困ったオヤジ

俳優の石原良純が23日放送のテレビ東京系「あちこちオードリー」(水曜・午後11時6分)に出演。

父で元東京都知事の石原慎太郎さんについて語った。  
番組冒頭でお笑いコンビ「オードリー」の若林正恭が「石原慎太郎さんの次男ってどんな感じなんですか?」と直球質問。

良純は「それは話が長くなるからさー、『石原家の人びと』って本を昔書いたから、それを読んでよ」と苦笑い。  

それでも父の人となりについて「変わらない。外にいる時と家の中にいる時も同じ。あんな感じの人。ずっと機嫌悪い」とズバリ。

これには春日俊彰は手をたたいて大爆笑。
良純は「オレはいつも機嫌いいよ」と続けていた。

これを聞いて思い出したのが 石原慎太郎が書いたベストセラー『スパルタ教育』です 
実際は家では子育てに全く興味がなく ほっぽらかし状態だったという話しです

慎太郎曰く「俺は子育てに興味がない」という言葉が表しています
こうして見ると慎太郎は不機嫌でいい加減な男だったという事が分かりました
家族とりわけ子供はさぞかし大変だったことでしょう

恩人3人

高橋英樹が鼎談の番組に出演しました
自分の人生を振り返ると恩人が3人いると言っていました

高橋英樹が日活のニューフェイスに合格したのは 赤木圭一郎が亡くなった後継者として選ばれました

当時の日活の主役は石原裕次郎と小林旭でした
この二人に比べて高橋英樹は足が短いので日活は時代劇を選びました

それまで着物は着たことがありませんでした
そこで日本舞踊を学ぶために尾上松緑の門をたたきました
ここで所作をキッチリ学んだことが時代劇役者として其の地位を固めることが出来ました

俳優として活躍出来たことで収入も増えました
これに比例に夜の遊びも覚えてクラブに一カ月に24日も通っていました
クラブの従業員より店に顔を出す日数が多くなりました

ある時ロケバスの後ろの席で他の俳優と大声で馬鹿話をしていました
目的地に到着したので 他の俳優は先にバスを降りました
一人残った高橋英樹の所に浪花千栄子がやって来て ひと言「あんたも変ったわね」これを聞いて全身の力抜け これ以降生活スタイルを変えて夜遊びから手を引きました

三人目の恩人は浅丘ルリ子です
高橋英樹が新人の頃 ご飯を食べるお金にも苦労していました
調布の日活撮影所の近くに住んでいた日活のスター浅丘ルリ子が自宅に食事に誘ってくれました

「困った時は いつでもいらっしゃい」という言葉に甘えて 毎日のように食事に行きました 一日に三食をご馳走になったり 浅丘ルリ子が留守の時に食事に行っても お母さんが面倒を見てくれました

当時 他の若い俳優も面倒を見ていたので 浅丘ルリ子のお母さんは毎日二升のご飯を炊いていたとのことでした

歌は世につれ

「歌は世につれ 世は歌につれ」という言葉があります

vivakenが育った昭和の時代は歌謡曲というのが主流でした
歌謡曲は誰でも歌うことが出来て 同じヒット曲が日本中に伝搬しました

レコードを聴く人は少数派で大多数はTVかラジオで聞くことになります
TVは一家に一台で居間の主役でした

一家に一台ですからチャンネルの争奪戦が始まります
多くはオヤジがチャンネル権を持っていました

「夜のヒットスタジオ」という歌謡曲の人気番組があり この時間帯は銭湯ががら空きになりました

「夜のヒットスタジオ」の時間は家族全員がTVの前に集合します
これはどこの家庭でも起きる現象です
その為 日本中で誰でもある程 歌を度唄うことが出来ました

令和の時代になるとグループでダンスを踊りながら唄う歌が人気になりました

マイケル・ジャクソンの「スリラー」がきっかけのように感じます
その後 韓国のBTSが大人気となると 日本でも同じように男子のグループが次々と誕生しました

彼らが唄う歌は一般の人には唄えません テンポが速くて 歌も難しく 詩も分かりません

皆が口ずさむことは難しく 見て聞くだけになってしまいます
歌謡曲は「歌い手とみんなの歌」で 今の曲は「歌い手の歌」という感じがします

「歌は世につれ 世は歌につれ」です

千秋楽

大相撲名古屋場所は前頭15枚目の琴勝峰が初優勝しました

優勝を決定する安青錦との取り組みは立ち合いから一気に押し込み 残すところをはたき込んで優勝を決めました

体勢が低い安青錦は対戦相手が皆はたきますが 安青錦は前に落ちません その結果相手を呼び込むことになり 押し出され負けてしまいます

千秋楽の琴勝峰は押しが強く安青錦はあせったと思います そこをはたき込まれ負けてしまいました

今場所は若手の琴勝峰 安青錦 草野が好調でしたが ベテランの玉鷲40歳も元気そのもので 横綱大の里を下し 金星の最年長記録を達成しました

千秋楽も欧勝馬を渾身の力強い相撲で押し出し11勝4敗の見事な成績で殊勲賞を獲得しました

35歳の高安も優勝候補の一人の草野を今場所最高の見事な相撲で突き出し破り見事10勝5敗で二けた勝利して大関の足掛かりを作りました

一時は優勝候補に名乗りを上げましたが 残念ながら届きませんでしたが 大の里の太刀持ちをして気合を入れて頑張りました

中堅の関脇若隆景も関脇霧島を上手い取り口で見事に押し出して10勝5敗で先場所の12勝3敗に続く二桁勝利となり 来場所も二桁勝利すれば大関に昇進します

名古屋場所千秋楽はとても良い取り組みが見られて大満足出来ました

大相撲夏場所

大相撲が12日を終えて

2敗が安青錦と琴勝峰
3敗が熱海富士 草野 一山本 大の里
となりました

個人的には高安を応援していましたが 12日目に琴勝峰に敗れて4敗になり優勝圏内から脱落しました

高安は先場所6勝9敗で負け越したので 本来であれば平幕に降格になるところを運良く小結に留まることが出来ました

今場所から弟分に当たる大の里が新横綱になり 土俵入りで太刀持ちを担い張り切っていました

また過去に何度も優勝争いをしましたが一度も優勝できませんでした
年齢的に35歳なので簡単には優勝の機会が訪れません
今回は何とか優勝をと応援していたのですが残念でした

名古屋は平幕力士が優勝する回数が多い場所です
12日目が終って2敗の2人が平幕 3敗の力士4人の内3人が平幕です
こうなると平幕力士の優勝の可能性がかなりあります

高安がダメになったので一山本を応援することにしました
一山本は北海道出身で中央大学を卒業してから 北海道福島町の教育委員会に配属された公務員である中で 少年相撲の指導に当たっていたという面白い経歴の持ち主です

インタビューを受けると少年の様に明るくはきはきと答えて なるほど教育委員会に配属された公務員出身と思えるところが可愛くて好きなのです

役人の裏技

役人は自分たちの方針に反対する相手に対して色々な裏技を仕掛けます

郵政民営化を進める小泉政権に対して これに反対する郵政を所管する総務省の事務局はあれやこれやの裏技で抵抗しました

多くの人は郵政事業が株式会社になったことで郵政民営化が達成されたと思っていますが 今でも政府が大株主で40%近く保有しています

数量政策学者で当時郵政民営化に携わった元内閣参事官の高橋洋一に言わせると途中で民主党政権に代わったことで郵政民営化は頓挫しているとのこと

小泉政権による郵政民営化は07年10月から09年10月までの2年間だけだった。その後、政府が一定の株式を保有し、お飾りの民間人経営者はトップだけにして実質的に役人が経営する「役所の企業」となった。

多くの人が郵政は「民営化した」と思い込んでいるが、そうでなく、「すぐに再国有化された」というのが真実だ。

「郵政を完全民営化」を進める議事録で「郵政を完全『に』民営化」するという文言がありました
郵政を民営化するにあたってはいくつもの作業がありました

『に』を入れることで 全てを民営化せず一部だけを民営化することが可能になります
「郵政を完全民営化」と「郵政を完全に民営化」では全く違う姿になります
この裏技を見破ったのが高橋洋一でした

委員会のメンバーは事務局が意向に沿う御用学者を選びます

委員会のメンバーで会合に参加してもらいたくない学者がいると 当日授業で会合に参加できない日に設定します

会合のスタートは事務局からの趣旨説明がありこの時間を長くすることで議論の時間を短くします

役人はあれやこれや色々な裏技を駆使してきます

現金書留

かつて日活で石原裕次郎や小林旭と共に銀幕のスターだった浅丘ルリ子が77歳を迎えた時 誕生日プレゼントとして何がいい?と小林旭に尋ねられ 現金で7700円を送ってと希望しました

大スターだった浅丘ルリ子が現金を希望するとは?
しかも たったの7700円です
本人は現金が一番便利だからという理由でした

77歳の時ですから 今から8年前になります
半分は冗談だったのでしょうが・・・
小林旭からは一桁多い現金77000円が現金書留で送られてきました
とても嬉しかったと言っていました

小林旭は今年で87歳です
浅丘ルリ子より2歳年上です
二人は「渡り鳥シリーズ」で長い間共演しました
その結果 二人は事実婚状態となりましたが 浅丘ルリ子の父親の猛反対で結婚できませんでした

その後 今度は美空ひばりと結婚生活を送りましたが ひばり親子から頼まれた田岡組長が「ひばりを皆さんに返してやりや」の一言で2年間で離婚を決断しました

そういう経験を積んだ小林旭が浅丘ルリ子の誕生日プレゼントに現金書留で
77000円を送るとは・・・
現金書留ですから現金77000円を郵便局に持って行き あて先を浅丘ルリ子と書くのですから 郵便局員はオッタマゲタことでしょう

映画のワンシーンを見たような感覚だったと思います

茨城のドカベン

当時のオレは少し腐っていたんです。「(出身地)茨城のドカベン」という触れ込みでプロ入りしたにもかかわらず、西武では87sに体重制限されていました。

玄米や野菜ばかりを食べさせられ「太っているのが取り柄なのになんで痩せなきゃならないんだ」と不満でね。

それが、神様・長嶋さんが「今のままで大丈夫」と言ってくれたんです。
初めて自分が認められたようで、全身が震えました。 巨人に移籍して2年目のこと。

長嶋さんが監督になり、オレは栄光あるジャイアンツの4番に抜擢されます。
長嶋さんは監督室にオレを呼びこう激励しました。
「巨人軍第59代の4番バッターに指名しますよ。

ブーちゃんは捕手だから今まで8番だったけど、クリーンナップ打てる力があるんだから」 ある時、打撃指導を受けようと宿泊先の監督の部屋を訪ねたことがあります。

ドアをノックすると、シャワーを浴びた直後だったのかタオル1枚を腰に巻いただけの監督が部屋に入れてくれた。長嶋さんは「バットを貸してごらん」と言って3回ほどブンブン振って……。
「どうだブーちゃん、オレのスイング。スゴイだろう。お疲れさん!」

おそらく長嶋さんは、打撃に関しては心配ないと言いたかったのだと思います……。

ただオレは、まだまだ実力不足。レギュラーをつかみ切るまでには至りませんでした。そんな半人前のオレでも、長嶋さんは大切にしてくれましたね。

ある試合の前、レギュラー陣が打撃練習を終えオレたち控え選手がバッティングを始めようとすると、ゲージに片足をかけた長嶋さんが声をかけてきたんです。

「ブーちゃん、オレと賭けよう。今から5本打つうちに1本でも本塁打になったら1万円出すよ」 オレは気合が入りました。スタンドに打球を放り込むと、長嶋さんは「やられたねぇ」とポツリ。

試合後のバスの中で「ハイ、食事代にして」と鉛筆で長嶋さんの当時の背番号「33」と書かれた封筒に入った1万円を渡してくれたんです。

スタメンに入れず腐りかけていたオレのモチベーションを維持するため、長嶋さんなりの気遣いだったのでしょう。

神様・長嶋さんの言葉、共有した事件は決して忘れることはありません。
オレの心に永遠に刻まれています。

デーブ大久保の才能を見出したのは長嶋監督だったとは知りませんでした

現役の頃 デーブ大久保の講演会に行ったことがあります
「茨木県は職業が3つしか選べない 土建屋と漁師とヤクザ」
「イチローや松井は毎日1000本から1500本の素振りをしていたが おれは500本がいいところ この差が成績の違いに出たよ」
いまでも記憶に残っています

憧れ度MAX

ビームス(衣料品・雑貨の小売業)の社長である設楽は小学1年生の時、長嶋さんが表紙になった雑誌の懸賞で1等の双眼鏡が当たり「長嶋さんにもらったんだ」と傾倒。小学校入学の年に長嶋さんが巨人入りし、大学卒業の年に現役を引退と、共に青春時代を歩んだ。

トイレを使う時は右から3番目、ティッシュは3枚ずつ、テレビ音量の調整は3メモリ…。「3」のとりこになった。「トイレは他が空いていても右から3番目の後ろに並ぶので、気持ち悪がられます(笑)」と徹底している。  

社長就任後、パーティーの席上で姿を見かけることはあったが、足が震えて動けず「憧れ過ぎて、半径3メートル以内に近づけませんでした」。

そんな設楽氏に04年、一緒にゴルフをする機会がやって来た。
ミック・ジャガーと食事をした時も、スティービー・ワンダーにピアノを弾いてもらった時も緊張しなかったが「長嶋さんは別格でした」。

前夜は一睡もできなかった。  
普段の講演会ではアドリブがモットーだが、この時ばかりは単語帳にびっしり会話のタネを書き込んだ。18ホールを回った記憶は、ほとんどない。

スタート前の記念写真で肩を組まれた瞬間、「背中から羽が生えて、30センチ浮きました」。  

今でも脳内にこだまするのは、あの甲高い声だ。「ドンマ〜イ」「ナイスショ〜ット」。そして、誰にでも優しい姿。

食事中、ゴルフ場のスタッフから100枚超のサインを頼まれ、ラウンド中は常にファンが後を追った。
それでも、あのスマイルを崩さなかった。「誰にでも同じ態度で接するんですよ。嫌な表情一つしない」  

ゴルフの結果は…。「後ろで神様が見ていると思ったら、空振りもして、全く芯に当たらない。
何度も林に入れてしまって」。そんな時、長嶋さんが率先して草をかき分け、一緒にボールを探してくれた。

「自分が先に見つけたんですけど、長嶋さんに見つけてほしくて。長嶋さんが手にしたボールは、ポケットに入れて、家宝にしました」  

翌朝テレビを付けると、長嶋さんは青梅マラソンのスターターを務めていた。「長嶋茂雄をやるのは、大変だな」。その2週間後の3月4日、脳梗塞で倒れた。

共にしたラウンドは、長嶋さんにとって最後のゴルフと言われている。  
その時に記してもらった2枚の色紙には「強運」「プレッシャーを楽しめ」としたためられている。

「ビームスが『ハッピーライフ』を掲げている根底も、長嶋さんの影響が強いです。元々、太陽であり、神様でしたので、それが本当の神様、太陽になった。
光、明るさ、ハッピーを与えてくれる太陽は、この先もいつまでもなくならないですからね」。

達筆を眺めながら、設楽氏は会社の道筋をも照らしてくれた長嶋さんに感謝した。

ここまで長嶋茂雄に憧れるとは 設楽にとって長嶋茂雄は『長嶋教』の教祖的存在だったのでしょう

明日8日(火)から18日(金)までブログはお休みします
ブログの再開は22日(火)になります

関税

現在 アメリカと日本の間で日本の輸出品に対する関税比率につて交渉が繰り返されています

関税は誰が払って誰が受け取るのでしょうか?

感覚的にはアメリカの税関で輸出側の日本企業が通行料金の様に支払うように思われますが 
実際はアメリカ側の輸入企業が支払うのです

例えばトヨタ車をアメリカに輸出する場合は アメリカの税関にトヨタ車を輸入するアメリカ側の企業が税関に関税を支払うことになります

当然ながら関税が高くなれば車の販売価格が上がり アメリカの消費者は高くなったトヨタ車を買うか 安い国産車を買うか考えます
トヨタ車を買えば従来より高い買い物をすることになります

アメリカで高いトヨタ車を買いたくない人が増えると 結局は輸出するトヨタ車の輸出台数が減少します そうなれば工場も生産台数を減らさざるを得なくなります 当然トヨタの協力企業も悪影響が出ます

一方で関税はアメリカ政府の収入ですから アメリカ車が国内で多く売れるよう国産車の保護に使ったりできます

車に限らず全ての輸入品に高い関税を掛けると その分アメリカの消費者が高い買い物をすることになります

そうなるとインフレの問題も出て来てややこしくなります

日米の関税交渉はどうなるのでしょうか?

お説教

1967年シーズン。長嶋さんは打率・283と低迷。プロ入り以来5度の首位打者に輝いていたが、この年は初めて打率ベストテンから外れて12位に甘んじるなど、限界説がささやかれていた。

吉田さん(キャッチャー)が18歳で入団した65年から巨人のV9時代はスタート。
10歳年上の長嶋さんはチームのスーパースターであり、恐れ多い存在だった。

大先輩から一緒に走るよう言われた吉田さんは言われるがままに従った。  「僕はぺーぺーだから、緊張しながら付き合った。

長嶋さんは両親指を立てて『シュッシュッ、シュッシュッ』と言いながら走ってた」

「『おまえは走るリズムがない。俺と声を出せ』って言われてね。

そこから2人で『シュッシュッ、シュッシュッ』と言いながら走った。
そしたら、どんどんスピードが速くなってね。
僕の方が速くて、長嶋さんを抜いてしまった」  

先を行かれた長嶋さんは、吉田さんを説教した。  
「『なぜ、おまえは俺より先に走るんだ。ただでさえ引退間近と書かれてる。
吉田ごときに負けて、遅いと思われる。
これだけお客さんが見てるんだ。

引退間近と思うじゃないか、おまえは必ず俺のあとを走れ』って」常に見られること、ファンを魅了することを意識していた、ミスターらしい説教だった。  

「僕が2、3歩後ろを走ると、『ヨシ、これでいいんだ』ってニヤッと笑ってね」  序列が守られたことでミスターは満足そうな笑みを浮かべたという。

ミスターは常にファンの視線を意識した行動を取るのです

続カミソリシュート

6月3日に放送された「プロ野球 レジェン堂」(毎週火曜夜10:00-10:55、BSフジ)。今回は、令和7年6月3日に天国へ旅立ったミスタープロ野球・長嶋茂雄を偲ぶ特別編成で届けられた。

番組冒頭、MCの徳光和夫は「長嶋茂雄という存在は学生時代からの憧れであると同時に、自分をテレビの世界へと導いてくれた恩人、神といっても過言ではない」とその存在の大きさを語る。

スーパースターとして輝き続けた姿と、人間味あふれる素顔の数々をさまざまなレジェンドたちの言葉からひも解いていく。

現役時代、長嶋を苦しめた元大洋ホエールズの投手・平松政次も忘れられない思い出を明かした。

学生時代から長嶋を見てきて憧れの選手ではあったが、プロ入り後のある日の試合で長嶋から場外ホームランを打たれたことがきっかけで“目覚めた”という。

それ以降、平松は「長嶋さんがユニフォームを脱ぐ瞬間、“平松はすごくいいピッチャーだったな”と記憶に残らせたい一心でプレーしてきた」と心境を明かした。

結果的に通算打率1割9分3厘、33奪三振に抑えたが、平松は長嶋もまたこの苦手を乗り越えようと工夫を凝らしていたエピソードを語る。

それはたとえば平松の指からボールが離れる瞬間、バットを短く持ち替えるというもの。

平松は当時の様子を振り返って「バットを持ち替える様子はピッチャーには見えているが、ファンには見えていないと長嶋さんは考えていたのではないか」と分析。

いかにも長嶋らしいセンスと隠れた工夫があふれるエピソードに、MCの徳光と遠藤から笑いがこぼれた。

ということで 前回の「カミソリシュート」の締めにvivakenが

【長嶋は「バットを短く持たない」 平松は「アウトコースにストレートを投げない」両者は勝ち負け以上にプロ野球選手としての美学を持っていたようです】
と書いたのですが事実を確認すると修正が必要でした 

でもファンに分からないように瞬間的にバットを短く握るというのは神技のファインプレーなので やはりファンを裏切らない美学があったことには間違いないようです

キーボード交換

パソコンのキーボードの調子があまり良くありませんでした
「あ」を打つと連続して2回出て来る回数が増えました

平仮名のモードで売っているのに いつの間にかアルファベットに変わっているケースも出てきました

そこで以前購入し在庫していたキーボードに替えることにしました
まずは取説を目の前に広げました

パソコンとのペアリングをする時には「Esc」と「W」を同時に押します
これでペアリングモードになります

キーボードの裏側にレシーバーが嵌め込まれているので これを抜き取っておきます

まず キーボードを充電します 充電している時間がないので 前のキーボードで充電していたUSBコードを差し込みました

キーボード裏面にある電源SWをONにします

キーボードの「Esc」と「W」を同時に押します

キーボードの右端のLEDが緑色に点灯します

点灯している間に取り外しておいたレシーバーをパソコン本体に差し込みます
右端のLEDが消灯すればペアリングが完了です

消灯しましました ペアリング完了です

果たして作動するか?ワードを開いておいたので ここにキーボードを打ち込むと 見事に文字が入りました

キーボードのタッチは以前よりしっかり感がありました
「あ」の連続もなくなりました
平仮名のモードで売っているのにいつの間にかアルファベットに変わっているケースも無くなりました
 
目出度し 目出度し

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