天然酵母と石窯

石窯でパンを焼いているパン屋さんが 睦沢にあります。

vivakenが パン屋さんで苦労しているのを知ってか知らずか ここのパン屋さんに導かれる風が吹きました。

事の始まりは お正月の休み期間中のことです。

普段は 私の住いの近所で買った食パンを持参して どんぐり庵に向いますが お正月はそれも限界があり 近所で大手パンメーカーのパンを買うことにしよう と諦めていました。

ところが 頼みの大手メーカーの食パンも お正月3日 近所のスーパーの棚には並んでいませんでした。

私は セブンイレブンに行けばナントカなる と 思って vivakenにはそのように言いましたが 
「大多喜のパン屋までいってくる」といって 一斤の食パンを買いにいってくれたのです。

パンの神様はその様子をご存知だったらしく それから数日後
睦沢にある 天然酵母を使い 石窯でパンを焼いているパン屋さんに出会うこととなりました。

そのパン屋さん NARUさんは 今 オリジナリティ溢れる パン・ド・ミ をほぼ完成させています。

私の楽しみが一つ増えました。

尾張の国

日本中が固唾を呑んでいますが
とりわけ 愛知県では ということになりましょう。

トヨタ自動車 社長の米公聴会での証言
女子フィギャースケート シングル決勝

vivakenの現役時代 所属していた会社は 愛知県に本社 及び 工場がありました(トヨタ関連ではありません)
ある一時期 単身で赴任していました。
愛知県の生活に 興味のある私でしたが 仕事を持っていたし 長くなるようなら改めて身の振り方を考えようと 送り出し
結果 一年ほどで 東京に戻りました。

実は その短い間に 非常に不愉快な思いをしたことがありました。

女性の電話で
「ご主人に女性います。」
ってなもんでした。

当事はナンバースディスプレィなど装備していませんから 話を長引かせ 電話をかけている本人の言葉をもらさず聞くようにしました。

そんな電話が数回あるうち これは どうも社内の人物 と推測が付きました。

当初 この野郎(女性でしたが)〜〜〜〜!!!
と思った私も 
誰であるかを推測するに充分なボロが アチコチに出てきて 一人のオバサンを割り出しました。

卑劣なヤツだと 腹を立て ”愛知県は嫌いだ” と
今も心のどこかにあります。

しかし 今 寂しいヤツだったんだ と 嫌う気持ちも相当風化しています。

暫く目の離せない 愛知県が端を発する動きです。

一生モン

もう 死語となっているかもしれません。

一生モン

少し 奮発して高額で堅牢なものを手に入れ メンテナンスをしながら 一生使い続ける。

身の回りにそういうものが 段々少なくなってきたようです。
ガソリン車はハイブリッドに変わろうとしているし
音楽を聴こうとすれば アナログより デジタルだ と 移行せざるを得なく
パソコンなど スペックはどんどん上がり 価格はどんどん下がり スペックが高くなければ 道具として使いにくい環境になっています。

思えば スポーツ用具もどんどん新しいものが出現し アルバイトでやっと買った道具など とっくに処分していますが 過去の化石と化しています。

vivakenは 
「これだけ取っておいたんだ・・・・」
と ジョージロウのゴルフパターを 壁に飾っていました。

iTunesに驚いた

音楽や 映像をデジタルで扱う事を苦手とし そのくせ sony VAIOにあこがれて 初めて買ったパソコンは Win98 VAIO 35万円 。

映像の扱いを極めるではなし 宝の持ち腐れと化し OSの進化と共にパソコンも買い替えと来ました。

音楽・映像の取り扱い苦手感は今もつづき CDプレーヤーに目がいったのも そんなことが原因だったようです。

その CDプレーヤーのツブヤキを読んだ 妹から
「ちょっと待った〜 ちょっと待った〜!!!今や iTunesの時代よ。オリジナル オーディオサーバーの時代よ。」

と 連絡が入りました。

iTunesか・・・・ナンか聞いた事があるけど

概略の説明を妹から教えてもらい インストール。

かなり 使える。
相当使える。

相当 時代に置いて行かれている。まずい!!

ほうき屋さん

一人で 留守番をしていました。
vivakenは コンビにまでハガキを買いに行っていました。

玄関の扉は 鍵をはずしたままでした。

どんぐり庵の玄関扉は 蔵戸を改造したもので 開け閉めにガラガラとかなり大きな音がします。

その扉がガラガラと開き よー か オー か なにか声が聞こえました。

二階からのぞくと 数本の箒を積んだバイクが止まっていて
一本の長箒を肩にのせたおっちゃんが バイクのところへ戻っていくところでした。

そうか vivakenが言っていた
いきなり玄関を開ける箒やさんだ

後姿を追っていると 道路を挟んだ お向かいに向っていきました。

箒やさんは フツーのことなのかもしれませんが ちょっと ドキッとしました。

フィギャースケート男子

バンクーバーオリンピック 男子フィギャースケートは SPを終え
フリーを待つばかりとなりました。

ありがたいことに ユーチューブに高橋大輔選手のSPがアップされていて
”イヨ!大輔!!!”
と掛け声をかけています。

ところで さてさて プルシェンコ選手のSPは・・・・
私の 頼りとするユーチューブに アップされてこない。
一度は掲載されたらしいけれども 削除されています。

また どこかから 著作権がナンダラカンダラで クレームでも付いたのでしょうか(グスッ)

どれがどんなメダルでもかまわないだけれど 
ともかく ハイリスクの4回転ジャンプにチャレンジし 最高のハイリターンの栄誉に輝いて欲しいと思います。

オーディオ

20歳代前半。
オーディオの音の違いが少し分かる耳でした。

イロイロなものに押されて そういう環境から離れたので それらの機器がどんな進歩をいているのやら 耳で確認する事も無く過ぎ去ってきました。


さてオーディオかという気持ちになり 少しずつチェックをするようになりました。
レコードからCDに変わり デジタル端子を装着したアンプがある時代となっていました。

バックグラウンドミュージックでしかなくなっている私と音楽とのかかわりですが
少々かじっていた事で その時のこだわりが芽を吹き
今や コストパフォーマンスからいえば 評価の低いCDプレーヤー
オンキョー C-S5VL に羨望のまなざしを向けています。

幸せは測れない

鳩山さんはいいました。

「新成長戦略(基本方針)」
国民の幸福度を表す新たな指標を開発し その向上に向けた取り組みを行う

私は思ったものです

鳩山さん!! 私の幸福って どんなものか ご理解いただけますか。
BobCatさん 伝左衛門さん vivaken の幸せって どうやって測るのですか。



昨日 オリンピック フィギャースケート ペア で金メダルを取った36才 31歳の二人は

「僕たちは スケートをやるには年をとりすぎた。」
と語り 
メダルを取る事だけが 幸せの形ではない事を これからの人生をどう生きるかが 自分達夫婦の幸せなのだと語っているように思いました。

房総の観光名所

房総の観光地を紹介してください。

さて! はた!と
東京ディズニーランドでお茶を濁せない場合 さて どこをご案内したらよいでしょう。

私が行っても楽しいかどうか それも 尺度にかけて選択しようとすると
即座に思い浮かばないものです。

東京なら まず皇居を上げる私としては
誕生寺 や 月の砂漠のなんだらかんだら に行っても・・・・
と 否定的なことばかり考えてしまいます。

このところ 行動範囲が狭まっている事も原因の一つです。
そろそろ日の出も早くなってきたし 少しアクティブに行動してみよう。

BS受信でスタート

地デジの受信は相当工夫をしなければ実現できないどんぐり庵では 
当面BSでしのぐ事にしました。


そもそもなぜテレビかといえば これからテレビを導入しようとするに当たって 
”エコポイントを利用しない手はない”

こう思っているからです。

今年の3月までだったエコポイントが付与される期間が 12月まで延びたというものの
巷のうわさでは 4月以降 現状と同じ付与率 機種かといえば 大幅変更がありそうだということでした。

ネット価格を調査し 茂原の町へ通う事 土・日の二日間。
東京池袋のヤマダ電機に行くと 価格 経費を含めどうなるか。
また やっかいなアンテナ工事を配慮しなければならないので その手配と価格。

など比較して 茂原の電気屋さんに発注しました。 

誕生日

明日は ハッピバースデェィ トゥー vivaken
vivakenの誕生日です。

両親の身の回りのことで10数年 そして どんぐり庵のことがラップした近年
私は 彼のお誕生日を企画することが出来ず おはよう おめでとうが せいぜいの記念日でした。

いつも 私の誕生日には 何かかにかのサプライズをいただきながら
キャパシティオーバーのわたしは 
”これで勘弁”と 自分を納得させていたりしたものです。

とりわけ 2008年の誕生日など 大イベントであるはずなのに
それも無く
かろうじて 妹が
立派な花立ちの「胡蝶蘭」を贈ってくれ 大変感謝したものです。

この妹夫婦には 何かと世話になり ともかく要所要所を押さえてくれるので
感謝に耐えません。
母は 長女のわたしに 言ったものです
「あなたは 総領の甚六ってとこだから・・・・」
ま〜余談になりました。

そんなわけで 少し心の余裕が出来た私は
3日前から 何かにつけて これもハッピバースデェィ これもハッピバースデェィ
と 押し売りをしています。

やや15年分を 取り返そうという魂胆で・・・・

0.06秒

プリウスのブレーキを踏み込んで 0.06秒ブレーキか利かない。

数字としてみると ホンの一瞬。
とは言うものの 私にはこんな経験があります。


とてつも長く感じられた間は ホンの一瞬 に違いなかった と思います。

もう30年以上前の話です。
一時停止で ミラーを見ながら 車が来ていないように感じ きちんと目視をしないでトロトロと出て行きました。

あ〜車が来ていると思い ブツカル!!と 思い 緊張し 
運転席右側ドアにその車はぶつかり・・・・・・・

と ま〜 そういうことをやってしまったのですが
切り傷・擦り傷程度のけが人で 大事にならなかった という経験を持っています。

車が来ている ぶつかる!!!ぶつかった!!!
その
時間の長かった事。

そのことを振り返ると ブレーキが0.06秒遅れるというのは 数字の0.06秒とは全く違うものを感じさせられることを よく理解できます。

プリウスについては ソフトの変更だけらしいからさっさとやりましょ。

そう なんでもかんでもさっさとやろぉうっと。

  

オレ 80歳

山の手入れを ガサゴソやっていると 隣地の方がやってきました。
この林の尾根にはお宮があり それを管理しています。
お正月にはしめ飾りが飾られ お米が供えられます。

話を聞くと
と 言っても話の半分以上は良く分からなく あまり聞き返しても失礼のように思われ そこそこ想像し 取りあえず理解しているという感じです。

ここの尾根からは かつて 海を眺め 富士山をめでた という事を聞きました。

ナンヤカンヤデ 年齢の話になり 始めは小さな声で そこで私が聞き取れず きょとんとしていたら より大きな声で 念を押すように
「オレ 80歳だ」

それを聞いて 
「お〜 なんとも 大変お元気ですね」
の言葉を最後に 別れました。


数日たって 西の隣人にそのことを話していました。
そうしたら

「イッツモそんなこといってるのよね。あの人今年で77歳か78のはずよ」


私は心の中で 数え年80歳としておくか〜 と思った次第です。 

フレッツテレビ の道のりは遠く 

茂原市の郊外に住む知人が 近くまで来たので・・・と顔を見せてくれました。
川崎から 数年前に移住。

一つお茶でも・・
と 四方山話をするうちに

「いったい 地デジってどうなるのかしら。電気屋さんが言うには 受信できない可能性があるというし ヒカリテレビもNTTに聞いたらダメだといわれた。」

え〜 茂原は ”フレッツ光ネクスト”なのに そんな事あるんですか。
なんかの間違いじゃ〜ありませんか。

と 思わず突っ込む私でした。

私は光回線さえ整えば 単なるオプションとしてのフレッツテレビ としか認識していなかったのです。

大慌てで調べました。

なんと!!
フレッツテレビの提供地区は 千葉市若葉区まで
そこから南下して外房線沿線は全て提供外。

これで 睦沢の地デジ受信は今のところ全敗。
光回線仮契約を出しているものの 意気込みは半減の半減の半減ぐらいに消沈しました。

田舎暮らしって こういう面もあるんです。

彼女はつぶやきました。
「当たり前の事が当たり前に享受できないんですもんね・・」

赤えんどう豆

お正月に 寒天よせでも作ろうと思って買った 棒寒天は食料庫に入ったまま出番はありませんでした。

ナンか作らなくちゃ〜
に始まり

豆寒天ってどうだろぅ
という事になりました。

そうなるとどうしても必要なのが ”赤えんどう豆”
近所のスーパーでは店頭に並んでいなくて
”ソウです”こういうときには
デパートです。

300g入りを買ってきて 100gだけお試しに炊いてみました。
一晩水に浸し じっくり火にかけてくださいとありました。

私は 普段の豆のつもりで弱火で2時間ほど放置したまま加熱。

皮が堅くて云々とあったので 
「どれどれ まだかな・・・」
と見てみると

1/3はすでに皮が破け これじゃ〜 豆寒天にはならない!!!

赤えんどう豆の塩煮を箸でつまんでいただくのでした。

 

玄冬

玄冬の玄は 「黒」を現す。と耳にはさんでいました。

どうも馴染めないでいて きちんと調べてみようと思っていました。


手元にある 漢和中辞典によると

玄→赤黒い色 天の色
とありました。

素人・・玄人  の玄人のように
色をいっているのではなく 
もう一歩踏み込んで

玄→奥深い道理、至妙な真理。

この解釈が 玄人の玄であり 玄冬の玄と思いました。


人生を重ね 行き着くところ玄冬にて終わる。

立春間近の雪

市川市の雪は 昨日溶けきる事はできず 日陰や車の屋根に今も残っています。

天気予報によれば もしかしたら 今夜また雪がチラホラ落ちるかもしれない。

昨日 所要で朝10時前のJR総武線に乗りました。
かつて 東京は雪に弱いといわれ 少々の積雪でも 遅れと運休であたふたしたものですが
今や過去のこととなり 不便無く利用しました。

雪というのも 郷愁を呼ぶというのか 昔の事を思い出します。
JRに乗りながら かつて国鉄といわれた時代
今であれば当たり前のように耳に入る
「本日は ご利用いただきまして ありがとうございます。」

そんなアナウスは無かったはず と思ったり

NHKの男性アナウサーが
「本日は お聞きいただきましてありがとうございました。」
と番組の最後に挨拶したり

今の時代は〜と嘆く言葉もあるけれど
そういう意味では 棄てたモンじゃ無い。
そんなふうに思っています。

サクサクした畑

粘土を耕し もみがら物語を投入し を 何回か繰返したこの一年半で 土はさらさらと大変扱いやすくなってきました。

それにしても 畑を耕すというのは 大変な仕事に違いありませんが 一時に比べれば段違いに楽になりました。

夏野菜まで何を植えるという目標もないけれど 力強さと勢いを増してきた雑草取りも兼ねて 畑の土をおこし始めました。


ご近所情報では

土を軽くする目的で 砂を投入した畑を借りて 一年やってみたけれど 思う結果が得られない。 
具体的には 
「サツマイモなんかは デカイのは採れるけれど 食味がどうもイマイチ。落花生だけはうまくいった。」
などと。 

砂の投入も検討した私は へへへっと 胸をなでおろしたりしています。

そんな話を聞きながら 内心
「たまねぎってどうかしら。ゴールデンウィークまでほっておけばいいみたいだし・・」
と思いましたが 植え付けは 秋でした。  

蕗のとう

蕗の蕾が開くと その時になって 
「おやおや ここにフキノトウがあったんだ」

日陰を好むと聞いていますが 山の斜面 サンサンと陽が当たるところに 花開いています。

2004年の夏から 6回目の春を迎えました。
当初は 宅地の東斜面にわずかに自生した蕗が全てかと思っていましたが
vivakenが山の手入れに精を出すうち かつては踏み込む事の出来なかったところも すっかり片付き 蕗がたくさん自生しています。

蕗が面白くて 苗を買うつもりでいたのですが 販売者とスムースに連絡が取れないうちに 自前の蕗が揃ったのでした。

初めの頃は ”蕗のとう”をとって 調理したりしたのですが 
子どものときから慣れ親しんでいたものではないせいか、今年は 眺めて楽しむのみ・・

”蕗のとう”の甘味噌は美味しいのだけれど と思いながら
踏みつけないよう

♪下をむ〜いて あ〜るこぉぉ♪
というのが 我が家の掛け声です。 


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tiara
里山の暮らしはいかに・・。
vivakenのカーチャンとか オッカーとか 呼ばれる日が、来るのだろうか。

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