地鎮祭をやるかやらないか・・
そんな論議もあるでしょうが、考える余地を持ちませんでした。地鎮祭をやる事は、決まっていました。
私は 結婚式のことを思い出しました。
私たちの結婚式は 杉並区の式場を借りて行いました。私は結婚式で あ〜したい こ〜したいということを持ち合わせていなかったので、親戚への報告会みたいなものでした。
結婚式も 地鎮祭も 世間の慣わしとして やるもんだ!これがスタートです。
そう言いつつ、どちらも経験してみると、慣習というのはうまい具合に区切りをつけてくれるものだと感じ入ります。
神主さんは 岩熊さんや小野さんに 怪我や事故のないよう充分配慮するように、また施主と協力し 無事完成の日を迎えるようにと 祭礼の最中とは違ったはっきりした言葉で申し渡されました。
私たちは心の中では全く同じ事をつぶやき、祈っているわけです。
それを 神職にある方のことばとして改めて噛み締めるというのは、大変貴重な事だと思いました。
自治体が地鎮祭を執り行うのは憲法違反か否か という訴えがあったそうで それについて 最高裁は、
「地鎮祭は単なる慣習で特定の宗教に誇示されるものではない」と決定しました。
地鎮祭が 憲法違反かどうか気にかかる人もいるのでしょうが
ともかく 何かをきっかけにして気持ちを引き締めたり、ゆるめたり そういうことはとても大事だと思っています。
先人が慣習として長い間の経験から、こんな区切りが必要だ と判断し つくった流れに従いたいと思っています。
降神の儀が始まるとともに 雨は上がりましたが、粘土質で水はけが悪い敷地ですから、前夜から降り続いた雨で、水生植物園となってしまいました。
神主さんは 「証拠写真が残るからやめとくれ」こうおっしゃったのですが、すでにぬれた袴をこれ以上よごすわけにもいかず やむおえず 袴を押さえて差し上げる事になりました。
かつて 小学校で教鞭をとられ 西西の隣人は教え子でした。ポンポンと話題はつきず、私たちは大変リラックスした雰囲気の中で祭礼をすすめることができました。
睦沢町 熊野神社宮司 中村神主さんに 地鎮祭を執り行っていただきました。早朝は強い雨が降り、前々日に 岩熊さんがテントを張っておいてくれたものの、強風が吹いたりして、果たして実行可能だろうかと心配しながら自宅を出ました。
そんな天気も いつしか上がり、テントは日よけにはや変わりしました。
*施主:川上→
*設計・管理:(有)守門 岩熊さん↓
*工事監督 :(有)守門 小野さん↓
山根さんご夫妻。「僕たちも 参列しますよ。」・・本当に嬉しく ありがとうございました。
「いいんじゃないの」小橋さんのツブヤキが ここに家を建てようという気持ちを強く後押ししてくれました。
そして今日「よく漕ぎつけたね。」と、一緒に祝っていただけた事を、心より感謝いたします。
西西の隣人。今日の式次第はもとより 睦沢のお作法の先生です。
地鎮祭に準備するものの一つとして 「海のもの」があります。
頭と尾っぽが付いたものを準備するという事で、スルメにしようと思っています。
御頭付きの鯛というのが本来なのでしょうが、スルメにします。
地鎮祭で検索するといろいろ出てきますが、その中で「尾頭付きの魚なら 秋刀魚だっていいのだ」という事が書いてありました。
私は一瞬考え込み、秋刀魚を用意するなら(旬の秋刀魚は大好きです。)鯛にすべきだろうし、鯛が用意できないのなら スルメにしたほうが潔い感じがしました。
ま〜地の神様は 鯛だろうがスルメだろうが 私たちがご挨拶をするためにお呼びするのだから、笑って許してくれる事でしょう。
”地獄の沙汰も金次第”
なんていうのも ありましたが・・
古材の搬出のとき、積み込みを誰がやるのか・・
私たちは 抜けた〜!!と思い 冷や冷やしながら帰路に付き、数日後 元参与 伊藤さんと連絡を取りました。
現地で 石川社長から 「伊藤さんがいいというなら・・」と回答を得ていたので、それじゃ 直接お願いしようと思い立ちました。
伊藤さんは 昨年 石川工務所を退職されていますが 違った関係で石川さんとのつながりがあるようにお見受けしました。
サラリーマンは 会社を辞めれば 本当にタダの人ですが
現場監督であり 石川さんも阿吽の呼吸で仕事が出来る伊藤さんとのつながりを 大事にしている事が伺い取れました。
伊藤さんから 了解の回答を貰い、ホット・・一安心しています。
「2〜3日前にいってもらえば 準備するから。」
嬉しかった。いや〜嬉しかったです。
あとは 搬出用車両の手配が滞りなく行くよう、怪我や事故などがおきないよう祈り、無事 守門の倉庫に来る日を待ちます。
昨年7月 この引き取り手を捜している古材を見るべく 現地に案内してくれたのが 伊藤さんです。
頭から これを移築再生することなんぞ 私たちの力では実現不可能と決め付けていたものを、「やるだけ やってみれば」こんな感じで引き止めてくれたのは 伊藤さんでした。
まさか このような展開になるとは 全く考えませんでした。
伊藤さんに 一肌脱いでもらえる事を、心から感謝する次第です。
石川社長から 古材を搬出する許可をいただき、岩熊さんや棟梁は 現地にて確認を終えました。
搬出の準備をするわけですが、一つ 抜けました。
(有)守門との取り交わしで 山梨県塩山市から千葉県東金市へ運ぶ車両費用はvivakenの負担と決定していました。
もちろん 受け入れについては (有)守門が受け入れてくれるということです。
車両の手配は 曖昧でした。
岩熊さんは
「当社は 新潟との取引がメインなので 運送業者は新潟ということになって・・・」と
語尾がだんだん小さな声になってしまいました。
しかし 数日後に改めて 「守門さんで 手配できないか一度動いてみてください。」とお願いすると 「力になりましょう。」と回答を貰いました。
抜けた!というのは 積み込みを誰がやるかという事です。
車の手配に付いては 問題意識はあったのですが、誰が積み込むかについては 気がつきませんでした。
現場でその事にふれると 石川社長は 「フォークは使っていいから やればいいでしょう。」といい、私たちは顔を見合わせました。
岩熊さんは 「誰かにやってもらいたい」という顔をしています。
岩熊さんの気持ちはよく分かりました。
よそ様の工場から よその重機を使って 施主の古材を持って行けといわれたって、そりゃ〜やりにくいし、ちょっと 違うだろう・・
という話です。
私たちは 周りを見回して あの人に古材の積み込みを依頼しようと、検討中です。
初めて知りましたが 建築吉日というのは 普通の暦と違います。
お祝い事によいとされる 大安が必ずしも 建築の吉日ではないのです。
建築吉日ね〜!!どうしてこうなったのか よくわかりませんが。
地の神様にご挨拶をして 暖かく 見守っていただきたいと思います。
今月中に 土地の神様にご挨拶すべく 地鎮祭を致します。
神主さんは 地元の神主さんです。
西西の隣人が 「ここのことは(睦沢のこと) この神主が祭礼をしているから。」と教えてくれました。
私は 地鎮祭は初めての経験です。両親も 私たちが今住んでいる家も 建売 でしたから 出来上がったものを 購入しました。
ただ 妹は 自宅を建てたので彼女は経験者です。
妹が経験があるといっても 10年以上前に 一回だけというものですから、どうするこうする聞くほうがヤボというもので、こんなときは Web検索が大変役立ちます。
神主さんは 私たちが「お伺いしてご挨拶をさせてください」 というのをさえぎって、「いいから、いいから。」といわれます。
いいというからいいのだろう と お言葉に甘え 電話で 日程の希望・人数・準備するものなどをお聞きして、守門の岩熊さんと確認を取り合います。
しつこい私は Web検索で確認し 「やれやれ わかったぞ」と安心するわけです。
必要なもの:
玉ぐし//神主さんが準備
縄・砂・竹//工務店が準備する
米・塩・水・酒・海のもの・野のもの・果物・鍬・鎌・紙コップ//施主が準備
さてさて 具体的に
何をどれくらい。このあたりを参考に 準備します。
地質調査の結果が出ました。
◎ 花丸にて 地盤改良は不要 と答えが出ました。
地盤改良は 必要とあれば絶対条件なのですが、予算の上では あるかもしれないが・・と思いつつも、発生すれば 予算オーバーというカウントでした。
ですから 大喜びしています。
布基礎、べた基礎 どちらを選択する事も可能です。
建築士 岩熊さんは 「検討して決めましょう。」と言っています。
私としては 布基礎の方が 風通しがよさそうでいいと思いますが、このあたりは 専門家のご意見を 重視します。
昨年7月から早いもので 10ヶ月が経ちました。
3週間前に 石川工務所 石川社長に古材の引取りを申し出、社長から寛容な回答を頂戴しました。
今日は vivakenの家作りを依頼することになった、
千葉県東金市の(有)守門 建築士 岩熊 宏さんと もう一人
そして
”棟梁”と 私たちの計5名で、石川工務所へ引継ぎの挨拶に伺いました。
石川社長から 「家を作る事に決まった人たちも どんな材か見てみたい事でしょうから、案内しましょう。」と二つ返事を頂いていたものの やはり この日がくるまで気の落ち着かない 日々でした。
古材置き場には 当時担当だった 伊藤参与(現在フリー)をよんでいただいていて、解体時の説明を受けたり 疑問点を直接質問したりさせてもらいました。
伊藤さんは 「お役に立てなかったね・・」と 私たちに言いましたが、なになに 苦労は多いけど なんとかやれるだけやるつもりです。と心の中でつぶやきながら、「そんなことはありません。この材に出会えたのですから。」と言葉を交わしました。
こうして 次は引き取り方法と日時を検討し 石川社長に連絡を入れることで、解散としました。
一週間以内に地質調査をすることになりました。
どんな結果が出るか ドキドキです。
私たちは 裏の山肌がはがれた事がきっかけになり 家の位置を 当初計画より約2mほど南へ移動する事にしました。
希望の場所に杭を立てました。
連休が明けてから実行される 地質調査の結果を待ちます。
線を引いてみると 敷地に対して 家がやたら大きく感じますが、あの古材になるべく手を入れないで作ろうとしているのですから、受け入れます。
幸いな事に 両隣の土地は 畑であったり梅林であったりしているので、借景し バランスをとらせてもらう事にします。
暗渠排水というのがあります。
睦沢の敷地は 粘土質が災いして たいへん排水が悪い時期があります。
悪い時期というのは 植物要は雑草なのですが それらの活動・生命力にかげりが出てくる頃になると、降水量によっては ぐちゃぐちゃになります。
ですから 梅雨の頃より 秋の方が状況がよくありません。
そこで 東西に一本暗渠排水をしてみました。
昨年はじめのことです。
確かに効果はあって、暗渠のところだけぐちゃぐちゃから 多少開放されていると見受けられました。
このまま役割を果たしてくれるかと思っていましたが、やはり 竹の束を埋め込んだ暗渠排水というのは その上を行き来しないことが条件のようです。
我が家の暗渠の部分は 多少沈んできました。
ある人は言いました。
「ウチの敷地は 家を建てるとき チョット目を離したスキに ゴミを入れられちゃたの。
今 そこが沈んできたわよ。」
都会での話しですが、植物は地に還ろうとするので、当然です。
私たちも 敷地の脇など そっとして置けるところに暗渠排水をしたなら こんな事にはならなかっただろうと思っています。
家作りは 捨てるものと拾うものの格闘になりそうです。
格闘なんて 私たちには似合わない言葉ですが・・
ゴールデンウィークに田植えのない私たち風の人は、地の人の作業を遠くから眺め、五月晴れを謳歌し、語り合うわけです。
友達夫妻や妹夫婦がひょっこりやってきて、私たちが始めようとしている家作りを、関心をもって話を聞いてくれます。
ありがたい事です。
捨てられない、これがこだわりよ。と 私たち夫婦が決め付けていた事も、「そんなのたいした問題じゃないですよ。」やんわりと 一蹴され ふと 自分達の足元を見つめます。
「それでもってですね〜あのケヤキの太い柱とか来るわけですよね。いや 僕たちも楽しみです。」こういって貰える友が出来るなんて、想像もしていなかった事です。
ありがたい事です。
「このトイレ 扉の前にもう一クッションあったほうがいいですよ。」と妹夫です。
アイデアいただきます。
ありがたい事です。