンを回し草刈りを始めたところ 不思議なことに さっきまで花びらを閉じていたのに「刈らないでいでくれ」と言わんばかりにユウゲショウが花びらを開きました
草刈りを始めたので中止する訳には行きません 

続けて日曜日の午前中も雲が多く出ていたので庭の草刈りをしました
地面すれすれに刈るのではなく数cm残して刈りました

1時間ほどして休憩に入りました
日陰の選択物干し台に座って温度計を見ると33℃まで気温が上していました満タンの燃料も空に近くなったので 草刈りはここで終了しました
少し刈残しがありますが まーいいかなという事で終了しました

政界の死神

2025年3月1日、経済学者であり政治評論家の高橋洋一氏がテレビ番組で発した「死神」という表現が大きな議論を呼んでいます。

この発言の対象となったのは、現在日本維新の会の共同代表を務める前原誠司氏。過去に所属した政党が次々と消滅したことを背景に、「死神」と揶揄されるに至ったのです。

高橋氏が指摘したのは、前原氏が関与した政党が次々と消滅している事実です。
具体的には、民主党、民進党、希望の党、旧国民民主党、教育無償化を実現する会といった政党がいずれも解散・吸収合併などを経て、現在は存在しません。

前原氏が関与した政党は、どれも存続が難しくなり、最終的に解散や吸収合併されています。
例えば、民主党は2016年に民進党へ移行し、民進党も2017年に希望の党と立憲民主党に分裂しました。

さらに、前原氏が中心となって立ち上げた「教育無償化を実現する会」も、長続きすることはありませんでした。

こうした経緯から、高橋氏は「死神」という言葉で前原氏を象徴的に表現したと考えられます。
前原さん一人で政党潰すのは無理だと思います。偶然や外圧が影響した事もあるかもしれません。今後を見守ってみませんか?

• 民主党(1996-2016) → 2016年に民進党へ移行
• 民進党(2016-2017) → 2017年に希望の党と立憲民主党に分裂
• 希望の党(2017-2018) → 2018年に国民民主党へ吸収
• 旧国民民主党(2018-2020) → 2020年に立憲民主党と新・国民民主党に再編
• 教育無償化を実現する会(2021-2024) → 日本維新の会に合流

こうしてみると、前原氏が関わった政党がいずれも短期間で解体・再編されていることがわかります。「死神」と呼ばれるのは、この現象に対する皮肉な表現と考えられます。

高橋氏は、「前原氏が所属する政党は次々に消滅している」と指摘し、「今度で5つ目かな?」と発言しました。

これは、現在前原氏が共同代表を務める日本維新の会の今後にも警鐘を鳴らすものでした。
維新はこれまで改革政党としての独自路線を貫いてきましたが、前原氏のようなベテラン政治家を迎え入れたことで、内部のバランスが変化する可能性があります。

今回の参議院選挙で日本維新の会は比例票で前回784万票から437万票へ45%減らしました
この責任を取って前原共同代表の辞任を表明しました 果たして日本維新の会の今後はどうなるのでしょうか?

日本女子プロゴルファー

全英女子オープンゴルフで山下が優勝 勝が2位 竹田が4位 西郷が11位
日本人の好成績が目を引きました

つい何年か前までLPGAは韓国の選手が圧倒的な強さを示していました
しかし最近は日本人の活躍が目立つようになりました
これについて韓国のスポーツライターが見解を述べていました

今季米ツアー1年目の竹田麗央は、先週開催された米女子ゴルフツアー「ブルーベイLPGA」で優勝を果たし、5試合で3回のトップ10入りで、賞金ランキング1位に立った。

今季の米ツアーには過去最多の日本勢13人が参戦していることもあるが、現時点では毎試合のリーダーボードに日本選手の名前を見ない日がない。

竹田は昨年の日本開催の米ツアー「TOTOジャパンクラシック」で優勝し、ツアー出場権を獲得。その後は米国行きを迷わず宣言。

「JLPGAツアーの小林浩美会長は選手たちの競争力を引き上げるために努力をしている最中だ。

選手たちの海外進出を奨励し、4日間大会を増やしてコースセッティングを難しくすることで選手の実力を上げようとしている。

日本のメジャーに出場した韓国選手たちは『コースの状態がすごく良くて、さらにとても難しかった』と舌を巻くほど、ピン位置やコースの難易度が高い」とも伝えている。

日本の選手たちには、“礼に始まり礼に終わる”というゴルフに対する向き合い方、礼儀が備わっているから強いとも見ている。

“日本選手らしさ”とも言えるものが、見る人にも伝わり始めているのかもしれない。

日本人選手はただ強いだけでではなく 海外から見ても とても礼儀正しいと褒められ誇らしいことです

あれこれ

石破首相にしても 兵庫の斎藤知事にしても 伊東市の田久保市長にしても ここまで地位に拘るとは 怒りよりも気持ち悪さを感じます
辞めたくない屁理屈を並べるのも3人に共通しています
嫌だねーーーこういうの

人は退き際にその人の本来の姿を見ることが出来ます 
vivakenは潔さが好きです


今年はセミが鳴く順番に混乱が生じています
通年だと ヒメハルゼミ ニイニイゼミ ヒグラシ アブラゼミ ミンミンゼミ ツクツクボウシの順で鳴きます

今年は順番が乱れて 今はヒメハルゼミ以外すべてのセミの鳴き声が同時に聞けます
とはいうものの全てが同量ではなく 今のメインはアブラゼミです


大相撲名古屋場所で優勝した琴勝峰のお父さんはボディービルダーで居酒屋を営んでいます

琴勝峰にはバランスがいい食事で食育に励んでくれたそうです
お父さんが作るメニューで一番好きなモノはナメロウだそうです

琴勝峰は学業も優秀で中学の時はオール5だったそうです
これを聞いて思い出したのが大横綱で理事長まで務めたK関です
成績はオール1だったという事です

相撲の強さは学業の優劣には関係がないようです

波浮の港

昨日のブログで石原慎太郎のいい加減な面を紹介しました
今日は別のいい加減な話を紹介します

『波浮の港(はぶのみなと)』は、伊豆大島の東南端にある波浮港(はぶみなと)を題材とした歌曲。1928年にレコード発売された。作詞:野口雨情、作曲:中山晋平。

♪磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る 波浮の港にゃ 夕焼け小焼け♪

波浮の港は大島の南端にあります
野口雨情は大島に行ったことがありません
この歌詞は想像で書いたものです

波浮港へは、明治から昭和にかけて、多くの文人墨客が執筆や保養、観光等に訪れ逗留した。川端康成の小説「伊豆の踊り子」も波浮港が舞台の一つ。
なお、野口雨情は現地に行かずに詩を書いたようで、伊豆大島にはいない海鵜(ウミウ)が歌詞に登場するなど、必ずしも現地の風景に忠実でない描写が見られる。

おまけに波浮の港は島の東南端に位置するので 朝焼けは綺麗に見えますが 夕焼けは夕日を背にするので見ることが出来ません

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