ウン10年後の樹木を思う

どんぐり庵に今年植えつけた樹木は、殆どが 樹齢が10年に満たないものです。

そこにやって来たのは 庵主の妹夫婦が自宅の庭から掘り上げてきてくれた、サツキとツゲ。
舅夫婦が 盆栽として楽しんでいたものを 20年にもなりましょうか 妹の家の庭に地植えにしたものでした。

私は レンギョウ→サクラ→ツツジ→サツキ
花リレーが出来そうだと 大変嬉しく思いました。

生憎の雨空で 植え付けは延期しましたが 庵主も私流の植え付けを飲み込んでくれてきたので、数週間前には 「任せられない!!!」と思っていた気持ちにも変化があらわれ、「ここと、あそこ に どうでしょうか」といえるようになりました。

樹木を見つめながら あとどれだけの「生」を与えられているのか分かりませんが、なんかの時には 「千の風にのって」す〜いす〜い と 様子を見に来ればいいんだ そんな気持ちになったりしています。
  

大多喜ダム中止

千葉県は 大多喜ダム事業中止 の結論を出して 地元と協議に入るという。

平たく考えると ダムなんて無いほうがいいに決まっていて よかったじゃないの と思っている私ですが 地元はそうは問屋が卸さない様子です。

ダム事業がスタートしたのが 1991年といいます。
それまでどれだけの資金投下 と人力の提供があったかは全てを数値で表すことは不可能でしょうけれど 長い時間は 当初の目算が正しくなかった事を物語りました。

地元は 中止に対してすんなりと受け入れる様子ではありませんが、県は中止するなら あとを放りぱなしにするのではなく やりかけた事の後始末をきちんと片付けなければなりません。
きちんと始末を付けてこそ 中止の意味も出てくるものと思います。

もし削ったままになっている斜面があるなら その管理は 数年にわたり目を配らなければならないでしょうし 途中までコンクリートを打ったけど というところがあるなら 仕上げるなり剥がすなりしなければならないでしょう。

中止による経済効果が挙げられていますが、その対策費をきちんと計上し 安全と大多喜の景観を守ってもらいたいと思います。

いすみ鉄道再建策

房総半島の移動は 殆どが自家用車利用です。
そのうち マウンテンバイクを引っ張り出して 穏やかな起伏と四季折々の景色を楽しもうと
バイクのメンテナンスは終わりましたが 当面 ツーリングは実現しそうにありません。

この4月から 2年で黒字を目指すいすみ鉄道に新社長が就任し 固定収入の確保 バス事業との連携が語られていました。

この鉄道に 一度は乗ったような気がしますが  房総半島の交通機関はJR外房線以外利用するチャンスはありません。
しかし ポスター や パンフレットを目にすると 何とかこの鉄道を残して欲しいものだと思ってしまいます。

房総半島は あまりに大きくて 見合うだけの収益を上げるには 画期的なアイデアと先行投資が出来る体力が無いとかなわない事だとおもいつつも、かといって 騒々しい観光半島になることも望んでいないという わがままな 新参者です。

オシム前監督のメッセージ

順天堂浦安病院を退院され、初台リハビリテーション病院で入院治療を受けられ 退院し 浦安のご自宅に戻られた事が報道されました。

医療スタッフへの感謝の言葉と供に メッセージが送られています。

・・・以下 引用・・
スタジアムに足を運び、選手達に大いにプレッシャーをかけてください。もっと走れ、もっとプレースピードを速くしろと。そして 選手たちがよいプレーをしたときには大きな拍手を与えてくださるように。
・・引用 終わり・・


折りしも、庭で植木の植え付けに精を出していたとき、西の隣人は、私の側に来て
「折角一生懸命やっているのに 誰もこないって言うのも寂しいよね。」と ひょこっとのぞきに来てくれました。
「ま〜 忙しいからね(私の事)4:00には帰る支度でしょ。すぐ 帰るからね」といいながら 大きな液晶テレビを昨日取り付けて 「もう ちっちゃいのは 見られない。」と お父さん(ご主人)が喜んでいる事を 嬉しそうでした。

この「誰もこないって言うのも・・・」という言葉が なるほどそういう観点かと思わされたのです。

そして オシムさんがいわれる 「スタジアムに足を運び・・・」というフレーズと重なり、庵主も いつも誰かが見ているという すばらしプレッシャーを常々頂いているに違いないと
 考え合わせました。

彼が スポーツ選手だった頃なんかも思い出しました。 

元気の素

土・日曜日の晴れは本当にありがたかった。

外が明るくなれば フル回転しようとサッササッサと準備を始め 庭のチェックや植え付けの確認をしていました。

お向かいが道路を渡って 
「今が一番いいときですね。」
と笑顔で 話しかけてくれました。

よくよく聞いていると 
庵主が毎日毎日表に出ては あれやって これやって と楽しそうにしている姿を見ていると 自分たち夫婦も随分年をとった気がするけれど 何かやらずには入られない

その 【何かやらずにはいられない】 という気の原動力となるのが 庵主がコツコツと積み重ねている日常だというお話でした。

いつもいつも 人は自分がもう少し若ければと思うものですが 先輩からこうして
「あれも これも やろう」という気の原動力となっている と いってもらえると 計算では絶対に計り知る事の出来ない ご近所の気持ちが伝わってきます。

やさしい雨

お彼岸の中日に計画していた木々の植え付けは 雨のため 22・23日に変更しました。

先週末 庭のカチンカチンの重粘土の表層をかきとり 園芸店で買ってきた培養土と混ぜておきました。
この作戦は 土作りとしてはほぼ成功したといえるようです。

庵主はスコップを差込み
「お〜軽いな」
といっていました。

お墓参りを済ませ、霊園に店を出していたおじさんから シロヤマブキ・ヤマツツジ・紅モクレン・ハナズオウなどを求めました。
殆どが やっと地に下ろせるといった 小さなものです。

内心こういうのは 山から下ろしてきたもので 
こういう事って本当はね・・・と思いつつ、お金と言う対価で どんぐり庵を賑わすわけです。
せめてもの救いは、「みんなで楽しむわけだから、それで お金儲けをしようというわけじゃなし・・」という落としどころになりましょうか。

土曜日の午後から始まった植え付け作業。
まずは 2m以上あるソメイヨシノ。

庭土をわずかに掘り下げ お尻を安定させ こさえた庭土を盛り土して 植えつけました。
庵主は 裏の竹やぶの竹で とても上手に支えを作りました。

以下セッセ セッセと仕事をしました。
今日の雨は 植え替えた木々達に、安らぎの雨となっていると思います。

安房神社守

自称安房神社守 と言っても 誰もが納得するような 安房神社のすぐ近くに定年後の住いを求めた友人夫妻が どんぐり庵を訪ねてくれました。

一度伺い 安房神社を案内していただいた事があります。
海を眺めてよし 樹木に長い歴史を感じさせられる 大きな神社さんでした。

今年も米が始まるので・・
と 海水を使った米作りを手がけていて
この日も 「今朝精米してきた。」と 自慢のお米を手渡してくれました。

海水を使った米作りには それなりの主張するセオリーがあって その昔お聞きしたのですが、あまり 頭に入っていません。

その後 千葉の長ネギを海水を利用して栽培したところ効ありと評判になり、
それを耳にした私は
「お米も”安房米”とでも名付けて売り出せばいのに。」
と 海水利用だけがこびりつき 思い出したことがありました。 


庵主は 説明を加えながら庵内を案内していました。
お風呂場で 浴室暖房の件
「どんぐり庵は この 浴室暖房を選択しました。温風が出る浴室暖房機は 気化熱を奪うので 寒く感じます。選ぶときは 注意したほうがいいです。」
とレクチャーしました。

そうすると 友人夫婦は
「我が家は 温風の出る浴室暖房機なんです。それでね〜*****」
と 殆ど使っていない実情をお聞きしました。  

ケヤキの芽吹きにヤレヤレ

昨年の後半は ともかく生活にゆとりがなく 失敗もいろいろありました。

その中で あってはならないこと!!
それは、鉢植えの木々を枯らさず維持する事でした。

この頃”守”という言葉を目にします。
代表は 季節がら ”桜守”でしょうか。

「これぐらい管理出来なくて どうするのよ。」と自分にプレッシャーを掛け、「鉢がカラカラだ」と自責の念に駆られ そんな 鉢守に付き合ってくれた木々でしたが、一鉢だめにしました。
サクラ色の花をつけるサツキで 昨年夏 蜂が巣をつくり それを殺虫剤で駆除したのですが、その頃から元気がなくなり おまけに私の管理不足で芽を吹きません。

残念です。

四角い鉢に うまい具合に植えつけられた2鉢のケヤキは 芽を吹き 「大丈夫だよ」と声をかけられました。

「頑張ってくれて ありがとうね。」と頭を下げずにはいられません。 

ヤシオツツジ

ツツジの中で 好きなものを選びなさい
といわれたら 「ヤシオツツジ!!」と答えます。

山で出会うヤシオツツジは 遠くから眺めてよし 間近で鑑賞するによし と 笹原のなかで自然が造る 造形の素晴らしさに感動したものです。

庭の花木に 一本と思いましたが これはやはり山に置く木で 強引に庭にもってくるものではなさそうです。
私に似合っているのは 丈夫に育ってくれる”ミツバツツジ”あたりが 無難かなと思います。

これまで 植えたのは オオムラサキツツジ 名前が分からないけれど父が残したツツジ ボケ ツバキ フジサクラ モミジ
みんな 鉢に入っていたもので まだまだちっぽけなもの。

植える準備の手元にあるもの。
ソメイヨシノ レンギョウ ユキヤナギ キンモクセイ

そして ミツバツツジを追加しようと思います。

裏山には どんぐり庵の由縁のコナラと 実生で育てた(いや 育った)イチョウ。

枯れない事を前提にやっていますが さてさて・・



リュウノヒゲ

リュウノヒゲといえば なんとなく”和テイスト”な感じがします。

”裏庭にでも植えてね”と去年貰ったリュウノヒゲを植えました。

近所に とても丁寧に庭造りをされている方がいて 時々眺めているのですが きれいに植え込まれたリュウノヒゲはなかなかびっしりグランドカバーになりません。
「これって 比較的気難しいのかしら?」
と中々増えない様子を見ています。

本でみると 超簡単で おすすめグランドカバーという感じなのですが、観察しているところでは、なかなかそうも思えません。

ぐずぐずが今の私には 最大の敵ですから ともかく行動するしかありません。

折角の頂き物を 裏庭というわけにもいかないので 夏はお隣の大きなケヤキが日陰を作ってくれる 今は春の日差しがサンサンとあたるところに植えてみました。

リュウノヒゲ

リュウノヒゲ

寒さも彼岸まで

お彼岸が近づくと 
「あ〜過去帳が放りっぱなしだ。」
と思い出します。

ノートは買ったけれど 思ったことをやらない
これと同じで
過去帳は買ったけれど 書き込んでいません。


ご先祖さまを供養する気持ちは 強く持っていますが
宗教 宗派 に縛られているものでは ありません。

庵主の本家は 東京門前中町で少し名の通った寺の檀家で 墓所を持ち 庵主の両親は折々そこを訪ね 参っていました。
そして 古いそば屋やうなぎ屋で昼食をとり 一合程の日本酒を飲み・・

まるで 映画に映し出されるような日常を つましいながら営んでいた 舅・姑の姿を思い出します。

草花と花木

草花 とりわけ1年草は 季節季節に苗を買ってきて チョット管理すれば 大体が心配要らずでその季節を終えることが出来ます。
寄せ植えにしても その時から完成品として楽しむことが出来ます。

花木となると 植木やさんに頼んで植えてもらった”ヤマボウシ”は枯れて一回失敗し、植えてもらったはいいけれど 形が気に入らない梅とか あれやこれや 心に引っかかるものが一杯あるものの、移植の季節を向かえ 時期が時期だけに ほってもおけず 行動を起こし ツバキやツツジの植え付けをしました。

週末には様子を確認に出かけます。

いっぱい蕾がついたツバキは 花を開こういう気配すら見えなかったので、いったいどうすればいいのかと 本屋に寄りますがそれらしい解決策に行き当たりません。

花木の心配をするものの 一週間も様子を確認できずにあれやこれや考える事事態 無理があると思いますが、性格上 
「ほっときゃ〜なんとかなるよ。ソンナモン」
という気持ちになれないので、同じ本を何回も開いてみたりしながら溜息をついています。

物干し場

ご近所の方々は 洗濯物を道路から見えるようなところには 干していません。
あえて 目につかないように配慮していると思っていました。

都心のマンションはベランダに洗濯物を干す事を禁じます。

私は 布団干し 洗濯物干し いずれにしても 少なくとも道路を通る人の目にふれないようにと思い その場所を 探していました。

2〜3ヶ月前まで その場所はおおむね建物の北側であるけれども日照の得られるところと決めていました。

さて 3月にはいってからの庵主の暮らしぶりを見たり聞いたりしていると、まず 布団は直射日光には当てずとも充分なフカフカ感が味わえるようで 適当に 太陽が当たるところに広げてその恩恵を受けているようです。

洗濯物は 正月休みにご近所が遊びに見えたとき 私が家の中に干し物をしていたのをみて
「あ〜ら この辺は洗濯物は外に干していいのよ。みんなそうしてるでしょ。」といわれ、よくよく ご近所皆さんを確認してみると それなりに 庭先で干している事が確認できました。

敷地が広く 樹木が育っていて その様子がキャッチ出来ませんでした。
しかし みなさん うまい場所に設定されています。
玄関からは庭木などで うまくカバーされ 洗濯物干しに着目して観察しないと全く気にならない場所を選んであります。

どんぐり庵の西側に 物干しを置きました。

縁石

前を通る県道150号線。
大多喜から一宮に向かう左車線側に縁石が設けられ 歩行者通路が幅広くゆったりと取られています。

田舎道を改修して県道としたものでしょうから 時には直線 時には急カーブと 注意が必要な道路でもあります。

40キロの制限速度を守れば 問題は無さげ ですが。

この通りで起こるアクシデントは その急カーブを見誤って 大多喜に向かう車が 対向車線を突破して 縁石にぶつかる話が多いのですが

今回は どんぐり庵の西の隣人の家の前の縁石に 一宮に向かう車が接触し 反対車線に飛び出し 停車したという話です。

走行不能でレッカー車を呼んだ。
と聞きました。

普通乗用車がそこまでダメージを受けたのは よっぽど スピードでも出ていたのかと聞けば、「いねむり らしいよ」と言う答え。

居眠りは アクセルも緩んでくるだろうから そうスピードが出ているはずが無いのに???
と思い振り返ると 「坂道だ〜」


西隣の出入り口 そして どんぐり庵の出入り口は 坂道を降り切って来る車が通過しているわけで 通常よりスピードが出ていることは間違いない。
カーブもからんでいるし。
自己防衛しかないね。

くわばら!くわばら!

山の春

どんぐり庵の北山の裏手では 今年もまた いのしし退治が行われました。

暖かな日曜日 久しぶりに裏山に入りました。
中々花を開かない 気難しいツバキが やっと侘助っぽい花を一輪咲かせていました。
梅はそろそろ終わりで 風が吹くと花びらが散ります。

フキノトウはあっという間に成長し 花をつけ 西の隣人から 「花の茎がとても美味しい」と調理の仕方を聞きだしたものの 摘み取らないうちに帰りの時刻となってしまいました。

可憐なスミレやタンポポも 私が家にこもって建具のリペアをしているうちに 花を開いています。
ここに カタクリでもあれば 感動ものです。

そうこうしていると 睦沢町の案内がアナウスされました。
”いのししの 銃による捕獲作業をいたします。山には入らないように・・”
「銃による捕獲って。。。」「つまるところ。。。」と思いつつ 山から下りて
長年 植木鉢に入っていた椿などなど 植えつけてみました。

庵主は 手ごわい土と格闘です。
山から下ろした腐葉土と混ぜた粘土質の土で 果たして 花をつけてくれるか 順調に生育するか お祈りするしかありません。

 

大多喜城

思えば もう10年が過ぎたかもしれません。
私たちが定年後どんな暮らし営むか 時には現実離れした話もたくさんありましたが ボツボツ考え始めた頃でもありました。

「大多喜城を見る 古民家」 という感じで雑誌に掲載された一軒のお家を訪ねたことがあります。
ご夫妻は 始まったばかりのそこの暮らしを サバサバとした口調で話されたのが印象的でした。
「朝4:00に家を出て 木曽駒ケ岳日帰り」 などと当時の私たちはそう驚きませんでしたが 一般的には 「ま〜!」と目を丸くするようなお話が飛び出すご夫妻でした。

この 大多喜城を改めて思い出したのは 2年間の期限付きで存続が認められた「いすみ鉄道」に 大多喜町が1700万円を投じて 新駅を作った という記事を見たからです。

もしかしたら 2年しか使えない新駅を今作るってネ〜
これをつくって 先々の存続にかけるのか などと思いながら見ていました。

睦沢の道の駅近くの公園のトイレに 町は2000万円をかけたと聞き驚きましたが、この駅舎が2年後も10年後も活躍できるようお祈りせずにいられません。 

手書きの手紙

普段 きちんと文字を書くことが 少なくなりました。

手書きは殆どが「メモ」です。
用紙に向かって提出用書面を作成する事もなく 殆どが パソコンで処理してしまいます。

手書きのお手紙を頂戴しました。

流れるような表書きを見るや 「なんか どきっ!!」
プライベートの手書きの手紙には 平素心の片隅で 「これぐらい 手書きの方がいいのに」と思いつつ パソコンに向かってしまう私を コツンとこずきます。

今年米寿と書き添えられた先輩のハガキは 乱れることなく整い ハガキに収めるべく用件は端的に記されていました。
敬服です。

そしてもう一通は 旅の手帳 と 文芸春秋が届くのが毎月の楽しみ と やさしい笑みをたたえる叔母の側に暮らす 従姉妹からのたよりでした。

フキノトウ味噌

フキノトウ味噌など チャチャイと作るようになりました。

つい 最近まで 「フキノトウがでた〜」で感動し 暫く眺め そっと洗い 慎重に茹で上げ
わくわくしながら刻んでいたのですが、今や

「おっ!! 出ましたね。今年もこんにちは」
といったもので 手早く刻み 甘味噌とあえて あっという間のフキノトウ味噌の出来上がりです。

日本ロマンチック街道の沿線 六合村あたりの暮坂峠で お世辞にもいい宿とはいい難い お姑さん と お嫁さんが腕を振るう 時には食堂 と言った風情の宿に泊まった時、すでに 紅葉の時期を迎えていたのですが 「フキノトウ味噌だ」と出され 食した思い出があります。

美味しかったのです。店は人様に推奨できるものではありませんでしたが お姑さんが作ったという「フキノトウ味噌」は美味しかったのです。
その後 びん詰めを買ったりしましたが 中国の輸入品に出くわしたり、なんだりかんだり その暮坂峠の「フキノトウ味噌」の味が 私の原点になりました。

庵主は あまり乗り気ではありません。
出来たら天ぷらにして欲しい という顔をしていますので、ひとりフキノトウ味噌で 春を感じています。

書を棄てよ。街へ出よう。

さしずめ私の場合は

”筆を棄てよ。庭へ山へ出よう。”というわけです。

庵主から
「南側の庭をどうするかは アンタにあずけた。」

といわれ 
やれやれ これで 花が楽しめたり 食べるかどうかは別にして せめて 鳥達が喜ぶ実のなる木を植えよう。へっへっへっ〜
と よろこんだのは つい2週間前でした。

いまだに ある種ストイックに 磨きや塗り物をやり続けている私は そんなに器用にチャンネルが切り替わらず かといって 切り替える努力もしていなかったわけです。

>庭に出て、ぶらぶら歩き続けるしかないと思います。

まず配置を決めるために ぶらぶら歩き続けます。
植え方(腐葉土を入れて欲しい。ガサツにやらないでほしい)は 庵主にヨクヨク説明して 任せられるところは任せるしかない。

今までいろんな自然に接し 感動した記憶が呼び覚まされ 何とかやれるといいのですが。

日曜日の朝

一台の軽自動車が入ってきました。

二人の女性が乗っていました。
私は手を止めることなく 「庵主の友達がやってきたのでしょう。ポットのお湯は沸いていたっけな。」ぐらいのもので 対応はお任せでした。

庵主が時を見計らってベランダから顔をのぞかせると
なにやら

「いつ 開店ですか」という会話をしています。

外観が今時の ”そば屋””うなぎ屋”ふうですから そうと思い込んでも罪はなく、事と場合によっては町の口コミは 「そば屋になるらしいよ」に変わっているかもしれません。

「な〜んだ ただの民家か。。」
ということでお引取りになりました。
その時に 
「このあたりで お母さんと娘さんでやっている店というのを探しているのですが 知りませんか?」と尋ねられましたが 残念ながら知りません。

何をやるにも中途半端では納まらない私は、ただ今 古建具のリメイク中です。
家の窓越しに梅見をするのが精一杯です。

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tiara
里山の暮らしはいかに・・。
vivakenのカーチャンとか オッカーとか 呼ばれる日が、来るのだろうか。

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