年間80枚

日本人の一人当たりの海苔の消費量です。

年間80枚。
板海苔に換算するとこのような数字になるのでしょう。

我が家は海苔には恵まれていて 美味しい海苔をいただいていますが 年間80枚といわれると 日常生活と照らし合わせてみて ウチはともかく よそでもそんなに食べるかな〜 と少し疑問を感じました。

なんでも 家庭用の海苔の消費は下降線をたどっているものの コンビにのおにぎりがそれをフォローしているそうです。

たしかにコンビニの ジャパニーズファストフード 大変よく売れています。

先日 どんぐり庵へ向かう電車の中。
両親と3歳と2歳ぐらいの姉弟。お母さんは第3子を身ごもり大きなお腹。
じっとなんかしていられない年齢です。
そんな光景を眺めていると かばんから出てきたのは お家で作った大きなおむすび。

子ども達は まだまだ おむすびを上手に食べるなんて出来るはずがなくて ご飯粒は顔にくっつくし こぼして電車のシートにくっつくし・・
お父さんが 顔にくっついたご飯粒は自分の口に入れ 落っこちてしまったものは丁寧に拾って袋に入れ、と 見飽きない光景がつづきました。

私は コンビニで買ってきたのではなく お母さんがいやお父さんかもしれませんが お家で作ったお結びを食べさせていた家族と 久しぶりに出合った事で 暖かい気持ちになったわけです。

我が家では 二人で年間200枚程度は食べていました。
今年は どんぐり庵が完成し 今までのように 朝 おむすびを作って現地入りということもなくなりましたので 消費はトーンダウンしていますが 私は海苔弁当を美味しくいただいています。 

茶豆

収量を期待しない家庭菜園では チョコット珍しいものでも・・

というわけで 5月に種を撒いた茶豆をポツポツ収穫できるようになりました。
太った豆から切り取って 長く楽しむという家庭菜園の醍醐味が味わえます。

たかが 枝豆と馬鹿にしてはいけません。
やはり 畑で管理してあげなければなりませんでした。

一畝に整然と並べられた枝豆は ひととき虫がついたりしましたが 庵主の監視下 虫に食べつくされず 私たちも賞味する事が出来ました。

種は充分すぎるほどありましたので 
「所詮 畦道に植えられる枝豆よ。」とばかりに、草地に筋を付けそこに撒きました。
確かに 芽を出しある程度成長したものの 肥料不足か 草に負けたか 食べられるものにはなりませんでした。

ガーデニングをやっていた頃 肥料のやりすぎに注意するよう指導を受けたことが やらなすぎになっているようです。

また 来年です。

欠かせない話

どんぐり庵物語の中で 欠かせない一つの話をせねばすまない日 父の命日を迎えます。
2005年7月29日 父は帰らぬ人となりました。

どんぐり庵は徐々に私たちの中に定着し 何時かは 昔からこの家にこうして住んでいたと思うようになるでしょう。
ただ 父の命日を迎えるたびに ここに運ばれた 柱や差鴨居の歴史を改めて思い起こす事となります。

ご存知の方はご存知ですので 読み飛ばしてください。

父が亡くなった翌日は どんぐり庵の前身であった建物の解体に着手するため 材の最終確認のために 現地にて庵主の立会い確認のある日でありました。

30日当日東京を出発したのでは約束の時間に間に合いそうもないことから 29日夜8:00を回った頃 現地に向かう庵主を見送りました。

急変したのはその後 30〜40分経った頃で、庵主を呼び戻そうと一度は思ったものの、
「いやいや 彼にとっても最後の大きな買い物だ。こうなってしまった以上 生きているものの都合が優先だ。」とやけに冷静な部分が私の中にあり、そのままにして時を待ちました。

11:00を過ぎて 「ホテル入りした」と電話を貰い 声を聞くとそれまでの強がりもガタガタと崩れ つまるところ 「父はこうこうこれこれで・・」

電話の向こうで 言葉のない一瞬が過ぎ
「僕は明日夜明けと共にホテルを出るから、ともかく帰ります。」

そんなことなら 事が起きてすぐ連絡をすればよかったとか ともかくなんやかや私のクレーマーぶりを発揮した次第でした。

どんぐり庵は 買主の確認もなく 着々と解体され今こうしてここにあります。

日照りのときは涙を流し

睦沢はカンカンの日照り続きです。
聞けば この2週間 夕立すら降らない 
庵主は
「農家さんの水やりが大変だよ」と 言います。

それなりの対策がありましょうから
日照りの夏には涙を流さないように
寒さの夏には おろおろ歩かないよう
知恵を絞った 工夫がされることでしょう。

こうして身近で接してみると その年その年の天候に大きく左右される農業は 
「毎年毎年が勉強さ」
といわれるのは 本当にもっともな事だと思えます。

一日に一本しかない 総武線経由の特急新宿行き。
これを利用しています。
きのうの日曜日は 中央本線小淵沢あたりの大雨で 運休が発生し 新宿の中央本線のホームに特急が待機しているため 調整がつかず 急遽 総武線経由の東京行きとなりました。

そんな中 いろんな人がいるのですが 説明が足りないとJRの社員に苦情を言う前の席の男性。
そう間違った事も言っていないのですが、何をどうして欲しいいか整理して言わないので くどくど と 不快感が残りました。
最後は 東京駅から新宿駅まで 都内の電車はスムースに運行されている事を確認して、やっと決着がつきました。
その時間の長い事。。。。


睦沢にも夕立が来るといいのにと思って聞いていましたが どうも スカ だったようです。

タマリュウなのかリュウノヒゲなのか

リュウノヒゲと呼んでいたのは タマリュウと呼ぶほうが正しいようです。

庵主の妹が自宅の庭から剥ぎ取ってきてくれたタマリュウを 玄関につながるアプローチに400本植え込みました。

両サイドに2列ずつ 合計4列。
1列に100本ほど入りました。

どんぐり庵にタマリュウが届けられたのが 3ヶ月よりもっと前。
大きなトレーや トロ箱に入って 植え込まれるのを待っていました。
2割ぐらいが葉っぱを茶色く枯らしてしまい 半分あきらめていましたが そうこうしているうちに そのなかから緑の葉が出てきて なになに根っこは生きているようだと 改めて「活」を入れています。

アプローチを作ってくれた 篠田土建さんの職人さんは 
「タマリュウの根をくるくると巻いて植えるといいですよ」
と教えてくれました。

タマリュウとリュウノヒゲ これは同じものか???
どうも違って 里山によくあるタレッと長い草 あれがリュウノヒゲで 矮性の園芸種をタマリュウと呼ぶようです。

夜露

露が降りるというのは 早朝としか思っていませんでした。

普段の生活では 出勤前に洗濯物をベランダに出して 夕方7:00ごろに取り込むことになりますが お天気さえ良ければ 太陽を浴びた洗濯物は ぱりッと乾いているものです。

そのままの感覚を どんぐり庵に持ち込み 外仕事が忙しいので 早々洗濯物を取り込もうなどという感覚は全くなくて、仕事が終わってヤレヤレ と 取り込みにかかるわけです。

先日の海の日三連休で 西隣から
「いつまでも(といっても その時はまだ4:00前)洗濯物を出しておくと しけるよ。露が降りるんだから。」

庵主は ”はい” と返事をして 早速取り込みにかかりました。

そういえば どんぐり庵の洗濯物は どこか湿気っぽい感じがしていました。
表に出して干しているのに どうしてだろう と 少々の疑問はあったのですが 私にとっては毎日のことではないので そのとき限りで また忘れていました。

その指示に従って取り込んだ洗濯物をさわって、思いました。

原因はここにあったのだ。ぱりッとしている。 な〜るほど 自然の草木に覆われたところでは 炎天の太陽が傾き始めると露が発生するんだ。
大満足の納得です。

露と同時に気温は下がってくるはずです。
大ウチワで充分涼が取れていることと思います。

唄を覚えた里山のワンチャン

夕方5:00になると 子ども達に家に帰るよう促すチャイムが鳴ります。

テレビのペット番組で
「ウチの○○は テレビを見ながら 音楽に合わせて吼えます。」
と紹介された犬をみたことがあります。

なんと どんぐり庵のご近所ではチャイムに合わせて遠吠えをする犬が 最低2匹はいるようです。
西の方から聞こえたり 東の方から聞こえたりします。

「なんだ 唄うワンチャンってそんなに珍しいもんじゃないんだ。」
と思いながら 
都会では大型犬も含めて多くが家の中で飼われるようになり、番犬という役割はすっかり失せてきてしまったことを感じます。

丸ごとスイカ

夫婦二人の生活で スイカを丸ごと買うことなんかありませんでした。
たとえ半分に切られたものを買ったとしても、庵主一人 サクサクといただいて 
「今年も スイカを食べる事が出来たね〜夏だね〜。」
ってなところでした。

私はスイカが嫌いなわけではないのですが、多分 体を冷やす食べ物なのでしょう。
本能的に手が出にくい果物でした。

三連休の初日。
梅雨明け宣言は出ないけど 暑い日が続くぞ〜 といったお天気模様でした。

スイカを丸ごと買ったのです。

誰かが遊びに来るか何かで 丸ごとスイカを買ったことはあったかもしれませんが 今回のように そんな予定もなく いわば漠然と 丸ごとのスイカを買ったのは 結婚以来初めのことでした。

ナンセ 「オマエのようなヤツが居るから 炎天下で人は倒れるのだ。」といわれながら 外仕事を楽しんでいる私は 本能的に スイカを丸ごと買いました。

まずは 井戸水を出し放しにして冷やし 切り慣れないスイカに包丁を入れると 切り口は曲がり 刃渡りが届かないので 逆から包丁を入れると 切り口がずれて段になるといった具合でした。

流しで立ち食いの「流し食い」の大家は 流しでサクサクと食べ 私は 皮をむいて 三口分ぐらいに切る分けてお皿にのせ テーブルに着き フルーツフォークでいただきました。

この三連休で 丸ごとのスイカを完食致しました。

ムクドリ

東西線行徳駅では 大きな樹木や 電線に ムクドリが所狭しと並びさえずります。
電線にはカバーがかけられ 一時数が減ったかのように感じられましたが、今 また 元の姿に戻っています。

行徳は 野鳥観察舎、宮内庁の御狩り場 などがあり 地域としては 生き物に対し寛容だと思っています。
殆どが住宅地で 農業を生業としてはいないので 被害という角度からはあまり話題にはなりません。
一番の悩みは 排泄物。
それが自分に降りかかろうものなら 大騒ぎし それに懲り と〜まわりして帰ろう と なるのがせいぜいでしょう。

夕刻 茂原駅に降り立つと ご多分にもれず ムクドリの群れ。鳴き声。
「ホホ ここもやっぱりね。」と 懐かしいような気持ちで接しています。

野鳥といえば ウグイスの鳴き声はホ〜ホケキョですぐ分かります。
私は ホトトギスの鳴き声をつかまえられません。

庵主に「トウキョウトッキョキョカキョク♪」って鳴いているよ。といわれ その時は分かった気分になりますが、耳がすばやく反応しません。

カッコウの声を聞きたいなと思いますが、耳が悪いのか いないのか まだ 聞き取れていません。

風鈴

「マンション住いじゃ風鈴の音も 人それぞれありますから」
「どんぐり庵ならこんな風流も いいんじゃないかと思いますが。。」

庵主の従姉妹から ご亭主の遺品である火箸が送られてきました。
触れ合わせると 涼しげな音色を奏でてくれました。
軒下にうまい具合に吊り下げて 風鈴にして使って欲しい と お便りが付いていました

はじめは火箸という道具として作られたものでしょうけれど 大変大切にされていたらしく
鉄特有の美しい輝きをもったものです。

私はもとより 庵主は
「風鈴の音がどうこうってことは ここ どんぐり庵で心配には及ばないが、大切にされてきたものを風雨にさらせないね。」

一時しまいこまれた火箸は、玄関に使ったケヤキの蔵戸の 寸法調整のために切り落とされた縦桟を重ね合わせられ 壁にかざられました。
たいして手も加えていないのに リンとした存在感を示しています。

夕べ どこかのおうちから 風鈴の音が聞こえてきました。

ダイレクトメールとチラシ

ビジネス用の靴はここで・・
と 庵主は 銀座スコッチグレインを利用していました。

7月になると ほぼ1ヶ月の間 限定規格品販売会と名うって 要するに バーゲンの時期を迎えます。
今年もその案内が届いています。
もう 
のぞく事も 行くこともないでしょう。

こうして バーゲンの案内だけは何年かつづき いずれ いつか その案内が来なかくなり、来なかったことにも気付かず とんでもないときに思い出し あんな頃もあったな と思うことでしょう。

新聞の折り込み広告に その地域を感じさせられます。
睦沢の新聞に折り込まれる いわゆるチラシを見るのは せいぜい 日曜日の朝のものですが、先日 なになに?? と思ったのが
和式トイレを洋式に改造するというものです。

汲み取り式のトイレに洗浄用タンクを置く物とか ただ 腰掛けて用を足せるものとかが載っていました。
ユーザーの感想など書かれていて 「長年ひざが痛くて辛かったのですが こうして○○さんに 改造していただいたおかげで・・・」とかなんとか。

チラシ広告を入れて反響がありそうだ 広告費がペイできる こういう計算があるのでしょう。
チョット以外な チラシでした。

上総一ノ宮が一つの壁

3ヶ月余 いわゆるUG地区と呼ばれる 浦安・行徳地区から電車利用でどんぐり庵に出向く事20数回。

時刻表や 乗り換え案内 などを参考にしながら 行き返りの電車はほぼ決まってきました。

何故 私たちは 長生郡睦沢町に 一つの住いを求めたかについては 成り行きという表現がぴったりなのか 必然だったというのか 定かではありません。

結果で考えると 2世帯各々がおかれている位置関係はこれが限界に近いと思えます。
JR外房線の構成は 上総一ノ宮で一つの壁があります。
もちろん 千葉駅というドデカイ壁もありまして 千葉ならどんなに合理的かと思いますが、もしそうであったら 2世帯を構える事もなかったでしょう。私にとって 充分な通勤圏でしたから。

上総一ノ宮行きの快速が 朝夕 1時間に一本程度走り うまくいけばそれも利用できるのは 睦沢だからです。
大原や御宿であれば 随分不便な立場におかれたことは明白です。

こういうことって 計算の上 うまくいくのではなく なんか知らないけれど結果を見てみるとそうなっていた。
そういうモンなんですね。

田舎暮らし、週末田舎暮らしを 外房線で検討される方がいらしたら、JR上総一ノ宮に壁がありますと 申し上げます。

あと10%

あと10%大きければ 板厚が厚ければ と思うことに出くわします。

都心の駐車場が 駐車スペースギリギリで 止め方によっては 運転席のドアーを慎重に開けなければならない。
これ仕方ありません。

田舎の駐車場は さてどうでしょう。
そんなに余裕があるものではありません。

睦沢マーケットプレィスは駐車場が満杯になることなどありません。
だから 1スペースをもっとゆとりを持って・・というのが私の主張なんですが、そういうことを言うと 

「端っこにはいくらでも空いたところがあるのだから、両サイド車の入っていないスペースにユルリといれればいいじゃん」
こういわれます。
ところがどっこい 本能的に マーケットの出入り口に近いところに入れようとしてしまいます。

もう少し ゆったり作ればよかったのに。。 田舎なのに。。
と思いつつ 遠くには止めないのでした。

2Lのペットボトル容器。
このごろすっかり 薄くなりました。
つぶして棄てるときは 簡単でいいのですが 少し強く握ると「ベコッ」っとなったりして、「これで いくらの削減が出来るのだろう。しょうがないな・・」と思います。
あと10%厚ければいいのにネ〜。

昔モンのプラスチック製品が出てくると その厚みにびっくりします。
「昔のものは しっかりしていたね」などと会話になりますが、元々は技術的な問題で 薄く作る型が充実していなかったに違いないと思っています。

肥料不足

「キュウリもナスもトマトも 肥料不足ですね。」
とご近所からアドバイスを受けたので 油粕をばらまいて 黄色くなった葉っぱはみんな切り取ってしまいました。

黄色い葉っぱがなくなると なんとなく野菜が元気を取り戻したような錯覚に陥ります。
本を読んでみると 油粕のような緩行性の肥料は 元肥として使い あと 今頃は追肥して肥料を施すとだけ書いてあります。
何を撒けばいいのかよく分からないので とりあえず 化成肥料もばらまいておきました。

家庭菜園は肥料のやりすぎ と いうのが頭の片隅にあって それが災いしています。
どんぐり庵の荒地では 砂漠に肥料を投入するがごとくの感覚で取り組まないと 野菜に「腹減った〜!」といわれているようです。

それでも 何本かのキュウリを・ナス・ピーマンを収穫し 田舎暮らしの雰囲気だけは満喫しています。

ヨシ・葦・アリノミ・梨

散歩の途中 庵主は足を止めて
「ここは ヨシ原 だったんだな」
といいます

「私は アシ原って言う事と?」
と聞き返しました。

庵主は 私の顔を見ながら
「こいつは 下町の江戸言葉を分からんからな。オレは品川宿の生まれよ」
と ばかりに説明が始まりました。

アシは”悪し”につながるので 江戸っ子は 嫌がって ヨシと”良し”に置き換えたのよ。
梨のことは”無し”につながるからよくないというので ”アリ(有り)の実というじゃない”と 説明してくれました。

そういえば そういうわけの分からん事言っていた オジキ様がいたっけと 何事もストレートに事を運ぶ(これは子どもの頃から 変わらないのです。)わたしは そんなことを小耳に挟んだ記憶が甦りました。
ややこしい オジさんだと思ったものです。

日本語以外はすべて外国語といえそうな私は 会話の中でも 言葉をイメージするのに漢字が不可欠です。

ナシノミと耳に入ってくれば 即座に 梨の実になり ”梨”が”無し”に置き換えられるなんてことはありません。
江戸っ子は 音で物をイメージしていたのか 駄洒落が代表するように絶えず一つの音に対して 置き換え訓練を重ねていたのか。
ま〜後者のように思えますが。

年をとってみると この置き換え訓練も 頭の体操にはいいかもしれない。
庵主は駄洒落の宝箱ですが 姪子からは 冷ややかな目で見られています。

お役御免の一歩手前

どんぐり庵で持て余した耕運機は 庵主のご報告のとおり 大変なお買い得品となって よそ様の畑で新しい耕運機人生を送ることになりました。

ガレージがすっきりしました。

この耕運機には元々は 田んぼをすきこむ部品がついていましたが 使うことはないだろうという判断で販売店においてきました。
それが生きていれば 小さな田んぼで活躍できるはずだと思っています。

なにはともあれ 働くべき任務を背負った道具を 飾っておかないで済むようになった事に感謝です。

さてさて お役御免の一歩手前
それは 業務用掃除機です。
あくまでも一歩手前で 全く活用の価値なし と言うところまでは いっていません。

家を造っている最中 作業現場に掃除機がなく ほうきとちりとりでは限界に達したとき、
「この家なら 業務用掃除機も将来使う可能性があるし 無駄にはならない買い物だろう」
と考え 購入しました。

日曜日毎 作業現場の掃除・掃除に追われていました。
業務用掃除機は 大活躍でした。

今 サイクロン式の家庭用と両方おいてみると 家庭用は小回りが効き、業務用との違いを感じさせられます。
1階 と 二階 に各々掃除機を置いたほうが便利に違いないのですが 掃除機の使い易さが優先して サイクロン式の小回りが利く方を 二階に 一階にと 持ち歩いています。

長い年月をかけて いろいろ改良されてきた家電品は やっぱりそれなりなんだと 感心することしきりです。

土間の掃除となると 日立の業務用クンが出番ですから 手放す事はありません。
置き場所に不自由していないので こう言っていますが 置き場所がなかったら 誰かに差し上げていたかもしれません。



ツーシーン

寄せ植えの鉢に 何かの株にくっついてきた おまけのネジバナは 今年とうとう芽を出さずに消えてしまった。
やっぱり去年の夏 花が終わってから掘り起こして 別の鉢に入れればよかったと後悔するものの 後の祭り。。。。

そんな私に ご褒美のねじ花。

ご近所をぶらぶらしていると 雑草が刈り取られた空き地に ピンクのネジバナが一株花を咲かせていました。
花を守るために一本の小枝を立てているわけでもなく 草刈をした方が 「これは可愛い花が咲く」と知っていて 残したものです。

県道に沿った空き地に 歩道際に咲いていました。



花の咲くもの 咲かないもの 咲いても刈り取らなければならないもの など 観察しながら草が刈られます。
草刈がし難い 山の斜面の擁壁には 様々な花が咲き お花畑になっているところがあったりしています。
一気に草花を植えたのではなく 何年か 花が咲き 種がこぼれ 芽を出しを繰返すうちに擁壁はとうとうお花畑になったという感じです。

時を辛抱し 辛抱とも思わず待っているうちに 自然はいい具合に整えてくれ すばらしいご褒美です。
楽しませてもらっています。

自然に任せて 時を待つわけですが 自然の邪魔をしてはいけないな と感じさせられる ツーシーン でした。

塩分13%

梅干しの漬け込みをして 10日が経ちました。
今年は 塩分13%で漬け込みをしました。

5月のはじめから 和歌山県のミナベにある梅農園に完熟梅を予約していました。
ストーブが必要なほど寒い日があったりしましたので 梅の出来具合はどんなものかと心配しながら到着を待ち 待望の梅が到着し 漬け込みをして10日が経ちました。

梅漬けの塩分は 18%でやれば失敗ありませんと定石になっています。
2年続けて 「美味しくつかる梅の素」塩分6%というので お試しをしていました。

感想を聞くと 「ウスしょっぱくて美味しい」 と言う意見と 「梅干しは こんなんじゃアカン。しょっぱいものだ。」と予測していた通り 2派に分かれました。

だからといって 間をとって13%にしたわけでもないのですが、塩で漬けるのが本来の姿かなと 今年は5Kg全て塩だけで始めました。

到着した梅は 生産者によるコメントで なるべく早く漬け込みをしてくださいとありました。完熟ですから。
夜8:00過ぎ到着した梅を 夜な夜な 梅と語り合いながら漬け込みをしました。

集めていた情報どおり 完熟梅は殆ど重石をせずとも 白梅酢が上がりました。
一晩だけ 2.5Kgの重石を載せ あとは 750gの塩の袋を蓋代わりに乗せています。

カビの発生を一番心配していますが、今のところ大丈夫です。
来週あたりは 睦沢の道の駅で 紫蘇を買って 漬け込む予定にしています。  

ママチャリ

チャリンコ・ママチャリ
どこから生まれたネーミングか知りませんが かっこよさからは ほど遠いという雰囲気をかもし出します。

もう覚えている人も少なくなったことでしょうが かつて 私が学生時代の頃 またはその前後
”タバコは動くアクセサリー”
というキャッチがありました。

映画の中では 細い紙巻タバコを吸う女優さんを 影を持った美しさで表現したりしていたあの頃です。

タバコがかっこいいだの ましてや動くアクセサリーなどと 今時のたまったら あちこちから非難ゴウゴウでしょう。
時は変わるものです。 

話は少しそれましたが
この チャリンコ ママチャリ は かっこよくない という風に強制的に植えつけられてしまいましたが、都会では 一家に一台 いや 一人に一台が理想です。

睦沢で観察していると ちょっとした買い物 または そこの郵便局まで といったことでも殆どが乗用車です。みなさん 2台3台とお持ちなので いわゆるママチャリ代わりなんでしょう。
そして なんだかんだいっても 用事を済ませるぐらいの間 駐車スペースには困らないし 駐禁の訴えをされるわけでもないので おのずとそういう選択になるのでしょう。

どんぐり庵の前を通る県道一宮線には 幅広の歩道がこさえられ ノビノビと自転車で走ることが出来ます。

少々値は張りますが アルミフレームのチャリを買って便利に使おうと思いますが、近所に自転車やさんがありません。
 
2年に一回はタイヤ交換も必要になるだろうに 「どうしているんだろう・・メンテは??」
と どなたかに 尋ねてみたい気分です。

生活防衛

燃料費が上がり ハイオク満タン 1万円!!この日もそう遠くないヨカンです。

とにもかくにも 庵主が退職の日には どんぐり庵は殆どが完成し 残る出費は玄関前のアプローチとか 届出費用とかそんなものでした。

多くが 退職後少し休んで 少しだらりと暮らして さてさてホップ・ステップ・ジャンプと新しい生活に向けて計画し実行されるわけです。
少なくとも 私ならそうなったはずです。

天の恵みか 庵主の努力の結果か 今の現状に 少なくとも私はお相伴に預かるわけです。

ガソリン代が上がると こらえ切れなくなった企業から または「トヨタさん早いところ値上げを決定してくれないと 私らドウにもならんじゃないですか」の声におされたか 押されたのではないのか定かではありませんが 鉄鉱石の購入価格が上がった事を理由に普通乗用車の値上げが発表されるのも 間近いようです。

ついこの間まで「原料の値上げが倍になると どういうわけか 製品まで倍になる。」とオーバーに嘆く声もありましたが そこまで行かないとしても 値上げラッシュが続いては 人件費の確保のため 材料だけの値上げ分とは行かないのが現実です。

じりじりと値上がっていた 備品類も 何とか価格上昇を回避してきました。

家が完成していて良かった。
毎週2往復睦沢通いから開放されているし、太陽の恩恵を受けた野菜で夏の暮らしの一部はまかなえそうだし 病気や怪我をしないよう 日々の感謝を忘れず暮らすことですゎ。

パプリカ

5月に植えたピーマンは 花を咲かせ そのうちピーマンが実りそうです。

枝豆は20cm程になり 美しく整列しています。
庵主は 枝豆に着く毛虫を つまんで 殺虫剤漬けにし 葬っています。

ご同輩から2本のパプリカを頂戴し 植えた といいます。
なるほど 枝豆と並んで 10cmほどの苗が2本植えられていました。

「ふふ 黄色か 赤か 」と思いながら 
マイブームのイタリアンの彩に最高じゃん と これぞ採らぬタヌキの皮算用です。

ここのところ 日曜日のたびに雨ばかりで 睦沢の青空とご無沙汰です。
そのせいか 青空が懐かしく 
友達のニンニク と パプリカ 自家製バジルでスパゲティをつくって 真っ青な青空の下
お庭でランチ などと 夢見ています。

たまには 長いスカートでもはいてみようか。

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tiara
里山の暮らしはいかに・・。
vivakenのカーチャンとか オッカーとか 呼ばれる日が、来るのだろうか。

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