多芸多趣味 酒好きで・・

長澤盧雪の 【芦雪の虎】デジタル化
という記事が目に入りました。
添えられた写真を見て うぅう! っと 引きつかれました。

EPSON〜美の巨人たち〜

無量寺・串本応挙芦雪館

是非 この目で見てみたいものだと思います。



豆の食べ較べ

先週 上総の豆”小糸在来”って どんなのなんでしょ〜

と 思っていましたら 船橋東武デパートで見つけました。
これは早速 どんぐり庵の ”丹波黒豆”と 味わい比較をしなければなるまい。
と買い求めました。

豆は 茶豆系の香りのあるものでした。
晩生という事で 大きな豆を想像していましたが 普通の大きさでした。
大豆加工品にとって 豆の香りがどう影響するか 分かりませんが 味噌も納豆も黄粉も すこし違う味のものが出来る事と思えました。

私には 枝豆の季節感があって 7月の中ごろから路地物として出回る 
「今年も枝豆の季節到来か・・」と感じさせてくれる豆 

お盆を過ぎて秋田・新潟からやってくる茶豆 
「やっぱり茶豆は 香りがあって美味しいね。」 

一ヶ月ほど枝豆を食べる事もなく過ごし 10月の中旬頃 よく太った丹波黒豆をいただく。

こんな サイクルです。
夏の初めから 10月まで 段々と味・量共に充実してくる事が見て取れます。

こんな訳で 小糸在来がもう4〜50日早い収穫のものであれば 茶豆との競争でおもしろい展開になりますが この時期になると どんぐり庵の土俵では 軍配を”丹波黒豆”に上げざるを得ません。

千葉の地豆

千葉県の地豆に「上総白毛」があり それに品種改良が施され「小糸在来」という大豆になり 枝豆や加工用として 近年生産高を延ばしているという話題を見つけました。

小糸在来詳しくはこちら

丹波黒豆同様 晩生といわれる10月に もしくは11月に収穫されるものでした。

”種は種はどうやって入手するんだろう”
調べてみましたが 今のところ手探り状態です。

思いはだけはふくらみ
”丹波黒豆に引けをとらない豆があったのか!!”
”こりゃ〜すごいぞ”

ただし今のところ情報だけで 実際に食べていないのが悲しいところです。

JAきみつ 味楽囲 おびつ店
行ってみなくちゃな〜

おしどり夫婦の別れ

南田洋子さんが亡くなられ ご冥福をお祈りいたします。
数年間 認知症を患われ お別れのときがやってきたと聞いています。

これからの 長門さんが 一日も早く心の中に生きている洋子さんとの暮らしを始められることをお祈りいたします。

vivakenは常日頃 男はロマン 女は現実 と言っております。
長門さんも幾多の受け止めなければならない”現実”に 戸惑われたことと思います。
そして今 最も過酷な”現実”に立ち向かわれているのかもしれません。

出来ることなら かなう事なら 妻としては 夫を見送りたいものだと思います。

渋柿とカラス

ケヤキやは未だハラハラと葉っぱを落としていますが 老木の柿はすっかり葉を落とし 天近くの実がいくつか残るだけとなりました。

昨年渋柿で柿簾をつくり 秋の景色を楽しみましたが 今年は なんとなく中止。
どうせやるなら美味しい干し柿になるような 時期を選び 管理し 結果も楽しまないと ただのアクセサリーというのでは 田舎の信条に合わないということに思えます。

そのうち 私が干し柿のおやつを作りましょう。

去年の渋柿が熟しきった頃 多分 カラスのガ〜ガ〜子の仕業と思います。
山に丸太を一本φ5〜60cmのものですが 工具や道具を使ったときにチョイト載せておくテーブルとして用意したものがあります。
その上に 渋柿がのせてありました。

vivakenは 私が鳥を呼ぶためにのせたものだと思い
”こんなとこに置いたって 鳥が食べるはずがないのに・・”
私は
”落ちていた柿を アクセサリーにしたのかしら”
と会話もなく過ぎました。

数日後  柿のへたと種がテーブルの上に お行儀よく まるで きちんと並べたようにおいてありました。
私達はお互いの思っていたことを話しながら
結論は

カラスのガーガー子が テーブルの上で暫く渋を抜いて それを食べたんだ!!
なんとも 賢い。

キジバトは 山椒の渋が平気で カラスは柿の渋は苦手なのだ。

連作障害

ソラマメ エダマメ そして夏野菜。
どんぐり庵の菜園に並ぶ野菜の種類は知れています。
それが故に 気になる 時に耳にはさむ 連作障害。

限られた菜園で決まったものを作ろうとすると 連作障害を頭に置かなければならないようです。
今年 黒豆を植えたところは 昨年の秋から春までソラマメを育て ”もみがら物語”をたっぷり入れて 2ヶ月休ませてエダマメを植えました。
障害 は全くありませんでした。

調べてみると連作障害を回避するには 1年も2年も同じものを同じところに作付けしてはいけない といわれています。

しかし 限られた菜園の中では ソウはいきません。

どんぐり庵にとって都合のよい情報がないか。ウロウロ・・・・

なくはありませんでした。
有機物をすきこみ 消毒しマルチをして云々 という事です。
都合のよい情報には ついつい飛びつきたくなってしまいます。

先日 空っぽになった”もみがら物語”入れ を 前に
「もう一回買っても 使い切らないのじゃないの。割高でも 小口で買おうか」
と vivakenと話をしたばかりなのですが
土壌改良の為に 常時惜しげなく使うには 軽トラ一杯 もう一回購入を検討するのが正解かなと思い始めています。

大豆に肥料

我が家と親戚のお米を供給してもらっている農家さんの 奥さんと道端で立ち話をしました。
私たちは お米農家の”経理部長兼営業部長”とお呼びしています。

「ご近所に 何軒も米作りをしているところがありますのに ウチの米を食べていただき、ありがとうございます。」
===深く 礼===

私はあわてて 
「家族一同 大変美味しくいただいております。毎年の丹精を拝見しながらいただくと 昔から言われている八十八のご苦労に思いがいきます。」
===深く 礼===

とそんな挨拶で始まりました。
庭先の 丹波黒豆に目をやり
「よく 出来ましたね。」と合格点を頂きました。

ここから 私は得意になり
「豆には 肥料はいらないと聞いていたので 去年までは 植えっぱなしでしたが 今年は 芽が出た後と それから 一ヶ月ぐらいあとに化成肥料を施しました。それが効を奏したのと 主人が夏に水遣りをして目を掛けてくれました。」

そこからは 少々脱線して 
「お宅のご主人が外仕事に精を出しているのを いつも 感心しながら見ている」
と いったような話になりました。

今日の結論は
その農家さんも
「大豆には肥料はいらないと 聞いていますが、やはり適当にやったほうが 充実したものが収穫できます。」

そうなんです。ヤッパリ 肥料をうまく使うことは とっても大事なんです。

ツワブキ

ツワブキが黄色の花をつけています。
そろそろ綿帽子をつけ始めた フジバカマと”野”の風情です。

思えば vivakenの父 舅は 庭に置く植物は まさに”和ティスト”でした。
私たちが 一番最初に買った中古住宅の庭に ツワブキとナンやらカンやら 母と手に持ってきて植栽してくれました。

悪い事をしたと思っていますが どうも ツワブキというのは 暗くって(当時の私にとっては 暗くて暗くて暗くて) とうとう抜いてしまったのです。

そして今 vivakenの妹の所に 舅が持って行ったツワブキが やってきています。

私も 年を重ね花の見方も変わってきたし どんぐり庵の広さや 周りの風景が 当時とは違った思いでこの花をみることができるようになりました。

大きな花が咲いています。

梅酢の熟成

梅酢が熟成するなんて考えた事もなく
どちらかというと厄介者で 色はきれいだけれど ともかくしょっぱいからと敬遠し
その年取れた梅酢は 一応一年間は保存するものの 翌年梅干しを作ると 古いものは棄てていました。

たまたま 小さなビンにいれた梅酢が冷蔵庫に放置されていました。
もう5年は経つと思われるものです。

これも 棄てなければ・・
と 蓋をあけ 少し味見をしていました。

なんと!
酸味はまろやかになり 後口には特有の芳醇さを感じさせる甘みが残りました。

こんな風になるのだ。へ〜。。
と ただただ驚き。

考えてみれば 梅干しが年月と共に熟成し旨味が増すのですから
梅酢もそうなってしかるべきです。
不思議なことではないわけでした。

一口のご飯に ふりかけて、試食。
グッド!

これは使えそうだ とばかりに また冷蔵庫にしまいこみました。

観戦

vivakenに続きまして ツールド千葉 観戦のご報告。

睦沢 大上周辺はツールド千葉開催に当たり 何枚かの縦看板を見ました。
それを見て 今年もそんな時期が来た と思いました。

お昼を回る頃 先頭集団が行き過ぎます。
”ヤッパリ 手足が長い人には かなわないね”
と スタイリッシュな集団を見送ります。

さてさて こんな時のご近所皆さんの反応は。
まず我が家。
はっちゃんを膝に抱いたvivakenは デジカメの調子が悪いとか言いながら 遠くからシャッターチャンスを狙います。
2階のベランダから眺めていた私は 折角のライブなのに 息遣いが感じられないことがつまらなく 道路脇へ出て行き しばし観戦。
アイコンタクトが取れた選手に 手を上げたりしていました。

今年は 大多喜から一ノ宮へ向うコースなので 急な坂道を下りきりカーブを切った辺りが どんぐり庵の場所なので ロウギアの走行らしく のびやかなロードレーサーの走りを見ることが出来ません。

お隣は はじめのうち 集団ごとに 「がんばってくださ〜い♪」と声を掛けていましたが そのうち 聞こえなくなりました。
最終組が 通り過ぎるまで 2時間ほどでした。

歩道を 向かい合うように自転車で通り過ぎた女性は 
「がんばってね〜」
と声かけをしていました。

いずれにしても 私も含めて女性達。
男性人は どこかで頬杖でも付いているのか 見当たりません。

でも vivakenは見ていました。
「最終組近く 昔取った杵柄って感じで かっこよく走っていった2人がいたぞ!!」
あ〜 私は見落とした。

 

ほうき草

ほうき草が紅葉しています。

睦沢散歩で vivakenがほうき草をさして
「子どもの頃 あれを ほうき草といったよ」
と教えてくれました。

ほうき草が紅葉した姿は
10年も前になりましょうか 館山の民家園みたいなところに行ったときに、その姿を見た記憶があります。

その時の印象は コニファーの親類のような ”和”というより”洋”を感じました。

vivakenが子どものときからあった植物と聞いて 早速調べてみると
「ほんとだ〜 箒になるんだ。」

サカタのタネ のサイトによると

実をつける前に刈り取って、約3週間よく乾かします。葉や細枝を取り除いて竹にくくりつけ、穂先を切りそろえてできあがりです。

座敷箒は 竹箒と違って 「竹にくくりつける」そして その後が難しいと思います。
平らになるよう工夫しないといけないので。
シュロで箒を作る話を聞いたときも 同じことを思いました。

それにしてもま〜 いろんなものが 身近なもので作り出されていたことに感心します。

散歩しながら 竹から作るウチワの話をしていたところでした。
 

 

公孫樹

植木鉢で育てたイチョウを 山に地植えにして2年ばかりになりますが 主幹は若干太くなりました。しかし 背丈は伸びません。1.2mぐらいです。

ただ 葉っぱは肉が厚くなり しっかりしたイチョウの葉っぱになってきました。

イチョウの実を拾ってきて さてこれを銀杏として食すには・・・
という事になり 
vivakenが子どもの頃の記憶をたどり 
「確か 土の中に埋めておいて 周りが腐って種になったら 取り出して 洗って・・・」
というので
土に埋め

放置。

我が家では よくある話で 勢い込んでやったはいいけれど 途中でエネルギーが切れて
ほったらかし。

このイチョウは その結果 芽を出したものです。
それじゃ〜 というので植木鉢で育てていたものです。

コナラにもいえますが どんぐり庵でいえば 椿もそう 植木鉢で数年経ったものは わずかしか身長が伸びません。
ただ ツツジは表面に根を広げる性質の為か 植木鉢から地植えにしたものも 身長が延びています。

どんぐり庵では あまり大きくならないほうがいい場所に鉢植えのものを地植えにしたので
良い具合だ
と思っています。

モモクリ三年 カキ八年

モモクリ三年 カキ八年
この後に 柚子の大馬鹿十八年

こう覚えています。

単に なんでも辛抱が大切という事なのか 本当に それだけの年月が経たないと実を結ばないのか 分かりませんが。。

ともかく 子どものときにこの言葉を聞いたとき 三年という年月が果てしもなく長いものに感じられたことをよく覚えています。

柿八年 柚子十八年 など もちろん論外でした。

季節感

隣地の梅林は 木々がすっかり葉を落とし まるで 剪定でもしたようにすっきりしました。
どんぐり庵の柿の木は シルバーウィーク頃から落葉し その落ち葉を集め 堆肥にする手当てをしました。

金木犀は終わったし 山茶花は咲いているし 中秋の名月も無事終わったし。
秋なんです。

ちょっと季節感にギャップがあるのです。

ピーマンは夏野菜のはずなのに 5月に苗を植えた2本のピーマンは 今 真夏の時期よりたくさんの収穫があるのです。
真夏の間は 二つ三つといわば丁度いい具合の実成りの具合でした。
ここに来て一気に10個も収穫ができてしまう日がありました。
肉厚の 炒めて美味しいピーマンです。

何せ 苗作りは生産者任せですから 何ピーマンか分かりません。
カラーピーマンの みどりピーマンみたいな感じです。

ナスは ご近所は皆さんは 片付けはじめているのに どういうわけかこれもまだ収穫しています。
イイカゲンな切り戻しはしましたが それも 9月の後半で いわゆる 秋茄子の収穫の為に思い切った切り戻しをしたというものでもありません。

この2年間 「野菜は難しいね」と 秋口にはさっさと畑を片付けてきたので 体育の日目前で ナスやピーマンを収穫できる事で 季節の時計がふと狂います。

山茶花

槙の木の根元から芽吹いたと思われる山茶花が 1.5mほどになっていました。
そもそも これが山茶花であることが判明するまで 少しの時間がかかっていました。

なぜなら 花を咲かせなかったからです。
2年前 2〜3輪の花を咲かせ そこでやっと 「これは山茶花なのだ」と理解した次第です。

椿には少々の関心がありましたが 山茶花はさほどでもなく 
「椿と似ているけれど花びらが ホラ ちらほらと落ちるから 山茶花」
程度で 椿あっての山茶花でした。

されど 今年は春先から大いに関心を持って見ていました。
「何故 花を咲かせないのか・・・」

椿を管理するための本を参考に ちょっと力を入れて面倒を見て来ました。

まず 春先にモチ病が発生しました。
見つけ次第切り取り 見つけ次第切り取りを繰り返し とうとう私が勝ちました。

今年切り倒されてしまいましたが 大ケヤキが近くにあり たくさんの落ち葉が栄養分となっていたとは思いますが アテにならないと判断し 燐酸分の多い肥料を月一回は与えました。

答えてくれました。
咲いています。
桜色の山茶花で 睦沢を散歩していると同じ手のものを見ます。
何でも 目を掛けないとよくはならないね。と 納得している私です。

”今年あまり咲かせると 木が弱って 来年咲かないよ。”
なんていう情報が 入ってきたりしています。

十五夜お月さんゲット

未練を棄てきれずに待った 夜8時。

土曜日の睦沢は 「午後3時ごろまでザンザン雨が降りしきっていた。」
5時過ぎに睦沢に到着した私は vivakenからこう聞いて
「十五夜さんは 来年におあずけジャ」
と 決め付けていました。

東京の西の端っこに住む妹から 
「こちら 雲に覆われ 空は暗い。そちらは?」
と メールが入り 
「みえっこないよ」
と ブラインドを上げ 窓を開け 空を見ると
な・な・なんと!!

雲が切れ 合間からというより コウコウと輝くお月様と対面しました。

この月を見ながら 収穫の感謝祭をしたのか
と 先人達の思いを想像したりしながら 観月。

翌 日曜日 ラジオから
「十五夜と満月は一致しません。(わたしも 十五夜=満月と思っていました)満月は 今日です。」
と アナウスがあり
「そんなもんかい・・・・」と思いつつ
オオカミが吼えそうな 満月を 昨夜眺めました。

2009年中秋の名月

2009年10月3日
中秋の名月 お月見です。

天気予報によるとどうやら どんぐり庵での観月はほぼ絶望的となりました。
半月前から マイイベントとして楽しみにしていましたが 厚い雲と 雨になるという予報です。

楽しみにしていると ドンデン返しに遭遇するなんぞ 今始まったことではありません。
いつだったかは 夏休みに信州の山を歩こうと思い計画し 見事台風にぶつかり それでも諦めきれず 麓の町まで行き ホテルで空を眺めて帰ってきた そんなこともありました。

その時 台風情報をキャッチした vivakenは 3〜4日前の天気予報で結論をだし 
「山歩きなんか出来るわけないから 山なんだよオマエ・・・・・」
と さっさと諦め顔で 
いつまでもザックにしがみついている私を笑い
最後は「・・ったくもう〜 行かなきゃ気がすまないのだろう。・・ったくもう〜」
と 車に山道具を積み込むのでした。

というわけで 諦めの悪い私は 雲の切れ目から満月を見ることが出来るかもしれない。
と粘っています。 

記録

小学校の運動会は 先週 先々週の土曜日に開催されていました。

ある小学校は 家族が運動会の記録を残すための撮影場所があらかじめ決められていて
それまでは ビデオを撮ることを優先した場所取りだったのが 木陰があるような 今までだたら席取の優先順位の後方にあった条件が 優先した と聞きました。

記念写真・ビデオ
写真になっていると 本棚のアルバムをひょいと引っ張り出して 見ることが出来ますが
DVDに焼かれていたり 映像を再生するとなると 本棚から引っ張り出して程の気楽さが 私にはありません。

この記録というもの その後の整理をきちんっとやらないと・・・・それが一番大事で おっくうなものです。
媒体はどうあれ。

私たちが25年前に買った中古住宅では 先住の方がご自分たち結婚式のビデオを 天袋に忘れていかれました。
終わって年月が経つと そんなものだと思います。

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tiara
里山の暮らしはいかに・・。
vivakenのカーチャンとか オッカーとか 呼ばれる日が、来るのだろうか。

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