公園や学校の校庭のサクラが咲き始めました。
昨夜の雨も まだまだしっかりした花には そう影響はなかろうと、千鳥が淵のサクラショットなどみながら、睦沢の家の道の向こうを流れる川岸に、まだ そう大きくはないサクラの木も そろそろ花をつけただろうと 楽しみにしています。
4月の声を聞けば 棟梁もそろそろ現場復帰ができることと 先を楽しみにしています。
私たちが 直接お見舞いなどすれば 復帰を急ぎ 長い目でみるとよくないことになろうかと、調整は岩熊さんに任せています。
「一建物 一棟梁」
これが私たちが望んだ選択でした。
本日の タイトルの始まりは、「シュロの事ならwebでいっぱい話題になっていますよ」と ケヤキの古木さんから案内を頂いた事に始まります。
自然原理主義 by TNT-Labこちらがgoogleトップでヒットしました。
そして引き込まれました。
本日は サイト編集者 田中さん敬意を込めて、エールをおくります。
そもそもはシュロの話題でサイトにお邪魔しました。
技術屋さんらしい文面で、丁寧に説明がなされています。
なかなかトップページに戻れなかったのですが、そこは 私の長年の勘で。。。とかいったりして。
ともかく トップページを捕まえました。↑
そして 自然観察の部屋 に入るとサイトマップがあるので そのなかから まずは関心事をクリックして・・・という具合に進むと 大変楽しいかと思います。
ブログが2月13日で止まっていたので、アララと心配になり 「井の頭のできごと」を開いてみると 3月27日の記載があり 「よかった 筆を折ったわけではない。」と 初めての訪問なのになぜかホットしたりしました。
プロフィールに 田中さんのお住いが 井の頭公園に歩いて4分走って2分 と書かれていた事がなんとなく親近感を覚え、かつての武蔵野の雑木林に思いを寄せる方が「ビンボーも趣味なら楽しい」とビンボーを蹴落とし 新しい発見にワクワクする日々を送られている事が伝わる楽しいひと時を過ごさせてもらいました。
さて本日の 睦沢彩々との関連は何かといえば、一言
「ビンボーも趣味なら楽しい」
睦沢はもちろんのこと 房総半島をぶらぶらしていると 棕櫚(しゅろ)の木を多く見かけます。
わがやも裏山に一本3mぐらいのものがあり、鳥が運んだとおもわれる種が芽吹いたのか 山では 手のひらのような葉っぱを広げているものをみかけたりします。
この棕櫚は 私には南国のイメージがあり どうしてフツーの民家にこうも棕櫚があるのだろうと不思議に思っていました。
睦沢の土地を購入したときも、「あ〜やっぱり棕櫚があるんだ??」と思っていました。
今は その理由が解明できたので、棕櫚を見るたび、
「フフ。。私は知っている 棕櫚の木がなぜあるのかを」という具合です。
昔 私が子どもの頃 大きな荷物を背負った房総のおばさん達を見かけたものです。荷を背負い総武線で 姉さんかぶりのたくましい女性達を見かけました。
彼女たちは 房総の農産物と共に 棕櫚のほうきなども行商に持ち歩いていました。
棕櫚は商売目的だけではなく、自家で使う ほうき・束子・縄の材料として 植えられていたのでした。
渋柿が 柿渋を採ったり 冬場のおやつ 干し柿のために植えられていたのと同じ様に、日常の必需品だった過去があるのでした。
そんな気持ちで 東京の西地区を歩いてみると、やはり 棕櫚が植えられた古い民家をみることができます。
これらの棕櫚も決して鑑賞用ではなく、目的があって植えられたものと思っています。
私たちは 二人が定年を迎えると 年金暮らしということになります。
今はいろいろなライフスタイルの選択肢が出てきているので、いわゆる「食っていけるかどうか」により 開かれる道は変わってくることを想定するも出来ます。
生きている間「食っていけるかどうか」これは 日々の根底を支えるもので ここが確立しないと 何をするにも厄介が付きまといます。
純綿和綿の話題「鴨川和棉農園」を読んでいたら
輸入した綿花の値段は1キロ300円〜700円。
農薬や肥料を使わず、人の手で丁寧に収穫されたものは、1キロ16000円ほど。
こう書かれていました。
人手を掛ける事により 時間と対価の計算で50倍の価格差。
団塊の世代が立ち上がれば、もう少しなんとかなりそうな そんなヨカンはします。
綿といえば 「布団」。
打ち直しをしたい布団がありますが、かつてのように 近所の布団屋さんに電話して、打ち直し 綿を足して・・そんな事が今や簡単ではありません。
「打ち直しします」と店先に張り紙をした布団やさんなど近所にないからです。
かつては 婚礼布団 とよばれ 「嫁入り道具」(今や死語かもしれませんが)の一つとして準備されたものですが、それは 羊毛や羽毛に変わっているのでしょうか。
きっとそうでしょう。
サラリーマン時代とは全く違う 「時間と対価」の感覚を持てるように準備をしておこうと思います。
ADSL12Mがあれば そんなに不自由はない。
これは ADSLから光回線に移行したとき(3年前)に感じていたものですが、今や 配信の方法も様々工夫が凝らされ、すばらしいフラッシュなどをが作成されています。
やはり 通信速度は速いにこしたことはなく、サクサクと作業を進めたいものだと思います。
昨日の新聞(日経 朝刊)一面のトップ記事は 「CATV 140社が無線網」とあり サブタイトルは 「光回線なみ 山間部も高速ネット」とありました。
睦沢の我が家は、再三話題に載せていますが、携帯電話はdocomoとau。
フレッツADSL 12M提供地域。
テレビは 裏山のてっぺんにアンテナを立てないと見えないと聞いています。
さて 今後どのように進んでいくかは 状況を見ないとわかりません。
新聞の記事は 単にこういう方向性が出てきたよ という話であって、企業は利益が出なければ簡単に撤退しますから・・
話は横に飛びますが、都会のサラリーマンとして キッチリ税金を払ってきました。
その税金の使い道はいろいろあるでしょうが 私の印象は 「地方にばらまいているんじゃないの・」という思いがありました。
しかし 自分のおかれた環境 ブロードバンド難民になりそうな環境に置かれてみると、いろいろ批判はあるけれど、親方日の丸といわれる企業が必要で インフラは平等に与えられるもののはずだと、考えを変えています。
千葉はいいところです。
しかし
インフラの整備。道路網の整備。安全運転教育の徹底。この辺をキッチリやらないと、都会からの移住者は 二の足を踏みます。
観光立国千葉より 安全で快適な暮らしをアピールしたほうが 長い目で見たら千葉県千葉市以北の発展につながると思います。
産業廃棄物の徹底した阻止 この結果から 行政が力を入れれば必ず達成できる事を表しているのですから。
昨年10月末 携帯電話の電話番号を変えずに他社携帯電話会社に変えることが出来るという”MNP"。これをいち早く活用して、ソフトバンクからドコモに変更しました。
半年前のソフトバンク(当時ボーダフォン)は 私たちの行くところ行くところ「圏外」を示し、殆ど役に立たない状態でした。
睦沢に住む事が決まってから、なんとか電話会社を変えなければならない。ドコモ なのかAUなのかと チャンスを狙っていました。
結果的に ドコモにしたのは、回りにドコモユーザーが多かったからです。
千葉県内それも 内陸のAUユーザーの使い心地を確認できるチャンスがあまりありませんでした。
お彼岸のお墓参りには 甥っ子が突然 「今東京を出た」 などという情報もキャッチできるし通信環境が全く違う事を体験しました。
携帯電話に限った事ではありませんが、都会の生活は、インフラが いの一番に整いますから、そんな事は当たり前の上に立って、携帯電話をどう使いこなすかという話になりますが、都会を離れると 携帯電話が使えるか使えないか、インフラが整備されているかどうかが、どこの携帯電話会社を選ぶかの基準になります。
おさいふケータイ:idマークのついたお店なんて どこにあるんじゃ!ッテナ具合です
光回線など 一体いつになったら 整うのでしょう。
奄美大島のツツジと聞いています。今は 鉢植えですが 睦沢に移植できる日を楽しみにしている花木の代表です。
笠森霊園にお墓まいりに行きました。
駐車場では 長南町の生産者が 椎茸や漬物 少々の葉菜類 などを並べていました。
草花もすこしあって サクラソウとムラサキハナナが一鉢100円でした。
思わず 「買いたい!!!」と思いましたが 待て待てと思いとどまり、家が出来上がってから 一気に進めようと 思いなおしました。
笠森は 歩道に梅ノ木が多く植えられ、すっかり花を終えています。
訪れたときに花がないのは残念ですが ふくよかな香りを楽しむ梅は 散り際の潔さを美とするサクラと較べると、霊園には似合っているように思えます。
先祖代々の墓の前で、二代 三代の家族が語らいながら供物を口にし 少々の団欒をするというのは そこで先祖を思うという墓参りの形だったようですが、今は多くが 墓を清めお参りし 帰路につきます。
たまに 「墓参りいうのは こういうものじゃ」というように 家族が語りあっているのを見ますが、本当にまれな光景です。
NHKのスポーツニュース 相撲の中で 時々ひっかる表現。
「単独トップ」
相撲には相撲が持っているイメージというのがあり、首位の力士を 単独トップと表現する事になじめません。
力士の国籍が様々になり 相撲界がインターナショナルになることを歓迎しますが、首位の力士は○○ こう言って欲しいものだと思います。
言葉は時代と共にかわり そういう私たちも諸先輩から見れば お叱りを受けるようなことばかりだったと思います。
だから よく分かっているつもりです。
かつて 私たちは 両親のことは 父 母 と言うようにしつけられ、父親 母親というのもいけない と ただそういうふうに教わりました。
今や お父さん お母さん この表現は間違いだと訂正される事もなく普通のことになりつつあります。
今や野生化しているといわれる ムラサキハナナが咲いていました。
春が来て この花に接するたびに この種を手に入れたいと思いながら 秋にその準備を怠っています。
日向 日陰をいとわず 咲いてくれる強いヤツなので、味方になってくれるかと期待しています。
それだけに心配もあって 枯渇しそうなフキノトウとか日本たんぽぽが負けてしまうのではないかと 憂慮しています。
一番の希望は 我が家の暴れん坊 スギナを駆逐してくれれば一番いいのですが、家づくりがもう少し落ち着いたら、本気で取り組みます。
先日友人は 近所の人から聞いたんだけどね と前置きして 「種は安いのを買っちゃダメ だって。。」こう聞きつけてきました。
ついつい 畑で育てれば 一様に収穫が期待できそうなものですが、そこはやはり よい素質を受け継いだものが いい実りを迎えるということでしょう。
それを聞いて、サカタのタネ タキイシード こういう選択が間違いないということなのだろうと考えています。
里山の暮らしには 作務衣が似合うと思い 時々気にかけています。
定期的に送られてくる 作務衣カタログが届き、ぺらぺらとめくっています。
この作務衣も カタログからは 里山にどんな風に溶け込むかイメージをつかめません。
ちょうど 民家園にいっても 民家とその生活を結び付けられず 素晴らしさをなかなかつかめないのと似ている気がします。
こういう場合は ぐちゃぐちゃ考えずに行動あるのみと思い、ぶらぶらとネットサーフィンなどしてしまいます。
私は 古民家にしても古民具にしても はじめは特別な人が関心を持つもの 例えば 余裕のあるお大尽 または店舗。ふつーの人には縁のないものと、漠然と決め付けていました。
ところが ひょんなことから 古民家移築なんていうことになって、少しでも統一感のある建物にしようと乏しい予算から捻出するのは、昭和か大正時代かに作られた 今はもう誰も作ろうとしないような古物。
これら古いものも 我が家のような受け皿があってこそ生きる道があるのだろうなと 錆びた鉄や 古めかしい真鋳 そして 建具などを身の周りにおいています。
どれもこれも 似合う環境があってこそ存在感だと思っています。
同じく 作務衣の似合う環境は お寺さんであり 里山の作業風景であろうと思い、紬や絹なんて高価なものではなく、洗濯機でジャブジャブ洗えるようなタフでちょっと小粋な物を探しているところです。
房総半島を車で走ると 東京湾側の工業地帯に沿う 館山道以外は 今のところ高速道路らしきものはなく、その上 道路が変則で 地図では90度で振り分けられた交差点なのに、実際はひし形みたいな交差点で、ここで直進とはどちらの道を選ぶのじゃ!!という事がよくあります。
茂原の町に入れば、それまで南北に走っていたJRが東西に走るので 私としては 余計な事を考えずに 丸暗記をしているので 全然応用がききません。
友達の家に行くのも 丸暗記。
睦沢と自宅の往復も丸暗記。
これです。
房総半島のいやらしい (失言 分かりにくい)道の中で 茂原から国吉に向かう広域農道。
これは 一本道で、ナカナカよろしい道です。
その 広域農道のトンネルの一つは 迂回路にする工事が半年以上かけて行われています。
国吉まで続くこの広域農道には 何箇所かのトンネルがあって 順次 迂回路に変更されています。
名前の由来のように もともとが 通勤や観光のための道路ではなかったのでしょうけれど、真っ直ぐ ストンと走るこの道は利用価値が高く、はじめて 走ったときはどうして ”広域農道”という名前なのだろう と疑問に思いました。今もその疑問は解けていませんが、そういう用途の道だったのだろうと 勝手に決めています。
広域農道のトンネルの迂回は 必要ないじゃないのという意見もあるようですが、高齢者がトンネル内を 時には自転車に乗って走っていたりするという 危険極まりない事を見ているので、私は賛成しています。
10万分の1の地図を見ると 広域農道は一般道路として白く表示されます。色つきの県道のほうがもっと走りにくいものがいっぱいあるのに、一般道路と記されると 県道のそれより お粗末という印象を受けますが、決してそうではありません。
ケヤキの団十郎もそろそろ芽吹きの季節です。
が・・やはり 暖冬というのは体内時計のどこかが 春の喜びを半減させているように思えます。
”寒いね、寒いね ”そんな会話から開放される頃 力強さを増した青空に わずかに赤味を帯び始めた芽吹きの瞬間の喜びが どこか物足りない今年の春です。
寒立林平(かんたちりんぺい)北限の甘夏と 聞きました。
7〜8年前から ぼつぼつ出荷していたようですが 今年やっと 熊本の甘夏より高値がついたと報じられました。
林 敏雄さんが 育成し品種登録されています。
・・・・・・2005年2月7日付け農林水産省告示第256号
この品種は、「川野夏橙」の珠心胚実生から育成されたものであり、果実の形が扁球、重さが中、果皮色が橙の育成地(千葉県茂原市)では2月上旬に成熟するかんきつである。
・・・・・・
睦沢町にも 生産者がいるということなので きっと 睦沢の道の駅にも並ぶのじゃないかと、注目しておきます。
家づくりをはじめてみると 多くの工程が度重なって完成される事を実感します。
木造建築の場合 多くを木工事でまかないますが 使う資材の中には 会社の名前は知っていたけれど 具体的にどんなものを作っているのかよく理解していなかった会社の製品を目にしたりしました。
「あ〜 こういうのを作っている会社なのか。。。」という具合に。
建前が終わると 施主と建築士は 水栓一つから始まり どんな器具をつけるか打ち合わせが始まります。
カタログや器機の実物を見ても生活の中に溶け込んでいない日常器機を選ぶのは ナカナカ厄介で、そんなときのお助けマンは デパートやホテルやレストランの設備です。
私の場合 頭が昼行灯ですから そういうチェックは得意ではなく なかば ”お任せ”のうちにどんどん決定されました。
事は後半の作業に入り、玄関灯。
これについても傍観者を決め込んでいましたが、vivakenが 古いものですがいいものを見つけてきました。
私の希望
「フリルのような加工がないこと。古いものなら ブラケットに遊び心があるもの。」
これが満たされているものでした。
お気に入りが手に入ると、世の中どんな玄関灯がついているのか気になりだします。
今まで よそ様の玄関灯を あれこれ物色しながら見て歩く事などなかったのですが、
平均2万円前後だな と思いながら、建売が続く街並みをキョロキョロしています。
民家を再生する事になるなんて、ついこの間まで思いも寄らなかったわけですが、家の中を眺め回してみると、「なるほど この傾向の芽吹きが 成長したのか。」と納得できるものが、一つ二つとあります。
その中の一つ。これは 玄関の明かりとして 20年以上ぶら下がっているものです。
我が家の中で 薄ボンヤリした明かりの 代表です。
傘の部分には埃が積もっていて、出来ることなら束子で洗いたいところですが、器具の寿命を縮めるだけなので やめておきます。
民家再生というテーマは あらかじめ用意したものではなく、事の流れでそうなったわけでした。運命的というのでしょうか。
しかし その事だけに焦点をあわせて人生を振り返ってみると、ソウナルベクシテなったようにも思えます。これが 20年以上も 家の玄関に鎮座していた事が 私たちを民家再生の道に引きずり込んだのではないかと、または アイヌの神様 コロポックルでも棲みついていたか などと 運命以外の何物でもないと自分に言い聞かせています。
vivakenです。
睦沢の家の外壁は無塗装の杉の腰板とその上は2階まで漆喰で構成されています。
風雨に晒されて寿命が短くなるという人もいますが、そんなことはないと思います。
日本の木造家屋の外壁の木部は無塗装のものが沢山あると思います。
熊さん,八つぁんが住む下町の長屋からお殿様の住むお城まで無塗装の木部外壁の例は沢山あると思います。
10年近く前、栃木県足利市の日本最古の学校”足利学校”が再建されましたが、これも無塗装であった記憶があります。
vivakenは元々何ととなく、日本の木造家屋には無塗装の方が周りの風景に合うなと感じていました。
最終的に確信を持ったのは、ラフカディオハーンが日本の美しさを賛辞した「日本の面影」を読んで、その中で「日本家屋が無塗装で美しい。欧米の家はペンキを塗って・・・」というようなことが書かれていました。
これを読んで木造家屋は無塗装だと確信しました。
さくらは 染井吉野こそがさくらだと思っています。
立春の頃に咲く ○○さくらから さくらという名称をとってしまいたい と思っています。
さくらはお彼岸が過ぎてから咲かなければならないし、八重であってもいけないし 葉っぱと花が一緒に出てもいけません。
早咲きのさくらまつりなど耳にすると
「なんで〜 そんなことするの」
と 口を尖らせています。
今の時期を狙うなら なにもさくらである必要はなくて、桃の花 も 梅 も 椿もあるじゃないの とつぶやいています。
野菜に季節感がなくなったというのは都会だけでなく 道の駅に冬のトマトや どこから見つけたのか 早掘りのタケノコが出たりします。
トマトはどんどん改良されていて 今や 温室栽培のものが当たり前になりつつありますが、タケノコとなれば 「何もこんな早くに採らなくたって、タケノコは太らせてから食べる。」といいながら ウチの山に入ると タケノコタケノコどこじゃいな と探している私がいます。
春にさくらが咲く頃というのは 新学期を迎えたり 新しい環境にチャレンジする区切りの時として歩んできました。
それは さくら=染井吉野と共にあり お彼岸より前に さくらが咲いてはいけないのです。
楊枝=黒文字 が最高といわれ どんなものか知りません。
楊枝といえば 何本入っているか知りませんが 一回蓋をあけたら ふたを閉めることがなんとも困難な フニャフニャの樹脂の容器に入ったものを買うだけです。
それを 一応楊枝入れみたいなものに移し変えて使っていますが、なんとも 雑な取り扱いです。
千葉県指定伝統的工芸品(平成16年度(2004年)選定)
に指定された ”長生楊枝”に出会いました。
●ながいきようじ と呼ばれています。
睦沢町にお住いの 村杉達雄 さんの 手作業によるものが認定されていました。
その紹介文を見ると(つい自分の目先のことになってしまいます。)
睦沢町のことはこう書かれていました。
・・・・・・・・・・・・・・・
上総地区屈指の穀倉地帯
・・・・・・・・・・・・・・・
こういう文章に出会うたび
長狭米はブランドとして確立できたのに
睦沢 特に美味しい米造りをしていると評価が高い 大上地区の米を ブランドとして確立しなかったのだろう と大変残念に思います。
千葉の米は 九州の早場米と競うように はやく!はやく!に主眼が置かれているように感じます。
いろいろ努力は重ねられていると思いますが、
数年前 九州の早場米を勇んで買った私は、ちっとも美味しくない・・高いお米なのに・・とがっかりした事が強烈な印象として残っています。
夫婦で歩く山歩きは お互いの体力レベルが相応であれば とても楽しく 感動を共有できるという点においては ベスト10に入るものと思います。
チョット話は横道にそれますが 感動を共有するという観点から言うと、女性・男性の性差の中で仕事の上でどうしても乗り越えられないものの一つに、現場の感動を共有できないというものがあります。
学生時代 野球がやりたくて仕方なかった友人は 女子を受け入れない野球部に マネージャーという肩書きで滑り込みました。
結果的には「途中でやめるわけにはいかないし・・」と 後悔したのかしないのか そこそこに終えました。
男性中心の体力を必要とする作業現場で 感動を共有できるまで女性が頑張るというのは、若いある一時期はともかくとして、長い人生を見極めると 生涯それをまっとうするのは 大変むずかしい事と思います。
感動を共有できるという事は 結束が強くなるという事と同意義と思えます。
さてさて 昔の恋人。
これは 20〜30歳中ごろにかけて山を歩き じき65歳にならんとする先輩は
「道路が走り ケーブルカーやリフトで上がれる山の姿を見たくはないのさ。」そう語りました。
「昔の恋人には 逢いたくないのよ。」こういうのでした。
実は ご夫妻で楽しめるもっと楽しい事を見つけたので、そういったとも思えるのですが、
昨日 1970年ワールドを髣髴したわたしの目に留まった
ジャパンミュージックシステムが
「70'sフォークの殿堂」というCDを
新録音の曲だけで構成し 3,000円で売り出す
この記事でした。
「昔の恋人には 逢いたくないのよ。」
この気分です。
睦沢は新鮮です。
昔を知らないから。
裏山にはいると 「タケノコ タケノコまだかいな♪」「ふきのとうはいないかね〜」と足元ばかりを見ている私に呼びかける声がしました。
「カメラを持って 来て見て。」
ナンジャラホイと近寄ってみると 話には聞いたことがあるけれど 見るのは初めてというシロモノ。
そうです。鳥の保存食です。
こういう画像は 死者を尊ぶという姿勢を崩しそうなので また やだ〜と思う方もあるかもしれないし、とりあえずちっちゃくしておきました。
さて なんという鳥がこういう仕事をするのか。。。
ま〜家に帰ってから調べるとしよう。
と思っているところに 友人がやって来て「モズ」だと教えてくれました。
モズ・・枯れ木
この瞬間から 1970年ワールドに突入してしまいました。
1970年代初頭 ”関西フォーク”と分類されるフォークシンガーグループがあって、その一人 岡林信康の「モズが枯れ木で」
・・・・・・・・・・・・・・
もずが枯れ木でないている
おいらはワラをたたいてる
わたびき車はおばあさん
コットン水車もまわってる
・・・・・・・・・・・・・・・
私たちは 岡林と呼び捨てにし、彼が歌った山谷ブルースなんて 今でこそプレミアムつきの焼酎があり、また焼酎の評価も上がりましたが、その頃の焼酎といえば ただ酔いしれるためだけの安酒というものでした。
今日の仕事はつらくて あとは 焼酎をあおるだけ。。。
今思えば そんな事でいいわけないだろうが と一括するところですが 未知の世界を容認したものでした。
10代のセンセーショナルな印象というのは 今も深く心に残るものです。
唐突に!
浮世絵において
刷師に渡された版木に ぼかしの裁量を加えるのは 刷師のクリエーションである。
このことを知ったのは 昨夜の事です。
一枚の浮世絵は 数人の「匠」の集大成という事を 教わりました。
そこで日ごろ 田舎暮らし=クリート スタイル
などと思っているので、そんな事を。。
町の人々を見ていると 道端に草花を植え、もちろん雑草をほっておくことなどなく、青い空や浮かぶ雲を背景に、田や畑を整然と作っています。
野菜を植えるとなれば まっすぐ キッチリ等間隔で と
美学があります。
草花は 配色や 季節感を大切に上手に育てられています。
球根は大切に。毎年少しずつ 増えていくからです。
小さな集落では どこの家にも同じ花が咲いていたりします。種か球根が 何かのチャンスにみんなの家に行き渡ったのでしょう。
食生活はといえば 食べきれないほど一時に出来た野菜を漬物にしたり、食べ方を工夫したり。
たえず どんな工夫をしようかという日々に思えます。
この材料があるから このおかずを作ろう。美味しく 食べよう。
この山を明るく 本来もっている雑木の美しさをよみがえらそう。
小鳥や 小動物が居る事を楽しもう。
作られたもの 買ってきたものでまかなっている生活では出会いの少ない 生活のなかでのクリエートがいっぱいあります。
子どものころ 真新しい運動靴を履くと とっても違和感があって 新しい運動靴が嬉しくもあり気恥ずかしくもあり でした。
そんな運動靴をわざと汚したり 踏みつけたりした事もありました。思えば 大して裕福でもない財布から娘の運動靴を買ったら わざと踏んだり よごしたり。
両親に対して 「そんなことするものではなかったな」
胸が痛む光景です。
家の外壁に貼られている腰板も 初めの頃は板そのものの自己主張が大変強くて、
「木達は本当におしゃべりだな。木の節だけかと思ったら 板もテンで勝手にしゃべってる。」
我が家 は 杉のオーケストラ だ
と 思っていました。
しかし 腰板として貼られた板は 1ヶ月も過ぎると、だんだん協調性が出てきて あんなに1枚1枚が自己主張をしていたのに すっかりおとなしくなりました。
太陽の光と風が そして雨が腰板達にもたらせた事で 家の中に入り天井を見上げると 腰板より1ヶ月以上前に貼られた玄関の天井板は 今もって「ニニンガニ!!」と笑いかけ 話しかけてきます。
スマイルを返しています。
家づくりの現場が休工中なので 時間的にも 精神的にも 少々の休養期となりました。
友達のところをのぞいたり、房総蕗の苗を注文した農場に行ってみようかという気持ちになったりしています。
そんな中で 2ヶ月もいや3ヶ月もたつけれど返事が返ってこない案件があります。
県道の縁石を切る許可願いの回答 及び カーブミラーの設置です。
私は カーブミラーの個人ユースについて 行政はタッチしない と理解していましたが、一方で 地の人に聞くところでは 県道を通すに当たり 前の地主さんは 所有地を一部接収されたと聞いています。
擁壁は行政が執り行い 出入り口も決定されていました。
要するに こんなところに出入口を作ったから カーブミラーが必要ななったのよ。。
と ま〜 思うわけですが 方や 承知でこの土地を買ったのでしょう といわれることも間違いないし、取り付けることは決めています。
睦沢町に浄化槽の申請をしてから お正月が絡んだのも関わらず 2ヶ月で手続き及び工事は完了しました。
県道路のことは 長生地域整備センターが窓口です。
町と県のフットワークの違いでしょうか。
そろそろ もう一回 腰を上げるとしめしょうか。