棟梁の瞬間の読み

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これが出来なきゃ 棟梁は務まらない。

それをキッチリ認識したのが 棟梁の手元にある柱の判断です。

この柱は 外壁を大壁とする建物の中で 唯一真壁の扱いとなる部分です。
この柱だけは 腰板や漆喰の中に隠れず 表に現れます。

構造材が山梨から到着し 番手と図面で 材の照合をしていたころの事です。
昨年の7月だったと思います。

棟梁は
「ここんところの柱は(写真で棟梁の手元の所の柱)表に出ますからね。」
と 私たちにいいました。

私は 真壁という従来からの手法があるし、出来れば真壁でやりたいと思っていたのだから、「はい わかりました。」
と 答えながら 内心 「え〜ぇ〜!! この段階でその判定がつくんだ。すげぇことじゃ。」と思いました。

そして ここだけはこうなるのだと 楽しみにしていました。
ハイ ご覧の通りです。

図面を読み取る練習には 書かれた物と現場を見比べる訓練が 最も上達の早道だと思っています。
今回もそういうわけで、諏訪に現存していたときの調査図面を今一度見てみました。

【1階調査平面図】
南面 いー4 221X228 旧通柱 これが確認できました。
”い”の通りは 14x X 14x の数本の柱で構成されていました。
壁面はこれを基調として構成された結果 いー4柱は 表に顔を出す結果となったと 考えています。

打ち合わせ漏れ

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コンクリートがむき出しのこの部分は 浴室です。
腰板の仕上げで ここが抜けているので 疑問を感じて棟梁に確認すると、ここを 木で仕上げる事は出来ない という答えでした。

ありゃりゃ 知らんかったぞ〜

浴室内部の仕上げは 決定していますが 外壁については、打ち合わせが必要という事を、認識していませんでした。

岩熊さんがなんか考えていてくれる事に望みを託しますが、もしや 追加予算か・・・
いずれにしても このままというわけにいきますまい。

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床板を支える大引に直角方向に根太が貼られました。この 根太の間に断熱材をはめ込み、床が仕上げられていく予定です。

越屋根の左官工事をするときは、本屋根のガルバリウムを貼る前に 屋根材をよごさないために 左官工事→屋根完成だったので 内装もそれに準じるのかと想像していましたが、木部を完成させて左官工事だそうです。

いろいろな職人さんが入るし、大型連休も来る事だし、作業の調整はどのようになるやら分かりませんが、「職人さんは 祭日も仕事をするモンです」 と聞いているので この時ばかりは 現場にいることが出来ると 楽しみにしています。

漆喰談義

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今年1月 富士五湖西湖の側にある根場に立ち寄ったときの写真です。

かれこれ 10年も前になりますが 私たちは富士山周辺の山々を 奥多摩と同じ様な感覚で 近場の山としてよく歩いていました。
富士山が余りに近すぎて 
「富士は 遠くから見るのをよしとする」とかいいながら 近いが故によく歩いていました。

そういうわけで この根場も通り過ぎていたはずですが、何しろ興味や関心のないことはナカナカ目に入らない私は、当時ここがどんな様子であったか 記憶にありません。

横道にそれました。

腰板が出来上がると 壁の左官工事となる予定です。
休憩のひと時 漆喰の話になりました。
漆喰の仕上げは どうあるか という内容です。

結論は決まっていて、均一の平面を出した仕上げにすると明言しました。

日本の古くからの民家を見ていると、職人さんたちは 結構小さな遊びを施している事があります。
漆喰の荒々しい仕上げも 均一ばかりでは飽きてしまって、「違う事やりたいな〜。変わったことやってみたい。」からはじまった事と想像しますが、みんなの 一致した意見。

「最初はそりゃ〜いいかもしれない。真っ白な中に 光の微妙な影が出来て・・
だけど そこに汚れがたまっちゃうと これ もう きたなくて。。。」

そうなんです。
均一に 漆喰を仕上げるって まさしく ごまかしの効かない 職人技と断言しちゃいます。

古色調合

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古色を調合しながら 塗装が進みます。
見ていて私は思いました。

微妙に感性にどう訴えるかが 完成の満足度に直結します。
施主は往々にして ゼロを基点とすると プラス・マイナスに大きく振れるか、さもなければゼロ点で止まる。そういう傾向が強いと感じます。
それは 当然の事でして 生涯に一棟しか立てない自分の家に思い入れが強く出るのは、当たり前だし それぐらいのものを持っていなければ 生涯その家を大事にし 共に生きていく事は出来にくいだろうと思います。

いろいろな人の意見を聞きながら、自分の方向性を極めていくのも ある程度年齢がいくと、ごく簡単に自分自身を調整できますが、これが 20年前だったらもっと葛藤があったはずです。

沢村さんは 時々遠くから見ながら、腰板の仕上げをしています。
漆喰の壁に付け柱がくるので そのバランスも見ながら色目を調整しているようです。
また 板を貼ったばかりのところは手をかけず いったん時間を置いてから塗装に入っています。

彼は ある時期を東京で仕事をし 数年前に房総に来ました。
仕事振りを 周囲からだんだん認められ
「今 とても充実している。切れることなく仕事にも恵まれてます」
こんな話を聞くと、
「がんばれや〜」ととても嬉しくなってしまいます。

休工の恵み

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さてさて 本格的に再開です。
キャップをかぶっているのは 「半年の間にいろいろ苦労があって 余分な肉が削げ落ちました」とほっそりして 語る沢村さん。

家と里山と暮らす私たちを見据えて 柱一本一本 腰板の一枚一枚の仕上げをしてくれています。

再開にあたり 再度の打ち合わせをしました。
もし 休工という充電期間がなかったら 最初の計画通り突き進んでいたであろう事が、休工により いったん現場から離れ 冷却時間が出来ると いろいろなアイデアが出てきました。

【一建物一棟梁】と待っていた事が、岩熊さんや私たちに いい結果をもたらせたといえます。

よく見据えてみれば不用なのにそれに気付かず実行する予定になっていたことや、何回か行き来しているうちに、経験的にここはこういうふうにした方がいいな と考えを変えたり と 出てきました。

岩熊さんはそれをいとも簡単に 実現の方向に舵取りをしてくれます。

「作りながら考えないと分からない部分は、結構多いんですよ。」
これは 打ち合わせ段階で岩熊さんが言っていた事なのですが、当初私は イコール予算オーバーという現実を想定して、「本当にそれで いけるのだろうか***」と心配したものでした。

岩熊さんは上記のスタンスですから 変更について対応できるところはすみやかに処理をしてくれます。それによって 材料工賃が不足になれば打ち合わせていますが、変更になることに対して、再設計・再企画費という話が出たことはありません。

なんとも すばらしい「休工の恵み」です。

腰板の塗装

木部の塗装は 最小限でという事で始まった民家再生です。

そろそろ 左官工事がはじまります。岩熊さんの完成のイメージが この【どんぐり庵】にどこまで実現できるか 大変楽しみです。

外壁に自然木を配置する岩熊さんのアイデアに「1本とられた」私たちです。
そして 外壁の腰板については「塗装したい 化粧仕上げをしましょうよ」 という申し入れがありました。

ここで ちょっと。
この塗装という表現ですが、塗装=ペンキ仕上げ という感じが強いのですが、ペンキだけが塗装ではなく 自然の風合いを活かし 木部を保護する目的の物があります。
今回腰板の塗装は オイルステンで化粧仕上げとなります。
木の風合いを活かし 木を守ります。
効果は4〜5年ということです。

塗装=ペンキとなれば ぺろぺろはがれる恐れがあるので なんとしてもやめようと思うわけですが、化粧は大事だし オイルステンなら木地を活かせるので、
ガッテン承知の助
と ゴーサインを出しました。

完成のイメージ

昨日「完成のイメージ」と題して、【どんぐり庵】と名付けることが決まりつつある 睦沢の再生民家の概観図が送られてきました。
 
わぉ〜 いいじゃん!!
と 岩熊さんのデザインに感動しました。
外壁の大壁に付け柱を貼るわけですが ここに 民家再生たる意匠が表現されていました。

岩熊さん 一言
「真っ直ぐばかりじゃぁいかんですよ。」
大壁に自然木を付け柱として 配置してありました。

私は スタートの頃から 「この家は デカイ。ただ デカイ。ヘソがない」
概観上の 物足りなさを訴えていました。
ベランダ設置はその一つの解決策であったのですが、大壁に自然なうねりのある付け柱の配置図をまのあたりにし 
「さすが 岩熊さん やりましたね。」
と にやにや 頭ポリポリ の私たちです。

乞う 御期待!! 


竹山改造作戦

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週末に タケノコ狩りをしています。
孟宗竹のすごいヤツがいて φ200位の竹を根元で切って 倒さずにそのまま立ててありました。それがまた なんというか たまたまそこにタケノコが生えたのです。
そのタケノコは 太い長い孟宗竹を押し上げ 30センチほど成長していました。
ホワイトアスパラガスのように 穂先は白く 面白いので調理してみましたが、「ま〜いつものとかわらないな・・な〜んだ」って感じでした。

vivakenは タケノコは 食べるだけあればいいからと 竹の駆逐に着手し 雑木林にするぞ〜と うろうろしています。
伐採した竹を バンバンいわせながら 燃やしています。

裏山は 傘をさして歩ける竹林から モミジやコナラの林になる予定です。
 

大壁に付け桁

DSC05635-02.jpg先週の中ごろから 助っ人の大工さんに入ってもらっていました。
ほぼ70日止まった現場で外壁を見ると 漆喰の下地板に打たれた釘は ひさしが風雨をまもったところと そうではないところの様子が 釘の錆びだし方で確認する事が出来ました。

大工さんは必ず裏手側 ウチでいえば北側から作業に入ります。
やはり ある程度手を慣らして 正面をやる頃には いいリズムにしたいということからでしょう。
私だってそうするな。と思いながら見ています。

北側の付け桁が 作業されていました。
この北面は 出し梁が不揃いなのが確認できると思います。
その理由は かつてこの建物は こちら側にもう一つ建物がつながっていたからです。邪魔者にされ切られているのです。(オーもったいない。)

ま〜それにしても 裏表反対に建てられなくてよかった。
そんな事を棟梁に言ったら 「そんな事あるわけないでしょう」と 怒るに違いありませんが。

建築工事再開

DSC05637-02.jpg折井棟梁が 現場復帰しました。
胸まであるコルセットを付けての現場復帰です。
腰椎を痛めるというのは 注意していても ちょっとしたわずかな拍子で歩けなくなる事があります。
あの・・魔女の一撃で。

私の時は 寝て3日 でしたが 現場のある棟梁は きちんと治さなければ仕事に差し障りが出ます。
将来のことも考えに含んで徹底的に直してもらえるようお願いしていました。

【一建物一棟梁】
という考えは ずっと持ち続け、今日を迎えました。

土曜日の午後 睦沢に集合した私たちは 岩熊さんと棟梁 御両人から 休工中についての丁寧な挨拶と 開始の報告を貰いました。

昨年の地鎮祭の祭司 中村神主さんは 昨年暮鬼籍に入ってしまわれました。
しかし この土地に 私の胸の中に 中村神主さんは生きていて 
「見守ってくださいよ。あと一息です。」
と お話申し上げる 次第です。 合掌

電気やさんも現場確認に立ち寄り、さてさて はじまります。

 

重要なお知らせ

スパムメールのタイトルみたいですが。。わざとです。

棟梁の復帰がほぼ決定しました。
始まってみないと何が起こるかわかりませんが、来週中盤からスタートすることになりました。

現場が休工と決まったときは、「私たちも少々休養だ」とか何とかいっていたのですが、思いがけない細かいことがチョコチョコおきて、その殆どが対応済み、解決済みのめどがついたのが、昨日でした。

うまい具合に流れが出来ているもので、やれやれ と思うや 「棟梁 復帰!!」の連絡を貰いました。

さてと!!
気を引き締めて、再開です。

アスパラガス

グリーンアスパラガスを育てています。
昨年5月に植えました。
今年 φ10mmに満たないものが スクッと伸びていますが 食べられる感じではなく ともかく根を大きくしたいと思い見守っています。

肥料大好きというアスパラガスに 我土地は痩せているかもしれません。
天然腐葉土を裏山からもってこなくちゃ と思っています。

スーパーには タイ産のショートアスパラガスが並んでいます。
これは 畑においておけばまだまだ成長するものを 小さいうちに収穫していると見えますがどうなんでしょう。

国内で生産されたアスパラガスは まず間違いなく切り口から数センチは堅くてスジっぽいので、調理するときは 両端をもって折り曲げ、ポキンと折れたら 先のほうだけを使って 根元のほうは 捨ててしまいます。

堅いところは 皮をむけば大丈夫と聞き 挑戦した事もありますが、やっぱりスジっぽくておいしくない。捨てる事にしています。
ただ 先日スパゲッティ屋さんで アスパラとベーコンのスパを食べたら そこのアスパラは皮をむいて 美味しく食べられるようにしてありました。
ですから アスパラを収穫してからの時間が問題なのかなと思ったりしています。

となると いずれ我が家でもアスパラガスが収穫できるはずです。はずです。
その時は、サットゆでてシンプルにというのもいいですが、オリーブオイルでイタリアン風にさっと炒める。こんなのもいいなと楽しみです。
切り口のほうを捨てなくても 食べられるのじゃないかな????

外溝工事がはじまる前に、アスパラ畑に注意の柵を作らなくちゃ。。

アスパラガスとレバーを食べて グルタチオンをたくさん摂取しましょう。

藪のウグイス

姿は見せませんが ウグイスが「♪ホーホケキョ♪♪」

里山で独唱会が開かれています。

梅にウグイス
私たちは 梅にメジロを 梅にウグイス と思っていました。
昨年 「それはメジロです」とご指摘頂き、
この歳になって 「は〜は〜 」と 頭をかきました。

日本の伝統色にあるウグイス色は 茶色系の 図鑑でみるウグイスの色を指しています。

もう一つ勘違いの元となったのは 和菓子のうぐいす餅です。
うぐいす黄粉と呼ばれている 黄緑色の黄粉をまぶした あの うぐいす餅です。
花より団子を尊ぶ私は 黄緑色をうぐいす色と思い、ウグイスが黄緑色をしているから、黄緑色=うぐいす色となったと思っていました。

ちがうんですゎ〜
うぐいす色は茶系の色で、梅に遊びに来る若草色の鳥は メジロで、藪でさえずっているのがウグイスで姿は見えず。。。
でした。

町→市へ 市町村合併

睦沢町が周辺市町村と合併する話は一度頓挫したものの 先月合併委員会が再編され、来年4月には 市となる模様です。

茂原市を軸とした合併ですが さてさて新しい市の名称は???
気になるところです。

水道局は 1市6町村を 「長生郡市」と呼んでいます。
この 長生郡という縁起がいい名称の由来はそのうち調べてみようと思っていますが、残すに値するものだろうと思います。

うまく使って観光スポットにもなりそうです
長生駅から極楽駅へ などという経路が出来たら 切符だけでも売れそうな感じです。

この地に居を構える人々も 自分の住いを思うたび 素晴らしいサードステージを送れそうな暗示にかかります。

ま〜少なくとも ひらがなで ○○市。
これだけは やめてほしいな と思っています。

野イチゴに重ねて

DSC05626-02.jpg野いちごの花が 咲いています。日当たりのよい 山の斜面で本当に気持ちよさそうな感じです。

睦沢に3年も行き来していると、地の方々とも親しくお話をするようになります。
その大部分は 私たちより少し先輩の方々です。

戦争の体験をもつ昭和を背負ってきた方々でもあります。

朝夕 自転車をこいで 田んぼのあぜ道を散歩していた先輩が 永久の旅にたたれました。
去年の終戦記念日の前後、「家の進み具合は どうだい」と立ち寄られ、夏の日の力強い太陽を避けて、木陰で世間話や昔話をしたものでした。

おりしも 靖国神社参拝云々が論議をかもしているときでした。
先輩は 
「国のために 命を落とした人の魂に 鎮魂の意を表することは、当たり前の事であって・・」と静かに 但し 堅い信念をもってお話されました。

遠くへ旅立たれて 早10日。
お線香を上げさせていただこう と思い お訪ねしました。
私たちは 喪に服する正装をし、太陽に守られ、風と語り合えるよう縁側を開け放された 先輩のお家を訪ねました。

旅立ちを哀しむ 多くの供物と花々に囲まれた祭壇に向かい、家の完成を見ていただけなかったことは心残りです とお話しました。

ご遺族は入院の日々を語られ 「病気に勝てなかった事は無念というものの 無事苦痛なく見取る事が出来ました。」 と振り返り お話してくださいました。

「太陽に当たりながら縁側でうとうとと眠ったりしていました」とお聞きし、
お別れして家路につき 裏山に入ると、野イチゴが太陽を浴びてとても気持ちよさそうでした。
静かなひと時を過ごされていたのだな、その様子を 野イチゴに重ね合わせました。

620円効果

4月27日から外房有料道路が 一部 (鎌取ー誉田)区間が無料になります。
我が家は 往復で620円の恩恵を受けます。

10回の往復で6200円とは こう考えれば大きい金額です。

しかし ザル頭に私では 
あれ〜 どこに消えてしまったのだろう???

こうなるに決まっています。

兼業大工さん

棟梁がいつ復帰できるか はっきりした日程はまだ決まっていませんが、気がかりながらも受容しています。

スケジュールがずれ込んできたので、納入を3月末から4月末に変更したダイニングの椅子を守門さんに預かってもらう事にしました。
守門さんは作業場兼ストックヤードとして使っている建物があるので、預かる事を快諾してくれました。早速手配し 4月末には引き取ることになっています。

棟梁と大工さんに限った事ではありませんが、仕事をするパートナーは 気心が知れお互いの個性を飲み込んだもの同志というのがやりやすいものです。

棟梁は棟梁ですが、パートナーである広瀬さんは、兼業大工さんです。
そうです!!
田植えです。

睦沢地区は、田んぼに水が張られ田植えの準備が進んでいます。
=広瀬さんっちの田植え

管理者である岩熊さんは 棟梁の意向もあるし 私たちを待たせ続けるのも どのあたりが限界なのか。。。と考えている様子です。
左官屋さんや電気屋さんも 進行具合を心配している様子です。

人生この1ヶ月を急いで何になるかいな
という私です。
しかし 私がこういいきれるのは 岩熊さんという方への信頼があるからこそです。

人との係わり合いは 出会ったときの第一印象というのも大きな比重を占めますが、1年も付き合ってくると、こと お金が絡んだ事象の中で、一つの結論が出てきます。
「任せておける」 こう思っています。

暗渠・明渠排水

昨日 暗渠排水を決定しました。
とお伝えしたものの そういえば 初めて暗渠という言葉にぶつかったとき
「それって なんですか?」と質問した事を思い出しました。

農林業・土木に携わらないと、暗渠を知っている人は少ないことと思います。

暗渠排水を体験的に知ったので、溝を掘り 竹を並べて水が流れる空間を作り その上に土をかぶせる排水方法を暗渠と思っていましたが、違いました。
これは 一つの手法でした。

上が開放になった小川のような排水路は 明渠と呼び、地中の埋め込まれた排水路は 暗渠と呼ばれていました。

竹を並べるのではなく パイプを設置しての暗渠排水に使われるパイプは 大日本プラスチック株式会社のサイトで見ることが出来ます。

ネトロンパイプ

これを使うか 類似品を使うか確認できていませんが、先人の知恵がこのパイプが出来るきっかけであったことは間違いがありません。

睦沢の粘土質の重い土は 暗渠をするための地盤基礎がもともとあるようなものなので、大変合理的に設置できそうだと喜んでいます。

蹲踞(そんきょ)しか知らなかった 私でした。

現代版暗渠排水

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裏山には アザミの大きな株があちこちにあり、スミレがあちこちで薄紫の花をつけています。
ソラマメはケヤキの団十郎の下で、よそ様より生育は悪いのですが、花をつけ2ヵ月後には収穫が期待できるところまで来ました。

 山には 山の 愁いあり。
 海には 海の 悲しみが。
 まして、 心の 花園に
 咲きし アザミの 花なれば

そんな光景から 昔々のアザミの歌などが頭をよぎりました。
ドンな私には よくわからん ですが。。

日曜日に岩熊さんと、当初の計画からの変更点や 外構の追加など打ち合わせをしました。

私はこの里山の中に この家をどうコラージュしていくかという気持ちで、希望を整理しています。
その一つともいえる 雨樋。

雨樋をつけるぞ〜 いや 付けないぞ〜 と二転三転し 
最終的には ケヤキの古木さんに 
「ショパンの雨だれ」っていう曲もあるし、雨音を聞いて暮らす選択もあると思いますよ 
に背中を押され、最初の計画通り 雨樋は付けず屋根から落ちる雨水は 現代版暗渠排水で処理することに決まりました。

今日のような雨降りには 
雨だれの前奏曲/ Fryderyk Francisze Chopinを聞いて イメージを膨らませています

道の駅もビックリ

DSC05611-02.jpg裏山のタケノコです。
先週は大雨。その前は お彼岸の墓参り。。等々あって 3週間ぶりに睦沢へ行きました。

今年は ソメイヨシノの満開と日曜日が重なり サクラの花見を堪能した方も多いことと、大変喜ばしく あちこちに植えられた春霞にかすんだサクラは 全くもって素晴らしいものです。
これが 夜桜となると どこかなまめかしい 妖艶なものが漂うように私には思えます。

さて タケノコです。
暫くぶりに訪ねると、まず タケノコに歓迎されました。
来週あたりから顔を出すだろうとタカをくくっていた私たちを驚かせました。
「初物だ〜」と 掘り進みますが 都会の親戚に送るには「ぬか」も用意しないと、などなど
考えながら、静岡県では真夏日という気温の中、いきなりの 山仕事でした。

道の駅で タケノコをみると 我が家のものには足元にも及ばない小さいものが 2本で500円。
早い事に価値がある!!と、実感しました。

発送のためにひろげていると、通りすがりの人が、「立派なタケノコですね。」とうらやましそうに 話しかけていきました。
「ウチの裏山から採れたものです。」と自慢げに答える私でした。

道の駅の店の人は「わ〜早いですね。立派ですね。店に持ってきてください。」とか言っていましたが、それも今だけの話で、来週になれば、あちこちで掘り出されたものが 山積みされる事でしょう。

夕べ帰宅するや否や米糠であく抜き 下茹をしたタケノコは 先ほど濃い目の出し汁で煮しめになりました。

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tiara
里山の暮らしはいかに・・。
vivakenのカーチャンとか オッカーとか 呼ばれる日が、来るのだろうか。

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