家に思う

suwa2.jpg家は風通しがよく、清潔であること。日当たりがいいこと。

これ以上の思いはありませんが、
今回の場合 この民家に出会ったからこそ、
この ”合掌作り” を再現したいと思っています。しなければなりません。
たった一つ 意匠としてのこだわりです。

ゆずる・ゆずらない

suwakoya.jpg
予算の中で希望をかなえようというわけですから、どうしても譲れない部分を最優先に選択しなければなりません。

網野さんと打ち合わせのメインは、この民家はどういう骨組みであるのかという現状を、現地で採寸した寸法に基づき 3D画像で分かりやすく再現したものを見せていただく事でした。
日曜日の訪問だったために、画面に張り付くように画像作成をしてくれた担当の青年に会うことはできませんでしたが、そのチャンスはやがて巡ってくることと思います。

描いていくと、図面だけでは表現できない、製作者が現場で判断して、フレキシブルに対応した、計算では出て来ない部分があったというお話がありました。
家作りに 勘と経験が主要を占めていた時代のものであることがうかがえます。

現存した様子の確認が終わると、この民家をどのように私達の住いとしていくか方向性を決めていかなければなりません。
網野さんは、契約の時にvivakenが渡した配置図に基づき、アイデアを盛り込んだ たたき台の図面を作成していました。

そこで やおら 打診がありました。
少し遠まわしの表現でしたので、返事をしたとき、わたしはピントはずれの事を言ってるかもしれないと思ったほどでした。
要は、この写真にある合掌を生かすかどうか、再現するのかという確認でした。

私も 少し遠まわしに、「この合掌をあきらめることは、大変な決意が必要だ。」
といい、心の中では、「石川社長にじかに話しに行かなければ、進まないかな。。」とよぎりました。

あとで考えてみれば、石川社長が 私達の予算を承知して、網野さんに引き合わせてくれました。
石川社長には 私達がこの合掌を再現することをゆずらないことは、理解いただいての予算組みで、それに基づいて網野さんを紹介してもらったわけです。
しかし、その時点で 網野さんは同席していないので、私達にとっては 大前提である合掌の再現が伝わっていなかったのです。

もうvivakenが黙っていられるはずがありません。
「あの合掌をみて移築を決意しましたから、何を差し置いても、再現してください。」
網野さんは、ホットしたように
「私も、あの合掌があのように組まれていることに、現物をみて改めて感動しました。
再現するにあたっての、石川社長の考えを、再確認しましょう。」
と約束しました。

設計構想打ち合わせ 第一回

諏訪湖畔にたたずんでいた民家を移築することを決定してから 50日が経ちました。
7月末の現地での打ち合わせは、事情により実現できないままでした。

「CGで3D画像を作成しましたから、打ち合わせをしましょう。」
こう声がかかりました。
例によって 「睦沢」には「休暇届け」を提出して、28日(日曜日)山梨県塩山市へ向かいました。

八王子インターを早々と抜け、笹子トンネルを抜けるまでは、雲の多い空でしたが、トンネルを抜けると、「夏もそろそろ 終わりが近いな。」と思わせる 台風後の 高い青空をみることができました。

当然 約束の時間にはまだまだ余裕がありましたので、アルケドアティスさんのHPで ”棟上が終わりました”と発表されていた 民家移築再生を見学に行きました。

ぶどうの丘「牧丘」に入っていき、程なく 山勘でその現場を見つけました。
民家再生機構が取り扱ったものだとすぐ分かる、タグが下がっていました。

3人の大工さんが二階部分に登り、三人とも手が止まっています。
リーダーが図面をみていて ピクリともしません。
側で 古材をかかえて 指示を待っている二人が、私達をけげんそうに見ながら朝の挨拶を交わしました。
リーダーはそんなことには 関心も示さず じっと図面を見入っています。

この一瞬の絵のような光景が、私達が実行しようとしていることが、どれだけ多くの方々の知恵と、意欲が必要なのかを感じ取りました。

すでに 民家の解体は終わり、石川工務所さんの倉庫へ運び込まれています。
再生するために、手間のかかる解体作業に携わってくださった方々に、一言のお礼も申し上げていないことが、今 私は 大変気がかりなことです。

網野さんとの出会い

30分も経たないうちに、網野さんが見えました。

一級建築士事務所 有限会社アルケドアティス URL:http://www.alcedo-atthis.com
〒404-0043山梨県塩山市下於曽556-1 TEL0553-33-7739 FAX0553-32-1784

私は名刺を拝見し、”アルケドアティス”??どういう意味なんだろう・・
そう思いましたが、
「アルケドアティス」とすらすら言える自信がなかったことと、きっと みなさん 同じように尋ねるだろうから もう話し飽きているだろうなと思いました。
いつもの私なら、そのあたりから話の切り口を求めるのですが、今回は それを飲み込み、石川社長や伊藤参与の様子を伺いながら、vivakenが網野さんに写真を見せながら民家の説明をしているのを、静かに見守っていました。
参与は相変わらず、表情一つ変えません。

監理上の問題点は、問題点ではありませんでした。
網野さんは、棟上までは 石川工務所 以後は 地元の業者で実行することでなんら 問題はないと答えました。ただ、きちんと 図面に基づいて打ち合わせをできる業者選びをすることを明言しました。
私達は、建築士さんによって私達の夢をかなえるわけで、予算の中で どのような手段をとるのかは、建築士さんにお任せすべきだという従来からの考えに基づき了解しました。

山梨県塩山市の建築士さんが 千葉県長生郡睦沢町の民家移築を請け負ってくれるかどうか・・
ドキドキしながら、話は進んでいきました。

網野さんは vivakenの意向を聞きながら、民家の写真を見て、「そう出会えるものではないですね。」こういってくれました。

私達は 網野さんにお願いすることに決め、網野さんも請けることを了解してくれました。

網野さんは 
「契約書の雛形及び 見積書をメールで送りますから、検討してください。
契約は郵便なり何なり、こちらに出向かなくともいい様に配慮します。」

その後 網野さんとの契約は滞りなく終了しました。


建築士を求めて

石川社長、伊藤参与が予算を確認後 出た言葉は
「建築士を探してください。」
でした。

ともかく こんなふうに急進展するとは思ってもいない私達は、前の晩 あの民家を自分達が手にすることができると なるべく思わないようにしてきたこともあって、石川社長が、夢をかなえてくれる「建築士を決めてください。」こういわれた時、困惑以外の何物もありませんでした。

もしかしたら私達がすでに、相談できる建築士を思い描いているのかもしれない。そういう観点からの 石川社長の打診だったかもしれません。

さてさて、私達は困惑するばかりでした。

以下は 週刊/vivakenどん(2005/07/22) から 引用します。

今回の移築の ソフト面での大きな問題点は、棟上までは 伝匠舎さんにお願いしますが、その後の完成までは 地元千葉の工務店に頼むことで建築の費用を抑えようという考えたことです。
ということは、建築士さんは二つの工務店を使い監理し 完成へこぎつける任を負うわけです。

初めから終わりまで監理してもらうためには、どこの建築士さんへお願いするのがベストなのか?
伝匠舎さんから 地元の工務店への引渡しをスムースに移行してもらわなくてはならない。
現場監理のための、往復の時間と交通費を考えると、東京もしくは千葉在住の建築士さんを探すことになりそうでした。

民家移築再生をするので、経験があるかどうか。これも絶対の条件でした。そして 伝匠舎さんから 地元工務店への橋渡しをし、最後まで監理してくれる。
これらをクリアーし、監理費は考えていた範囲に収まることが条件です。

山梨県塩山市に拠点を置く伝匠舎(石川工務所)さんに完成までお任せしたのでは、予算内で終わらないことが明白でした。そのため 棟上までにさせてもらったわけです。

話し合う中で、石川社長は「網野さん、請けるかな」とつぶやきました。
塩山市に拠点を置く、民家再生に経験豊富な建築士さんです。

「私は 連絡を取っていただけませんか」とお願いしました。」

幸運は重なりました。
網野さんと連絡が取れ、「今から そちらへ伺います。」そういってもらえました。

キーマン

2005年7月11日 AM10;00    伝匠舎にて

私達は約束の時間に、訪問しました。
数年前vivakenが石川社長の講演会を聞いたあと、「伝匠舎ってのぞいて見ようか。」と単独訪ねたことがありました。その日は日曜日だったので、作業場も事務所もシーンとしていましたが、きれいにかたずけられた、開放的なスペースでした。
もちろんセコムなど設置されてなく、事務所の花壇を見たり、常識的な範囲でふらふら覗いていました。

玄関先に 猫のご飯の器とお水があって、猫が出入りしている事務所であることを思わされました。

今回たずねてみると、そのときと同じように 玄関先に猫のご飯の器がありました。
記憶に残る変わらぬシーンに出会えた事で、初めてお目にかかる石川社長との距離が狭まったことを感じ、前回訪れたときは夏の太陽が照りつけ 地面がからからに乾いていた事などを思い出していました。
私達は、堂々とというより 不安を胸におずおずと事務所の戸をたたきました。

伊藤参与の顔をみて、なぜか胸をなでおろし、安堵の気分になりました。

応接間に通され、昨日の民家を思い起こし、昨日現場で伊藤参与にお願いしたことを反芻していました。

「私達の予算が潤沢ではないけれど何とか工夫して移築できるよう 社長に了解をもらえるよう 説得してくださいね。力になってください。」
その時の伊藤参与は、答えるでもなく、どちらかというと 困ったように首を傾げていました。
”この二人、本気なのかいな?”
こう思っていたのでしょう。

打ち合わせが始まり、当然 予算はどれぐらいかということから始まりました。
社長は 参与の顔を見ながら
「伊藤さん こういうことだと、ウチとしては、○○でやらないと納まらないね。どうだい出来るかい。」
例によって 参与は出来るとも 出来ないとも言いません。

しかしここで私達は気が付きました。
この物件が 私達の予算で移築できるかどうかのキーマンは 
伊藤参与だったのです。
なんと 助っ人は石川社長だったのです。

参与は最後まで 出来るとも出来ないとも明確な答えは出しませんでした。
ただ vivakenが長年自分なりに工夫して書き上げた図面を見たときの参与の横顔は、住いに対して 今思い付いたことではなく、じっくりと取り組んできたな、これを図面から読み取ってくれたように思えました。



伝匠舎 叶ホ川工務所 に押しかける

ishikawa01.jpg石川 重人社長です。
本当はもうひとかた、参与の伊藤 哲郎氏を紹介すべきところですが、あいにくと写真がありません。

あとから知ったことですが、大きな業績を残していると共に、業界の評価が高いことを知りました。

7月10日の現地見学を了解してもらい、約束の時間より1時間半前に、諏訪インターに着きました。
中央道 八王子インターを抜けるのには、時間帯によって全く所要時間が変わってしまうので、現地で待つことを決めて、早々家を出た訳です。伊藤参与の車の後を付いて、現地に到着。
私達は 圧倒され、諏訪湖畔にたたずみ、遠くでお祭りのおみこしが繰り出されているのに耳をかたむけながら、所有者が来てくれるのを待ちました。

これを・・ね〜。睦沢に持っていく。う・・・・ん

「参与。!   明日の月曜日 社長に時間をいただけないか調整してもらえませんか?」
私は ともかく社長に話を聞かないことには、始まらない。こう思い、vivakenに確認するでもなく、かってに こう頼んでいました。

時間の調整がつき、さて 明日社長とどんな話になるのか。
ホテルに帰った私達は、その夜あまりこの民家について語り合いませんでした。

明日どのような話になるのか、さっぱり見当が付きませんでした。
その最大の理由は 「お時間たっぷり、ご予算少々」という私達の置かれている境遇が、流れに任せるしかない という覚悟を決めさせていたからです。

移築を待つ民家との出会い(2)

この民家を掲載していたのは、山梨県塩山市にある

伝匠舎株式会社石川工務所でした。

今や 民家再生も一部で認識されつつありますが、さかのぼる事5〜6年にもなりましょうか、まだまだ ほんの一握りの篤志家や、商業スペースとしての利用ぐらいにしか評価されていなかったあの頃、すでに 民家を大切にしようという呼びかけを、石川 重人社長自ら講演会を開き、熱く語っていました。

vivakenは、その一つの講演会に参加していました。
彼が語るには、「民家に住むことは考えていなかったように思う。ただ 日本の里山に存在する民家の美しさには感動していた。生涯一度の家づくりに取り組むに当たって、民家を参考に心地よい家を作ることは考えていたように思う。」

私は、この移築を待つ民家をWeb上で見つけましたが、掲載していたのが、伝匠舎株式会社石川工務所であったことで、ほぼ あきらめの気持ちになりました。

伝匠舎株式会社石川工務所といえば、いわば この業界のブランド。
ブランドと聞いただけで逃げ腰になる私です。なにせ、vivakenの身の回りのものを選ぶときはブランド、名の通ったものを選んできましたが、自分自身のそれとなると、全くこだわりを持たないのが、自慢になるぐらいです。

そんな具合ですから、たまたま 誰かのお下がりでブランド品を貰ったりすると、丈夫だし使い心地もいいね〜などとつぶやいていました。

翌朝 vivakenのパソコンにデーターを送ってあるから「見てみて!!」から 大騒ぎの朝が始まりました。

行かねばならぬ・・すぐに行かねばならぬ・
見るだけだっていいじゃないの。縁がなければそれまでよ!
ともかく、伝匠舎株式会社石川工務所に、7月10日(日)に現地を案内してもらえるよう、打ち合わせをしました。

移築を待つ民家との出会い(1)

睦沢にどんな家を建てるか。

予算はそんなに潤沢にあるわけではなく、vivakenが断片的に語る民家への思いをかなえるのは至難の業になりそうだな。そう思いながらも、インターネットで検索したり、近々古い建物を壊して新築するという話を聞いたりすると、「見せてください」と食い下がったり、ともかく移築できる物件を探さなくては と 絶えず心がけていました。

また ある人はいいました。「移築なんて金のかかることはしないで、気に入った建物があるところへ越すのが一番でしょう。」
はい、ごもっともです。でも 私達は睦沢に住いを作ることにこだわりました。それは、数字や金銭では得ることのできない、ご近所との人間関係を築くことができたからです。

日本民家再生リサイクル協会を始として、民家移築、古民家、古材などなど検索用語を手を変え品を変え、どこかで なんかヒットしないものかしらと夜な夜な調べ物をしていました。

なにしろ
 「ともかく 出会えるとも、出会えないとも分からないわけだから、早く物件を見つけなければね。始まらないね。」こう煽られていました。

その夜私は珍しく、googleの検索結果を50番目ぐらいまで丁寧に拾っていました。

suwamae.jpg  そして目に留まったのがこの物件でした。あまりのすごさに、あきらめながらも、vivakenのパソコンに情報を流しておきました。

2005年7月6日のことでした。
なにやらやっかいなコメントが付いていました。

8月いっぱいで解体を終了しなければならないので、7月20日までに結論を出せる方に限ります。

あきらめ気分85%の私は、な〜るほど!それだけでした。

suwayoko.jpg 
suwakoya.jpgsuwa1.jpgsuwa2.jpg

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tiara
里山の暮らしはいかに・・。
vivakenのカーチャンとか オッカーとか 呼ばれる日が、来るのだろうか。

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